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ねばならないに囲まれる子供達

写真のわが子は5歳のときでしたが、もう小学生です。9歳と7歳のパパでもあるゲンヨウです。今日はこどもの環境について思うことを書きます。

1.ねばらならないが多すぎない?

小学生であろうと、毎日は忙しいです。遊ぶことに忙しいわけではなく、宿題がたくさん出ていたり、子供によっては習い事など(うちはピアノと水泳)。行きたくて行っているのなら良いのですが、それもよくわからない状態というのもありそうです。

何より宿題が曲者で。毎日あるのです。僕は、どちらかというと必要じゃないと思って宿題やらない確信犯の方だったので、余計そう感じるのですが、宿題多くね?土日も出ているのですが、働き方改革とか言ってるのに、子供は毎日やる事が設定されているってどうなんでしょう。

2.自分で決められない大学生によく合う

仕事柄、大学生によくあうのですが自分で決められない子も多いです。

「げんようさん、留学先ってどこがいいですか?」

留学になぜいきたいのかも、何にも知らないので、決められません。でも何かしら決めてもらった方が良い人、答えを求める人によく会います。自分の人生だから好きにすればよいと思うのですが。

3.ねばならないに囲まれて、決断を放棄する

やらねばならないこと=やることは決まっているわけです。そもそも、やります?って部分を問わないといけないことも多いのに。そうすると、決断の回数は減ります。なぜやるのか?自分に必要なのか。

既に十分わかっている問題を再度解く必要があるのか。たぶん、本能的には矛盾に気づいているのかもしれないけど、じょじょに薄れていく。そして、言われてから動くようになる。受身な若手が多いとか聞きますが、そういう前提条件はねばならないで囲むからなのかなと思います。

4.減点法からくる失敗できない雰囲気

やってみたいことを口に出す、ねばならないからやってみたいに変えていくときにもう一つのハードルは、減点法だと思います。もちろん、リスクや成功確率を計算はできると思いますが、物によってはわからない、どんだけ時間を使って考えても。

そんな時に、減点法ではなく自分の興味に心を動かされる方が良いんじゃないかと思っています。

5.親や先生にも余白を

実は保護者にも余裕はありません。間違えたり、失敗を受け止めるには余白や余裕が必要です。でも親側にも先生側にも余裕がありません。受け取る側にも余裕をつくることから結果的には始まるかなと。

なので、親にも先生にも余白を作って欲しい。そして、そこから生まれたことが、結果的に新しい余白や可能性を生んだりするんじゃないかなと思っています。

6.まとめ

親の価値観だけで、選択肢を絞ったりしないように。
余白を生み出せるような状況をしっかりと作れるように。
みんなでこどもに対して寄り添えるように。

少しずつでも学校に提案をしてみて、保護者同士でも話し合いをしていこうと思いました。


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