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あたいが学んできた世界 #2 ずる賢く幸せになる

まずゲイバーについて。

ゲイバーはゲイが経営するバーで、いわゆるセクシャルマイノリティの方々がメインで来店される楽しい場所よ。場所によっては女性も入れるので、普段は男性よりも性的な話がしづらいとされているノンケ女性にとっても楽しめるお店がある。

なによりやっぱりまだまだ同性愛者だって打ち明けづらい世の中だから、世間でゲイだと隠して生きる人にとっては、バー店内では自分を異性愛者だと偽らずに済むし、数少ないゲイ同士の出会いも生まれる貴重な場所だった。あと他のマイノリティに属すような人にとっても《生き生きとしている少数派》の集う憧れの空間であったと思うわ。輝いてるゲイが多かったもの。スター的な意味でも、化粧のラメ的な意味でも。

そしてそもそもゲイバーという場所は、日々家庭や会社、学校などのコミュニティで消耗している疲れ切った人たちの憩いの場でもあるの。頭空っぽにしてカラオケやお酒で盛り上がり、現実を忘れて会話を楽しむことができるし、会社の付き合いで行くような飲み会や接待と違い、店の人間が全力で楽しませてくれるからね。エンターテイメント的な役割もあるのよ。だからそこで働くプロのゲイはコンパニオンってわけ。若い読者の方がいたら古いワードセンスをどうか許して。

それとノンケ(異性愛者)でも《男性だから》《女性だから》というジェンダーの規範に苦しむ人は多いわよね。あの場所では生き方や考え方に信念や信条がある人もカウンターの内外問わずいた。もはや振り切れたゲイやトランスジェンダーの方もいた。取ったキンタマの写真を見せびらかすニューハーフさんもいた。あれはすごかった。

だからこそ自分の悩みも相談できるし、打ち明ける勇気がもらえるの。悩みと戦うのは自分だけじゃないという孤独を埋め合わせてくれたり、抱えるものをオープンにできる非日常で解放的な役割も担っていた。それがゲイバーだった。

ゲイ風俗もボーイ(従業員)やお客様にとって、ゲイだという自己のアイデンティティをさらに認めることができるお店だった。同性同士で性行為をするという秘密の共有的な部分では、裸で向き合う以上に身も心も密接していた。お互いに本名すら分からないまま、表舞台では明かせない自身のセクシャリティを赤裸々に明かし、夢のような時間の終わりがくれば共に日常の世界に戻っていく。そこには裏表の顔を切り分けるという解放感と安心感があった。だからオキニのボーイが辞めてもゲイ風俗を引き続き利用する人は多い。そこを心の拠り所にしているからこそ、表の生活に励むことができるのだから。

そしてゲイ風俗にはお客様と話し合う時間も多かった。多くの店で最短とされる60分コースでも、常にすけべしているわけではない。トークが肝心で、それを目当てにする人も多い。

よく驚かれるが、ゲイ風俗にはほとんどの店にお泊りコースといって、朝までお客様と過ごす指名も備えてあった。もちろん全ボーイが対応するわけではなく、そこは本人の意思や裁量によって対応するかどうかは選べたけれど。

そんな長時間のコースも需要は大きく、回数を重ねて指名してくれたリピーター様ほど共に旅行するために貸切指名をとってくれることもあった。

そうなれば性行為よりも共に過ごす時間の方がメインになる。そこで様々な業界で働く大人や、様々な生き方をしてきた人生の先輩であるお客様から聞ける話は、とても価値あるものだったとあたいは感じている。芸能関係者や役員などの大御所、地位の高い役職や、格式ある職業に就く人のみならず、自分が経験したことのない仕事をこなす大人すべての話が勉強になった。

あたい自身、職歴としてゲイ風俗にいたことを声高らかに話すものではないと感じるが、ほかの同年代の子が普段関わることのないような大人と過ごせたことは良い経験だったと考えているし、長く在籍することによって、あの世界が性欲を解消するためだけの場所ではなかったと自信を持って言えるようになった。風俗や水商売への《金と欲と愛憎に塗れた場所》という冷たい偏見は年々なくなっていった。

それにボーイ自身にも、同年代のゲイたちと一緒に同じ場所に在籍するという環境は、地元や学校などのコミュニティとはまた違う安心感があったと思う。大学のサークル活動のように、みんなでご飯を食べたり、控え室で鍋をつついたり、初詣や旅行に行ったこともあった。家族にも話せないような好みの男性の話だってできた。ちなみにあたいよりえげつないすけべは年2、3人はいた。

あたいが見てきて感じたゲイ風俗は、在籍者にとってもお客様にとっても《仲間と一蓮托生になる》という安心感を得られる場所で、ボーイもそのための空間と時間と、そして関係性を提供するスペシャリストとして働いていた。

ここまで話してきたようにゲイバーとゲイ風俗には、どちらの場所にもただ性を開けっ広げにするという単純なものに収まらない、人の想いを受けとめ、聞き出し、救って認め合う空間と人が存在していたわ。

これが水商売や風俗の需要がなくならない理由の一つでもあり、また誤解されがちな《ラクに稼げる世界》という考えを払拭する大きな一要素でもあると思う。人間関係を疎ましく思わず、他人への敬意を持ち、どうすれば人に満足してもらえるか常に学び続けている姿勢が、あの世界で《ずっと食ってる人たち》の中には確かに共有されていた。

人間関係のプロフェッショナル

きっとこれらの業界に従事した人や、その関係者に深く関わり、救い救われた人間なら頷いてもらえる主張だと思う。もちろんなにも大袈裟にも贔屓目にも言ってないわ。

本当に、おもてなしのプロフェッショナルが必要とされる世界だった。

プロフェッショナルと言えば仕事やビジネス、技能や職人の世界においてよく使われている言葉でもあったりするけれど、そういった世界での営業やプレゼン、技術習得やこだわりの仕事だけにとどまらず、対話や議論、情報発信や教育・啓蒙、交友や親睦そして恋愛や家庭などの人間関係──つまり人と繋がって、人と面を合わせて生きるということにもプロフェッショナルは存在すると思うの。だってそれらが上手ければ講演家でも芸人でも生活できるだろうし、巧みに生きる人ならプロのヒモとして悠々自適な愛人生活を過ごすことができるのだから。

そしてそのスキルで食べていくだけに留まらず、仕事の中で大成する人も、得てして人付き合いを成功に収めている。

例えばほら、あなたの周りにもいないかな。

人ったらしで立場や男女問わず好かれて信頼を集め、ビジネスでもプライベートでも人を喜ばすことを得意とし、人との関係を発展させる術に長けている《人間のプロフェッショナル》が。

そしてそんな人たちが職場やコミュニティで成功し、人に囲まれ愛される姿に憧れを持って、「自分もあんな風に上手く生きたい」と切望し、《自分も変わりたい》と感じたから、この本に手を伸ばしてくれたんじゃないのかしら。少なくともまだ《生き方》と《努力する方向》に迷いがないと、メンタルテクニック的な実用書は視界に入らないと思うから。

あたいもそうだった。

ゲイ風俗に入店した当時のあたいは大学の入学費や当面の学費、そして自分一人食うだけの生活費などの差し迫ったお金を稼ぐ必要もあったし、その上でさらに未来を見据えるための安定した自分の能力が欲しくて焦っていた。若いうちは水商売もしやすいし、年上からのサポートも受けられるが、年齢を重ねると、そうはいかなくなってくるとなんとなく理解していたから。だから、仕事も成功して生活も安定して、そして人に囲まれる職場の先輩がうらやましかった。自分もそんな風に年齢を重ねたいと感じた。

だけど、そんな人気者を見ていると、決して人間は経歴や肩書きだけじゃないんだなと感じるようになった。

ゲイ風俗もゲイバーも実力主義の社会だったから、いくら今までの経歴があろうと売り上げにはほぼ直結しない。そこでは肩書きや経歴よりも《人間力》というざっくりしたものが確実に幅を利かせていると、あたいは肌で感じていた。

何よりこの人間力という能力は、お金や売り上げだけでない、目に見えないものの方がたくさん得られるってことも知った。

例えば衝突や争いから身を守る力、面倒なトラブルを避ける力、支えてくれる仲間や何かあった時の味方に恵まれる人間力。相談できる信頼のある人に出会うことや、人情的な繋がりもこの人間力があるからこそ生まれる。人との出会いは運って要素ももちろんあるけれど、その巡り合わせを掴み取って自分のものにするのには力が必要だと思う。

今の世の中、正直言って真面目に一人で粛々と実力をつけるだけじゃやっていけないことも多いと、あたいは感じている。いや昔からきっとそうだった。資格や学歴、学閥や縁故、それらももちろん強い要素だけど、入り口に立つキッカケにしか過ぎない。

あたいは社会人時代にうつ病になっているからなんとなく理解したんだけど、社会に潰されないように物事を運ぶには、自分の実力とそれを信頼して集まってくれた味方や支えが必要で、それらが揃ったときにようやく成功が見え始め、何かトラブルがあっても身も心も守ることができるんだと思うの。

肩書きや資格は目に見えて自分についてきてくれるし、人に自分がどのように生きてきたかという説明もしやすい。何より自分自身、実績の一つとして自信にも繋がる。

あたいは幼い頃に《自分が男性が好き》なんだと気づいたけれど、オカマという差別的なニュアンスで使われるワードだけじゃなくゲイという言葉があると知ってからは、男性として男性に恋愛感情を持つ自分をキッチリと言い表すことができるんだと分かって安心したもの。肩書きは人に対して強い影響力を持つわ。

でもそれは自分の一部を表す言葉であって、結局あとは自分がどうなのか、なんなのかっていうのは深く掘り下げて言葉や行動に出さないと表せられない。ゲイは自分の一部であってすべてではないし、ゲイという生き物はいないのだから。

みんなもそうでしょう。例えば日本人という生き物も、女性・男性というだけの生き物も存在しない、そんなのは自分の一要素の名称だし、それに拘っていればただのレッテルになって、自分をがんじがらめにしてしまうこともある。男性だからこうすべきとか、社会人なら、主ふならこうすべきだとか、日本人はかくあるべしだとか、おしなべて考えれば自分という個々の生き物まで潰れてしまう。

確かに人間力なんて目に見えなくて、肩書きにも実績にも表現できない。せいぜい周りからの「信頼できる人」という曖昧な評価だけ。自身の視点からはどれだけ成長したかも分からなくて不安になるけれど。

それでもいつか物事を切り抜けた時に、過程も含めた結果として自分についてきてくれるものだと思う。

昨今のハイスピードな潮流の肩書き社会で、《人間力》だなんて曖昧で、後からしか分からないものを育てて伸ばすだなんて不安に思うかもしれない。だけど蔑ろにすべきではないとあたいは確信している。

回り道のような人間の土台づくりを、改めて大事にしたいとこの本で感じていって欲しいの。

それがあたいがこの本で目指すもの。

自分を大事にできる生き方──《ずる賢い》という人間力で得る幸福な生き様。

あたいが学んだ《人との繋がり方》の方法の一つを皆様に伝えて、みんなにはその方法を自分なりに取捨選択して活かして貰えたら、あたいはすごく嬉しい。

ここで最後に。

あたいは人に自分の考えを教典のように教え導き、自らその啓蒙の先を歩みたいというわけではなく、

《みんながより良く生きる世界の方が、回り回って自分も生きやすくなる》

というわりと等身大な、小さな野望を持ってこのお仕事を引き受けたの。

この本に記した言葉の一つでも、誰かの心に引っかかり、わだかまりを溶かし、そして気分が晴れたり、生きづらさを解消したり、業績や成績が改善されるなどして、一人でも多くの人が前を向いてくれたら願ったり叶ったり。

だって、あなたといつか出会った時に、あなたが笑顔だった方があたい幸せだもの。

その時は笑顔を携えて、あたいが未来に経営するゲイバーで、一緒に楽しくお酒が飲めたら幸いです。

年表

◇ 次回は明日20日(日)公開予定です! ◇

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もちぎ『ずる賢く幸せになる』

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