「会いたい人」と今すぐ会う約束をしなさい #2 明日死んでもいいための44のレッスン
社会現象にもなったベストセラー『家族という病』で知られる、作家・エッセイストの下重暁子さん。著書『明日死んでもいいための44のレッスン』は、84歳(執筆当時)になった下重さんが、みずからの「死」について考えた一冊。「明日、死んでもいい。むしろ死という未知の体験が楽しみ」と明るく語る下重さん。いずれ訪れる死を穏やかに迎えるための知恵が詰まった本書より、一部を抜粋してお届けします。
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会いたい人に会えなかった日々
このコロナ禍に辛いことは何かといえば、会いたい人に会いに行けないことである。
99歳の母上が故郷青森の施設にいる女性編集者は、東京からは会いに来ないでくれと言われている。もし面会できるとしても、青森到着後、2週間の隔離を経てからだとか。仕事をしている彼女が行けるわけがない。
母上にもしものことがあったらと気が気ではないと言っていたが、当然だ。
昨年4月、軽井沢の山荘で深夜につれあいが階段から落ちた。救急車で病院に運ばれ入院したが、その瞬間から私は面会謝絶、東京から来たとわかると、必要なものも全て家から届けることはできず、売店で担当看護師さんに買ってもらうしかなかった。
人が集まる席に限らず、打ち合わせも会議もみなオンラインだと、血の通った会話ができない。
大事な人の死に目に会えなかった人、通夜も葬儀もできなかった例など枚挙にいとまがない。
私は日頃、あまり人に会えないから淋しいというタイプではなく、一人でいるのが好きなのだが、明日死んでもいいと思うためには、会っておきたい人は沢山ではないが、何人かいる。
日頃から、私は別れ際に「さよなら」とは言わない。「またね」と言った方が自分の気が休まるから、そうしている。
「今度はない」と思ったほうがいい
70代くらいからは、意識して人と会うようになった。
いつ、なんどき、会えなくなるかわからないという心もとなさを抱えるようになったからだろう。
約束をする時は、その場ですぐ決めるように努力する。そうしなければ永遠に決まらないからだ。やらなければならぬことは、「またね」ではすまない。
「今度ね」という言葉も昔よく使ったが、「今度とお化けは出たことがない」と言われるように、そんな言葉はあてにはできないのだ。
会いたい人、会わねばならない人とは、思い立ったが吉日で、すぐに日時を決めてしまうに限る。
決めておかなかったためにずるずる延びて、結局その人が亡くなってしまった、なんてことが最近でも何度かある。
年を重ねると、出不精になる。めんどくさくなって、つい延ばし延ばしになる。
つれあいのクラス会や私のNHKアナ時代の同期会など、最初は泊りがけだったのが、夜の会合になり、昼の会食になり、ついにお茶会になってしまった。
会っておきたい人が誰なのかわからない場合は、そういうイベントに参加するのも、一興だろう。
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