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北海道民の「倍返し」

 道産子(どさんこ)は自分の家で収穫した作物を隣近所や客人に「おすそ分け」するのが好きだ。しかも、その量が半端ない。トマトでも大根でもコメでもイチゴでもトウキビ(道民はトウモロコシとは言わない)でも、何であれ例外はない。

 友人宅や親せきの家に遊びに行くと帰り際に
「ちょっと持ってくかい?」
と言って、その家の主はどこかへ消える。しばらくするとダンボール箱や大きな袋を抱えて戻ってくる。

 中には採れたての野菜や果物が無秩序にびっしりと入っている。その量たるや、持ち帰ってもとても4人家族では食べきれないほどだ。とはいえ道民は慣れっこだし、ここで断るとせっかくの好意を踏みにじることになるので満面の笑みで遠慮なくいただく。そして家に戻ると、『家族総出でむさぼるように食べてもきっとこれくらいは持て余すな』という量を目分量で決め、近所の方にさらに「おすそ分け」をする。たとえ隣の家が庭でトマトを育てていても、もらってきたトマトをお隣に「おすそ分けのおすそ分け」する。なぜって、品種が違えば味も違うのだから当然だ。

 道産子は「お返し」するのも大好きだ。
「こないだはどうもねー」
と言いながら、いただいた価値の倍以上をお返しする。だから両者の間でやりとりされる量はいっこうに減らない。何も見栄を張って「倍返し」をしている訳ではない。たくさん食べてもらいたいな、たくさん喜んでもらいたいな、というピュアな気持ちに突き動かされているだけだ。道民はそういう習性を持っているのだな、とご理解いただきたい。変な習性かもしれない。だが慣れてしまえばこっちのものだ(何がだ?)。

 一抱えもあるダンボール箱での「おすそ分け」と「お返し」ができるのも北海道が車社会であるためだ。重いダンボール箱を手で運ぶのは大変だが、車なら楽勝だ。道民の足はアクセルとブレーキを踏むためにある。歩くためにある訳ではない(ここで怒る人はいないと思うが、念のため冗談であることをお断りしておく)。

 前置きはこのくらいにして(『え? 本題に入ってなかったの?』といま思ったあなた、その通りだ)、本題に入りたい。

 昨年9月、ご存知の通り北海道は大地震に見舞われた。震源地とその周辺の町には私の友人や親せきが多く暮らしている。地震発生から一週間後の週末、私は夫とともに羽田から北海道へ飛んだ。2個の大きなスーツケースにレトルトカレーやシリアル、すぐに食べられて日持ちもする総菜などをびっしり詰め込んで。千歳空港でレンタカーを借り、通行止めの道路を迂回して厚真町とむかわ町、苫小牧を回った。

 厚真町の友人宅は幸いなことに被災を免れ、裏山から自家用に水を引いていたため、水道が止まっても、水は確保できていた。友人には事前に訪問を伝えてあった。少しでも役に立てばと思い、すぐに食べられる物を両手に持てるだけ持って行った私たちを、その友人はまるで遠くから遊びに来た親せきを歓迎するかのようにもてなし、なんと私たちの到着時間に合わせて畑から収穫してきたトウキビを茹でて待っていてくれた。お腹がすいていた私たちのほうが助けられた。なんてこった。

 むかわ町で暮らす叔母は私たちの訪問に涙を流した。叔母の家は家財道具こそ揺れでメチャクチャに倒れたものの、建物自体は幸い無事で避難所に行かなくても自宅で寝起きできていた。しかもお店を経営しているので食べ物も豊富にあった。それでも私たちが持って行った食べ物を言葉に詰まるくらい喜んでくれた。叔母の家も水道が通っていたので私たちにコーヒーまで出してくれた。ヒビひとつ入っていない美しい白磁のカップで。

 話はこれだけで終わらない。後日、厚真町の友人から大量のお米とジンギスカンが届いた。御礼だという。なんてこった! むかわ町の叔母からは発砲スチロールの箱いっぱいのサンマが届いた。なんてこった、なんてこった!! 30尾はゆうに入っていたと思う。とても我が家だけでは食べきれないので、隣近所に「おすそ分け」した。

 こんな時でも、いや、こんな時だからこそなのか、「倍返し」を忘れない道産子。しかし、今度ばかりは度が過ぎている――。こっちが泣けてくる。

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