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マスク

外出をするときはマスクを付けることが常識になってきた。つまり、マスクをつけないことは非常識になってきたということである。マスクをせずに出歩くことは、男性が上半身裸で外出することと同じような感覚になってきているのではないかとすら思う。犯罪ではないが、嫌われる。

マスクの常識化が進むに連れ、マスクにファッション性が求められるようになってきた。お気に入りの布で自作する人も増えている。顔の下半分を隠し、個性を見えなくするマスクだが、人々はそのマスクを使って個性を表現しはじめたわけだ。人間はどうあっても個性をアピールせずにはいられない生き物なのだろう。

そしてこれは、個性の記号化を加速させることになる。私は、本来、個性とは記号化できるようなものではなく、表情や言動からかすかに滲み出るものだと思っている。簡単には言語化できない、雰囲気のようなものだと思う。

マスクで隠された顔からは、そういった雰囲気を感じ取ることが難しくなり、私達は、代わりに、個性を記号化したマスクからその人の雰囲気や人となりを察知せざる負えなくなる。SNSのプロフィール欄等で自分の個性を言語化/記号化して久しい現代人だが、マスクの出現により、ネット上だけでなく、実際に会うときにも、個性を記号化して提示するようになったということである。

これは、感性の衰退につながる。表情に滲む雰囲気から人となりを察知することを止め、個性が分かりやすく記号化されたマスクからその人間性を判断するようになるというこの現象は、例えるならば、食材本来の味を楽しむことを止め、化学調味料でふんだんに味付けされた料理ばかりを食べ始めるようなものである。

そんな料理ばかりを食べていたら、味覚は鈍り、僅かな味の機微を感じることは不可能になる。同じように、マスク生活がこれからも長引くと、その人がどのような人なのか、マスクを外したその顔から読み取る力は衰えていくのではないだろうか。

ではどうすれば良いか。私の提案は、直接顔の見える人を大切にする、というものである。それは、ほとんどの場合、家族や友人といった親しい間柄の人々であると思うが、今や彼らの存在は、ただ親しい人たちであるということ以上のものになった。

彼らは、人間の持つ表情の機微を私達に提示し、それを受け取る感性を育んでくれる唯一の存在になったのである。人と親密な関係を築くことができにくくなったこの世の中、今現在、親密な関係を結べている人々の価値は、こういった観点からも高まっている。

こんな状況でも一緒にいられる人々に、もう一度感謝の念を持って接しよう。彼らは、社会性動物である私たちの、唯一の命綱である。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!