📬障害年金の申請と結果が出た!【呼吸が乱れて、汗が止まらなくなったら その⑪】(精神障害/障害基礎年金の場合)
"障害年金"を申請することにした。
全くお金のないニート(無職)生活を変えていこう。
5年前の2016年。
実家に戻って、一時的に躁状態になったときにアルバイトを始めた。
しかし1ヶ月で燃え尽き、他の様々なことも絡み鬱状態に陥り辞めることに。
まったく動けない日々。そして過活動になり燃え尽きる日々。
当時の通院先(精神科)の主治医からは、確定的な診断がおりない日々。
そして実家に住む画伯ちゃんでは、生活保護を受けられないことを知った。
「他に道はないですか?」と相談したのは
"精神病院の精神保健福祉士"、そこから出会った"市の障害福祉課の地区担当"、そして近隣の"障害者施設の精神保健福祉士"。
彼らから示された道筋にあったのは
・障害者手帳の申請
・自立支援医療制度の申請
これらを申請した画伯ちゃん。
日常生活において割引が効いたり、精神科への通院費が無料になった。
詳しくは過去の記事↓↓↓
そして、初診から1年半が経過したら
"できることがある"と彼らは言った。
それは
・障害年金の申請
自分にも申請できる資格があることを教えてもらった。
しかし当時の主治医では恐らく診断がつかない。
そして治療もままならない。
画伯ちゃんは転院を考え始めた。
当時の主治医は3~4分優しげに会話するだけで、半年間なにも心の中を見られている感じはしていなかった。
そのまま更に通えば進展があったのかもしれないが、信用しきれない部分が多いため、転院を考え出していたと思う。
汗と呼吸シリーズ1話目↓↓↓
まとめマガジン↓↓↓
↓精神科の年史↓
2015夏 / 初めて精神科に通う(岡山県)
2016年明け / 転院(大阪府)
2016梅雨頃 / 障害者手帳の申請
2016暮れ / 転院(現在の精神科)
2018初頭 / 障害者手帳の等級変更(3級→2級)
2018梅雨頃 / 障害年金の申請(障害基礎年金)
障害者施設の友達おじさん
2016年 春。
通い始めた施設のなかで特に仲良くなった"男性"がいた。
画伯ちゃんとは違う障害、症状、現状。
障害者雇用で働きながら、施設の利用者たちといい距離感で接し、嘘のつけない真面目な人柄。
彼から様々なことを学んだ。
そして数年ぶりの年賀状のやり取り、各地に遊びに2人で出かけたり、深夜まで何百時間も話し合ったり。
真逆な2人なのが良かったと思う。
「今の病院の先生、信じられないんですよね」
「僕のところはこんな先生ですよ!」
夏の夕暮れ。
彼の主治医の話を聞いた。
そして希望を感じ始めた。
そのころ
自分の主治医の診察に納得いかないばかりか、年金のことをチラッと尋ねると
「君の状態だと通らないと思うけどなぁ」
その言葉に落胆していたが、友達おじさんの通う精神科の話を聞くと、画伯ちゃんにも希望が湧いてくる内容があった。
当時の通院先では何度希望しても受けられない『発達障害』の検査。
そこにも精通している医師だというのも理想的だった。
2016年当時の診断は
"統合失調症の疑い"と"社会不安障害"
これが変わるのかも知りたかった。
転院してから障害年金の準備をするまで
2016年12月。
友達おじさんの通う精神科に転院した。
初めての診察へ。
「最低でも半年以上は診察しないと診断は付けられないし、一年半は通ってもらわないと障害年金の診断書は書けないよ...年金もおりるかわからないし...」
当時利用し始めたヘルパーさんに付き添ってもらいながら、初診でそう断言され、アワアワと言いながら口をパクパクさせる画伯ちゃん。
前の病院で粘ったほうが良かったのか...?
心なしか突き放したような発言に聞こえないか...?
そしてヘルパーの都合と、転院先の先生的にも次は3週間後の診察になった。
年末にこの気持ちを抱えて越えていく...?
そもそも年金はおりない...?
あれ、どうしたらいいのかわからない...
死ぬしかないのかもしれない...
2015年岡山での初診→2016年初めの大阪の病院→今回の転院先と、ずっと"流れのまま"抗うつ薬が出ていた。
それが画伯ちゃんに波を作る。
初診後は全てを絶望的に捉えて、自分は特に障害もなく、働こうとしていないだけだったと認識していた。
死にたいだけで、死ねはしなかった。
2回目の診察でそう感じていたことを話すと、先生の表情が変化した。
「そう感じさせたならごめんね。突き放そうと思って話したわけじゃないのよ」
改めて説明する先生。
落ち着いていく画伯ちゃん。
しぶるヘルパーを説得し、隔週の通院スケジュールを貰った。
友達おじさんへの信頼込みで、この先生をもっと信じてみようとも思った。
それからは、その年明け"2017年1月から12月まで"隔週で通い続け、先生からそろそろ動き始めていいよと『GOサイン』を貰うことに成功💁♀️
隔週で全てを話していた。
リアルタイムの全ても、記憶の初めから転院前までの全ても。
障害年金の申請の順序 その1
2017年12月19日。
自身の住む市役所の障害福祉課へ。
「その類は年金課へどうぞ」
年金課にて説明をしたあと、書類を手渡された。
渡されたのはこちら。
・受給要件
・障害基礎年金の請求について
・受診状況等証明書(初診証明)
受給資格があるか確認され、受診状況等証明書を初診の病院に書いてもらうよう促された。(画伯ちゃんの場合は2015年の岡山県での精神科)
そして、2018年4月頃に申請する予定だったので
初診から一年半以上が経過していることになる。
うまくいけば『2017年1月分からの障害年金』が"遡って"貰えるらしい。
したがって、『2017年1月時点の診断書&2018年4月(申請する予定時点の)診断書』の計2枚を書いてもらえるかどうか。
「医師と検討して」と年金課に促された。
(当時のリアルタイムである)2018年4月時点からの分が通るだけでも嬉しかったけど、主治医と話し合う上で「2017年1月時点には転院してきてもらってたし書けるよ!」とのことで、『2枚の診断書』を書いてもらうことになった。
しかし、その前に初診証明(受診状況等証明書)を岡山県の精神科に書いてもらわなければならない。
岡山県に行くのは遠いなぁと思い、障害者施設の精神保健福祉士に相談すると電話で聞いてもらえることになった。
そして"やり取りは全てメールでOK"と話を通してもらい、トントン拍子に事は進んでいく。
12月20日 岡山県の精神科からのメール
ひょえ〜!
初診証明の書類代たっけぇ〜🤪
12月25日 メール
これで
現段階でできることは終了。
障害年金の申請の順序 その2
(素材写真が見つからなかったけど)初診証明には『社会不安障害』と診断名が書かれていた。
1月27日。
障害者施設のスタッフとの面談で、今後のスケジュールを図にして整理してもらったりもしていた。
主治医の意見と、初診証明を持って
また年金課へ赴くことに。
1月30日 年金課。
・障害基礎年金の請求について NO2
申請前最後の年金課。
次回必要なもの、医師に伝えることを丁寧に教えてもらった。
画伯ちゃんの場合、申請時に必要なものは
・年金手帳
・認め印
・預金通帳
・年金請求書
・病歴・就労状況申立書
・マイナンバー(または住民票など ※当時)
・受診状況等証明書(初診証明)
・診断書2枚(最近の症状のもの、障害認定日の2枚)
・精神障害者保健福祉手帳
※注意事項として年度変更時だと、診断書の様式変更の可能性があるとのことで「医師から年金課に1度連絡してほしい(気をつけてほしい)と伝えてください」とのことだった。書いてもらった診断書が無効にならないように細心の注意をはらいたいところ。
貰った書類の一部を紹介
主治医によると、"年金の診断書"は1枚書くのに『5000円』かかるとのこと。
画伯ちゃんの場合は『診断書2枚のため1万円』かかる。
初診証明と合わせると、『2万円』ほどかかっていた。
厳しい戦いだ。失敗は許されないと緊張感が高まっていった。
障害年金の申請の順序 その3
2018年2~4月。
ここまで順調に来ていたが、ここからが地獄の日々だった。
『病歴・就労状況申立書』
という書類を作成するのが、あまりに難解。
・社労士に頼むか
・自分で作成するか
・精神保健福祉士にお願いするか
確実な道にしたくて社労士を探していたが、通所していた障害者施設の精神保健福祉士さんに相談すると
「わたしが書いてあげるよ!今まで何枚も書いてきた経験あるし」
と言ってくれた。
「絶対通りますかね...?」
「絶対とは確約できないけど、通りやすい書き方は経験でわかるよ」
知らない社労士に頼むのも不安な画伯ちゃん。
2年ほどお世話になっていた信頼から、そのスタッフさんにお願いした。
引きこもっていた画伯ちゃんを施設に誘ってくれた、
あの偉い女性だった。
(サムネの猫を撫でている手の人物)
その記事↓↓↓
そして『病歴・就労状況申立書』の下書きを書いて、そのスタッフに抜粋清書してもらう作戦が始まった。
画伯ちゃんは人生の病的だと思う部分を、全て思い出し、何万字もパソコンに打ち込んでいった。
何日も何日も。
イヤなこと、悲しかったこと、苦しかったこと。それを誰かにしてしまったこと。
全てを打ち込んだ。
それらの一部を紹介すると。
・中2の汗が止まらなくなった日のこと
その頃の記事↓↓↓
こういったエピソードを皮切りに
・大学時代以降のバイトとバンドでの奇行と妄想と躁鬱
・自殺未遂
・電話、散髪、外出、密閉空間、電車への恐怖
・茂みに飛び込んだり、引きこもったり、実家や大阪への恐怖
・岡山県に住む元カノの家へ避難という名の高飛び(家族にさえも告げずに2年間の居候)
・さらに加速する全ての症状、1ミリも外に出れない日々
・ベランダから外を眺めて家事をするだけの『サイコベランダー』な日々
・遺書を残して自殺未遂
・警察が動き大阪の自宅に強制送還、新たな精神科、昔のバンド仲間伝いに知り合った人達との過活動な日々、障害者施設の日々
・就労不可、ヘルパーと訪問看護の利用、過敏になる視覚聴覚嗅覚
・テレビ、読書、ネットもできなくなり、風呂やトイレもうまくできない日々
これらに加え、実際の書類には記載しなかった"幼少期から中学校入学まで"をも詳細に書いた。
『病歴・就労状況申立書』
こいつは本当に手強い。
1人で下書きの作成に丸々1ヶ月、
そしてそれを抜粋清書して、精神保健福祉士と確認しあう1ヶ月。
全てを思い出した。
当時のように苦しくなった。
精神保健福祉士も追体験して、画伯ちゃんの心に触れていた。
のめり込めないのがプロだと感じた。
それらを乗り越えて完成したのが
完成した申立書。
こんなに自分のことを見つめ直したのは初めてだった。
note上のためモザイクだが、
ほとんどが文字で埋め尽くされていた。
自分の病的な部分、改善すべき部分を
客観的に見れたような気持ちにもなった。
それを主治医に渡し、参考にしつつ診断書を作成してもらうようお願いした。
こうすることで「整合性のある診断書になりやすい」と、精神保健福祉士からアドバイスを受けていた。
障害年金の申請の順序 ラスト
全ての書類を主治医に渡して、約1ヶ月後。
・5月8日 / 診断書2枚完成。
・5月21日 / 障害者施設の精神保健福祉士と最終確認。主治医のミスを1箇所見つける。
・5月22日 / 主治医の訂正印と修正、さらに最終確認をしてもらい『年金課に提出』しに行った。
・その夜 / 全ての書類を読み返すと、『病歴・就労状況申立書』の一部のコピペをミスって文章が丸ごと消え去っている部分を見つける。
・5月23日 / 施設の精神保健福祉士に伝えにいくと、その場で直して年金課にも"書類差し替えの連絡"をしてもらえることに。
・その直後 / 改めて新たな『病歴・就労状況申立書』を年金課に送付。
・5月24日 / 年金課から「確かに受け取った」との連絡。
2017年12月から始めた障害年金の申請は、
『半年かけて』2018年5月にようやく終わった🥺
障害基礎年金請求書 受付票↓↓↓
診断書の一部↓↓↓
差し替えた時の封筒↓↓↓
不安になって後日ログインした『ねんきんネット』
(2018年6月11日時点)↓↓↓
画伯ちゃんの最終的な診断名は
『統合失調感情障害』
統合失調症と双極性障害(躁鬱など気分障害)が混ざったもの。
ICD-10コード 『F25』
障害年金の申請の結果が届いた!!!
2018年7月27日(金曜)
夜中にリビングへ行くと1枚の手紙が届いていた。
申請から2ヶ月。
早くも『障害基礎年金』の結果が届いていた。
2ちゃんねるや各種サイトで調べて、新規申請の場合は"3ヶ月ほど"だと当時は書かれていたので、想定よりも1ヶ月早かった。
はたして...
画伯ちゃんの等級は...
年金は通るのか...
うおーーー!!!!
通った!!!!
画像の通り、
『国民年金・厚生年金保険年金証書』が届いていた。
・受給権 平成29年1月
・障害等級 2級
とのこと。
2枚出したどちらの診断書でも『2級』で申請が通った。
これによって遡及も成功💮🎊現症も成功した㊗️🎉
『2017年の1月分~(当時から2年後の誕生月がある)2020年12月分まで』は、『障害基礎年金2級』が支払われることが確定した。
あとがき
ありがとう主治医。ありがとう精神保健福祉士。
制度に絡む日本中の皆様ありがとう。
"呼吸が乱れて、汗が止まらなくなった"中学2年生から
苦しくてどうしようもなかった34歳当時まで。
ここまで生きてきた。
この一連の行動で"自分の過去を全て振り返れたこと"と、"障害年金の支給が始まったこと"で、急激に人生は変わっていった。
"自分を変えていこう"と思えるマインドになり始めた。
まだ生きていけるという希望が、新しい世界を引き込み始めたんだ。
画伯ちゃんはその後
・ダイエット
・バンド
を成功させた。
行動し続けられたなら勝ちだ。
現段階が幸せなら勝ちだ。
"行動だけが自分を救う"と
ハッキリわかったんだ。
あとがき2
そういえば年金申請の3ヶ月ほど前に、主治医からの提案で『障害者手帳』の等級を変更した。
当時の判断では『3級のまま』なのは心配だったらしい。
障害福祉課で等級変更の申請をして、1ヶ月半ほどで結果が届いた。
・3級↓↓↓
・(現在の)2級に変更↓↓↓
有効期限の日付も変わるため、自立支援医療制度を利用している方は気をつけてくださいね。
※1. 診断書1枚で障害者手帳と自立支援を同時に申請している方が多いと思うので。
※2. 現在も当時も、年金に手帳の等級は関係なさそうだと自分は思っています。ゲン担ぎ的にはいいかもしれないけど。
それらが詳しく書かれた記事はこちら↓↓↓
あとがき3
コロナ禍のため、更新期限が迫っている人でも現在は自動で『障害年金の診断書の受け取り』を延長しているみたいです。
今年度の更新が必要な方向けの情報です。
1度ご確認ください↓↓↓
【障害年金等を受けている皆様へ】
障害状態確認届(診断書)の提出期限の延長のお知らせ
https://www.nenkin.go.jp/oshirase/taisetu/2020/202004/0424.html
2021年1月18日付の情報↓↓↓
【障害年金等を受けている皆様へ】
新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言を踏まえた障害年金診断書の取扱いについて
https://www.nenkin.go.jp/oshirase/taisetu/2021/202101/011502.html
あとがきのあとがき
障害年金を申請するにあたって参考にしたURL
(日本年金機構のホームページより)
・初めて手続きをする方向け
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/tetsuduki/shougai/seikyu/index.html
・精神の障害用の診断書を提出するとき
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/todokesho/shougai/shindansho/20140421-23.html
・受診状況等証明書を提出するとき
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/todokesho/shougai/shindansho/20140421-20.html
・病歴・就労状況等申立書を提出するとき
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/todokesho/shougai/shindansho/20140516.html
・障害年金を請求するとき(年金請求書)
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/todokesho/shougai/20180305.html
以上です。
とてつもなく長い記事になったけど、1年前から書こうとしていた記事がこうやって仕上がって良かった。
2017~2021年現在までの情報だけど、誰かの役に立てば嬉しいな。
俺たちは大丈夫。
もう大丈夫にしかなれないくらいのところにいるから。
生きよう!!
スペシャルサンクス:
https://saori1507.exblog.jp/23493541/
『自分で障害年金を』というエキサイトブログ。
当時このブログの管理人様にコメントで質問して、様々なことを教えていただいていました。
現在はコメント欄を封鎖されている様子ですが、申立書の作成から結果を待つまでの間、いつも心の支えにさせてもらっていました。感謝しかありません。(当時ブログ内にコメントをしていた方々もです)
ありがとうございました。
当時も今も最大限の感謝を持っています。
このnoteに御礼を書くことは失礼にあたるかもしれませんが、いつかコメント欄が復活されたら改めてご挨拶させていただきます。
本当にありがとうございました!!!
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▶︎画伯ちゃんのバンドのオススメ曲
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