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宮台真司と考える「どうして日本の政治はダメになったのか?」 #4 日本の難点

テレビやラジオでもおなじみの社会学者で、東京都立大学教授の宮台真司さん。著書『日本の難点』は、最先端の人文知を総動員した「宮台版・日本の論点」と言うべき一冊。教育、メディア、政治、経済、日米関係、そして幸福とは……。宮台さんの考え方を知るうえで、「最初の一冊」としてもふさわしい本書より、一部を抜粋します。

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日本は事実上の「二権分立制」

誰もが知っている通り、アメリカは大統領制です。一八世紀前半に活躍したモンテスキューの『法の精神』に由来する三権分立による権力の相互牽制の概念は、実は米国大統領制に最もよく当て嵌まります。後で述べるように、立法と行政がこれほど真剣にぶつかり合う制度は他国にないからです。

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戦後の日本は、英国的な議院内閣制に倣ったとされます。英国的な議院内閣制は、実は三権分立でなく二権分立制です。司法権と立法権だけが対等に存在し、行政権は立法権に圧倒的に従属しています。ところが日本の教科書では「日本は三権分立だ」と教えられます。ここに誤解のもとがあります。

行政権が立法権に従属するとはこういうことです。[国民が選出した各議員・が選んだ首相・が組織した各大臣・が選んだ指名職・の下で働くキャリア官僚・の下で働くノンキャリア官僚]という直線的な権力の流れが存在するということです。さて、日本にはこうした権力の流れが存在するでしょうか。

正統性の観点から記述しましょう。三権分立の大統領制も、二権分立の議院内閣制も、司法権力以外は、共に国民が正統性の源泉になっています。司法権力の正統性だけは、成文法主義をとるにせよ先例法主義をとるにせよ、国民の意識するしないにかかわらず、歴史の中に正統性の源泉があります。

ところが、議院内閣制だと、国民による選出を正統性の源泉とする一本の権力の流れがあるのに対し、大統領制だと、同じく国民による選出を正統性の源泉とする権力の流れが、ホワイトハウス(行政)と議会(立法)との両方に、二本存在して、だから対等に衝突できる仕組になっているのです。

議院内閣制の場合、国民に端を発する流れが一本なので、国民という源泉に近いほど優位であるという枠組になります。だから行政(役人)は論理的に立法(政治家)の下に従属する存在である他ないのです。強いて三権分立と言える要素は、二〇〇八年に話題になった首相による解散権にあります。

なぜ憲法改正はできなかったのか?

ただこの解散権は、議院内閣制の本義に従えば、内閣を操縦しようとする議会が真に民意を反映したものかどうかを、内閣が国民に問う、という意味があります。だから、解散後にできた新しい議会が再び解散前の議会と同じ決定をすれば、そうした内閣を誰も相手にしないので、内閣は総辞職するしかなくなります。

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小泉純一郎の郵政解散(〇五年)は、郵政民営化法案が参院で否決されたため、衆院選挙で民意を確認すると同時に、衆院での三分の二以上の賛成で再可決を可能にするためのものでした。参院での否決を理由に衆院を解散して「国民投票」するのは「解散権の濫用」だ、という声が専らでした。

僕はそう断定するのは難しいと考えます。というのは、「解散せずに衆院で再可決を試みても内閣が企図する法案が通らないことが、現状では議席的に確実なので、そうした状況を支える議席配分が本当に民意を反映したものかどうかを問う」という大義が、決して成り立たないわけではないと思うからです。

むしろ憲政の本義に反するのは、シングル・イシューの「郵政解散」だった以上、議題が別のものにシフトして以降の議決を左右する議席配分が、逆に民意を反映しないものになることです。実際、小泉以降の安倍内閣や福田内閣や麻生内閣は、むしろ民意を問わないために解散を先延ばしにしています。

安倍元首相はそうした内閣で憲法改正を企てる愚昧さを晒しました。ブッシュ大統領が一般投票で勝てなかったがゆえに正統性問題に直面したのと同様、憲法改正に必要な立法意思の集約を儀式的な面をも含めて行うために必要な「民意を反映した議席」を持たない以上、憲法改正はできません

憲法改正はできないという意味は、形式的に改正できたように見えても、憲法は一般の法律と違い、リテラルな文面よりもそこに込められた立憲意思、つまり、統治権力の制御に関わる国民意思に意味の本体があるので――だから英国は成文憲法を欠いても立憲制なのです――安倍的改正では機能しないのです。

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日本の難点 宮台真司

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