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作家志望者は変人だらけ…人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ! #3 作家刑事毒島

新人賞の選考に関わる編集者の刺殺死体が発見された。三人の作家志望者が容疑者に浮上するも、捜査は難航。そんな中、助っ人として現れた人気ミステリ作家兼、刑事技能指導員の毒島真理が、冴え渡る推理と鋭い舌鋒で犯人を追い詰める……。人間の業と出版業界の闇を暴く痛快ミステリ、『作家刑事毒島』。『さよならドビュッシー』を始め、人気作多数の中山七里さんが贈る本作より、第一話「ワナビの心理試験」の一部をご覧ください。

*  *  *

「あ、あ、あの下賤な下読みめ。言うに事欠いてわしの作品を中高生の作文もどきと同列に扱いよって。何が老年のマスターベーションか。何が鼻持ちならない自分語りだ。あの原稿用紙八百枚には、高度成長期という激動の時代を生き抜いた男の生き様が活写されている。この近江英郎が魂を削って作り上げた分身と言っていい。発表されるや否や必ず老若男女の心を打ち、主人公に自分を重ね合わせて奮い立つのは間違いない。そ、それをよくもマスターベーションなどとっ」

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近江がいきなり机に拳を叩きつけたので、明日香は反射的に肩を震わせた。

「流行りの軽薄なエンターテインメント、思わせぶり深刻ぶりの生っちょろい小説ではなく、日本全国民の指針となるべき平成の大ベストセラーになる傑作。それが器の小さな卑劣漢の思惑で、闇に葬られたのだ。この文化的な損失を贖うのに、あいつ一匹の命などでは到底足りるものではない。殺されただけで許されるものか。地獄の業火に焼かれるがいい」

三人目は牧原汐里という二十六歳の女で、千葉市内の会計事務所に勤務していた。ショートボブにフォックス・フレームの眼鏡が似合う理知的な顔立ちなので、明日香の第一印象はまずまず良好だ。

ただしそれも彼女が口を開くまでのことだった。

「あたしは百目鬼先生を殺していません。でも憎み足りないほど憎んでいたのは事実です。法律さえ許せば八つ裂きにしてやりたいほどでした」

「百目鬼さんに何かされたんですか」

「あたしの書いた作品をひどい言葉で容赦なく貶されました。あんなの講評でも採点でもありません。ただの悪罵です」

今まで堪えていたのか、汐里の目にはみるみる涙が溜まり始めた。

「ひ、人が心血注いで書き上げた原稿なのに、資源ゴミだとか時間の無駄遣いだとか。講座の受講生だから、あたしが真剣に作家目指しているの知ってるくせに」

「百目鬼さんとは以前からお知り合いなんですか」

「小説講座の講師と受講生なので、年に二回、作品の講評をもらっています」

「結構、親しかったんですか」

「特に親しかった訳ではありません。あたしは百目鬼先生のケータイの番号も自宅も知りませんから」

「講師と受講生なのに?」

「講師の自宅や連絡先を教えると、皆が押し掛けるからって非公開なんです」

「でも書いたものを貶されたくらいで八つ裂きにしてやりたいというのは、ちょっと大袈裟じゃないんですか」

「刑事さんには創作者の気持ちなんて理解できないんです!」

そして汐里もまた拳を机の上に振り下ろした。ひょっとしたら小説講座というところは小説の書き方ではなく、机の叩き方を教えているのだろうか。

「あたしは表現者になるために生まれてきたんです」

「でも、ちゃんとしたところに就職してるじゃないですか」

「会計事務所の事務職なんて誰でもできる仕事です。あたしにはあたしにしかできない表現、あたしならできる表現があるんです。同世代の女子のリアルを形にする才能があるんです。牧原汐里は平凡な会社員だけど表現者藍川しおりは絶対的な存在なんです。それを百目鬼先生や公募の選考委員は全然知ろうとしてくれないんです!

いいですか刑事さん。現在、文学は衰退したと言われているけれど決してそんなことはないんです。確かに既存の文学はポストモダン以降は凋落の一途で、出版不況と相俟って小説がただの消費財になってしまった趨勢は否めません。でもそれは表現者と出版社の矜持と覚悟があれば、すぐにでも引っ繰り返すことが可能です。たとえばあたしの書き上げた作品はどこにでもいるような普通のOLが日常の呪縛から解き放たれて新しい生き方を模索するというスタイルなんですけど、単なる自分探しの旅じゃなくて、深い思索と哲学的な思考実験を繰り返して人間の実存に迫ろうという狙いがあります。口当たりはいいけれど精神内部にじわじわ効いてくる毒のような小説なんです。

そこらにある自己啓発本みたいな読者迎合じゃなくて、あたしという人間は何者でどこから来てどこに行くのか、原初から文学の背負っている大命題を、あたししかできない切り口で拓いた壮大な物語なんです。出版されたら必ず芥川賞が獲れます。それが百目鬼先生には脅威だったんです。だから心にもない悪罵の言葉を並べ立てて、この成果を握り潰そうとしたんです。そんなことが許されると思いますか? だからあたしは便箋四十五枚に亘って、それがどんなに愚かで野蛮なことかを認めました。ところが百目鬼先生ときたら……」

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三人から話を聞いただけなのに、まるで十人分の聴取を終えた疲労感が背中に伸し掛かる。明日香は自分のデスクに戻ると、突っ伏した。

「どうした、ガソリン切れか」

そう訊いてきた犬養を、明日香はきっと睨む。

「どうして犬養さん、交代してくれなかったんですか」

「最初から助けていたら訓練にならんだろう。たった三人で、もうへたったか」

「精神的にキツいんです! 心が挫けるんです! 人間の腐敗臭を無理やり嗅がされたみたいで。作家志望者ってみんなあんな風に性格捻じ曲がってるんですか」

すると犬養はついと視線を逸らした。

「まあ、まともなのはあんまりいないよな。普通の社会生活に不満で小説なんか書こうってヤツらなんだから」

その口調でぴんときた。

「……知ってたんですね、作家志望者がどんなキャラクターなのか」

「前に一度だけ担当したからな。ヤラセ受賞でデビューした篠島タクが作家志望者に殺された事件だ」

明日香が捜査一課に配属される前の事件だが、マスコミが騒いだのでよく憶えている。

「あの事件で出版業界には魑魅魍魎が棲んでいるのが分かった。世間の常識や商習慣が通用しない世界だと分かった」

「それならどうして」

「正直、あまり関わりたくない」

呟くように洩らした言葉は本当に嫌そうだった。普段、一貫して鉄面皮の犬養がこれほど嫌悪感を露わにするのだから、出版業界の闇はまだまだ深いに違いない。

このままでは自分一人が専従にされそうな気がして、慌てて麻生の方を見る。すると麻生までもが顔を逸らす。

「まあ、そろそろ高千穂主体で動いてみてもいいかもな。犬養のサポートがあれば、さほど不安はあるまい」

「班長。俺も他の事件抱えてるんで、それほどきめ細かなサポートは期待しないでくださいよ」

「そう言やそうだったな」

「班長!」

悲鳴のような声を上げると、渋々といった体で麻生は考え込む。どうやら犬養以外のサポート役を思案しているようだった。

そして、思い出したと言わんばかりに両手を叩く。

「いたぞ、うってつけの人材が。出版業界に滅法強い刑事」

「捜一にそんな人材なんて……ああ」

犬養も合点顔で頷く。

「よし、高千穂。この案件、毒島さんに参考意見を聞いてこい」

「ブスジマさん? 誰ですか、その人」

「毒の島と書いてブスジマ。お前が配属された後は、週一でしか顔を出さなくなったから知らんのも無理はないか。犬養のトレーナー役だった人で俺の先輩でもある。一昨年、ちょっとしたことで退官したんだが、すぐに刑事技能指導員として再雇用された」

「どうしてその毒島さんが出版業界に強いんですか」

「お前、最近本屋に行ったことないか。売出し中のミステリ作家で毒島真理って新人」

あっと明日香は短く叫んだ。

「知ってます。確か二年前に新人賞を獲ってデビューした毒島真理! あの作家さん、ウチの刑事だったんですか」

「本名はマサトなんだが、シンリと読ませてペンネームにしている。もう二年も業界の垢に塗れているんだ。貴重な意見がたっぷり拝聴できるぞ」

「公務員の副業は地方公務員法で禁止されてるんじゃないんですか」

「例外があるんだよ。著述業とかの許可基準を満たした職種なら、任命権者の許可を得られることになっている」

「それにしたって捜一所属なら、ここに毒島さんを呼んで皆で話を聞けば済む話じゃないですか」

すると麻生は慌てたように頭を振る。

「いや、あの人、今は作家業の方が忙しいみたいだし……」

どうにも歯切れが悪いので、次は犬養に振ってみる。

「じゃあ、犬養さん一緒にどうですか」

その犬養の表情が見ものだった。まるで罰掃除を命じられかけた子供のような顔をする。

「俺は、いい」

そして逃げるように刑事部屋を出ていった。

理由を尋ねたくて麻生を見ると、いつも威圧的なこの上司が珍しく困惑している。

「あいつにも苦手な相手がいるんだよ」

「……あの、その毒島さんって何か問題があるんですか」

「刑事としてはとびきり優秀だ。犬養をああいう刑事に育てたし、能力が認められたから技能指導員に推薦されたんだ。ただなあ……」

「ただ?」

「いみじくも毒島さん本人が言ったことがある。才能と性格は全く別物だとよ」

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『作家刑事毒島』 中山七里

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