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どうしても生きてる|健やかな論理 4|朝井リョウ

齋藤 @saito_saito_saito 11月24日

帰りにデパ地下寄ったら軽率に財布の紐緩んだ。先輩からもらった酒もあるし、ちょっと豪華な晩酌でもしようかな。

 JR○○線で人身事故 27歳の男性会社員、ホームから飛び込み死亡

 24日午後7時ごろ、△△県××市□□町のJR○○駅で、××市の会社員男性(27)が回送列車にひかれ、死亡した。所持品から身元が判明した。

 ××署によると、男性はホームから線路内に飛び込んだとみられる。同署で詳しい状況を調べている。

 事故や自殺のニュースを目にした途端、その死亡者のSNSのアカウントを特定するようになったのは、いつからだろうか。前の夫から離婚しようと告げられた日がきっかけのような気もするし、そんなこととは関係なく、SNSが流行する遥か昔から頭の中では行っていたような気もする。

 初めて死亡者のアカウントを特定できたときに感じたのは、自分でも驚くくらいの安心感だった。人がいなくなることに前触れなんて何もない、という、健やかさからかけ離れた論理を視覚的に実感できたとき、いつだってずっと少しだけ死にたいような自分に暖かい毛布を被せてもらえたような気持ちになった。

 個人を特定する能力は、回数を重ねるうちにどんどん上昇していった。死亡者は基本的に名前が報道されない。だが、その事故や自殺に関連する単語で検索をかければ、死亡者の友人だったり同僚だったり、何らかの関係者の投稿がすぐに見つかった。殊ことに学生の特定は簡単だった。死亡者と同じ学年、同じ部活の子などが見つかれば、あっというまに彼ら彼女らがフォローしているリストの中から本人のアカウントを特定することができた。最近はロックをかけている人も多く、なかなか簡単にはいかないケースも増えたが、中にはご丁寧に「昨日はこんなやりとりもしてたのに、やだ、信じたくない」なんて、なぜか最も傷ついているのは自分だと言わんばかりのコメントと共に死亡者との直近のやりとりを引用投稿している人もいて、その過剰で簡易な弔いはこちらとしては本当にありがたかった。

 なんてことない投稿を最後に更新が止まっている様子は、突然ぶった切られた人生の断面図をこちらに見せつけているようで、爽快だ。同時に、まだ乾いておらずぬらぬらと光っているようなその断面は、日々〝死ななかった〟という籤くじを引き続けているだけの、自分自身の生の不安定さそのものだと感じた。

 マッチングアプリで知り合った男と待ち合わせているとき、トイレの便座に腰を下ろしたとき、眠りいる前。ふと気づいたら、報道からわかる地名、年齢、性別などの条件をもとに、インターネットの海に広がる何千万という命をかきわけ、ついさっき知ったたった一つのそれを目指してわき目もふらず突き進んでいる自分がいる。その作業を経るたび、同じアカウントなんて一つもない、つまりすべての命はこの世界で代替不可能な唯一のものなのだと実感するのだが、その実感が頂点に達する瞬間はつまり最期の投稿を見つけた瞬間でもあるわけで、代替不可能な唯一の命が消えたあとも回り続ける世界が同時に襲ってくるという強烈な二律背反に、心は甘く震える。

 誰もいない部屋に届く再配達の段ボール。

 友達とも恋人とも家族とも誰とも共有しない独りの時間に潜む、圧倒的幸福。

 そばにいてくれる人と繫がりながら襲い来る、今すべてが終わってしまえばいいという強大な破滅願望。

 発生した原因に悪意の欠片も過去のトラウマも何もない、人を傷つける言葉。恵まれない子どもたちのために学校を建てたその手で握る性器やナイフ。

 健やかな論理から外れた場所に佇たたずむ解しか当てはまらない世界の方程式は、沢山ある。

「おい、内線」

 電話の音が鳴り響く。

「はい、えーっと、ちょっと待ってね、デスクにいるはいるんだけど」

 隣に座る管理室長が、受話器を片手にこちらを見ている。私はそこでやっと、自分宛の内線電話を室長が代わりに取ってくれていることに気づいた。

「なんか午後からずっとぼーっとしてない? 大丈夫? 電話繫ぐよ?」

 一度無駄に室長を経由させてしまった内線はシステム課からのもので、以前から改善をお願いしていた部分のヒアリングをもう一度したいという内容だった。話を終え、電話を切り、「すみませんでした」と室長に頭を下げる。

「体調悪いなら診療室行ってきたら? 今ならギリギリ開いてるし」

 室長はちらりと時計を見ながら言う。いつの間にか、あと十数分で定時のチャイムが鳴る時間だ。

「なんかぼーっとしちゃってただけで、体調悪いとかじゃないんです、ほんとすみません」

 代わりに内線取らされるとかあんま経験ないわ、と笑う室長は、ミスさえしなければ何も言ってこないし、上司として、異性として、こちらの心が削られるようなコミュニケーションを仕掛けてくることもない。自分が暮らす世界には、ネットニュースを騒がせるような、ツイッターで何万人にリツイートされるエピソードを掲げるような悪人はいない。

 だから幸福なわけでもないけれど。

 実加との昼食を終えたあとも、特に緊急でやらなければならないことは発生しなかったので、引き継ぎ書の更新を続けた。夕方に一件、営業部の予算にまつわる会議があったけれど、資料は前日のうちに作っておいたし、会議中は特に意見する役割を求められていないのでただ静かに座っていた。デスクで数十分おきに新着メールを確認するついでにアクセスしていたニュースサイトには、午後の間だけで、過労死や働き方改革という単語の交ざったトピックスが新たにいくつか表示された。若い息子を亡くした母親の訴えに本気で胸を打たれながら、季節を問わず温度の調節された場所で定時に鳴るチャイムを待つ自分がいる。

 あと少しでチャイムが鳴る、というところで、ついに、更新すべき箇所がなくなってしまった。

 私は椅子の背もたれに体重を預け、まるで緊急性のある業務を無事やりおおせたかのように両腕を思い切り伸ばした。一日、一週間、一か月、三か月、半年、一年、それぞれの大きさで波打つ業務のすべてを、襞(ひだ)に分け入るような細やかさで説明し終えてしまった。文書が表示されているディスプレイを、少し遠くから眺める。不当なほど大きな満足感が湧いてくる。

 文章量も勿論だが、画像を沢山貼り付けたので、ワードファイルとはいえかなりの容量になった。ぽきぽきと背中の骨を鳴らしながら、部が持つ共有のコピー機にICカードをかざす。ざーっとトレイに飛び出してくるA4用紙は、できたての料理のようにあたたかい。

 最後の一枚が出てきた。私は、十数枚の紙の束を、右手のひとさし指と親指でつまみ上げる。

 厚さにして数ミリ。重さにして数十グラム。

 これさえあれば、いま私が何の理由もなく消え失せたところで、世界は滑らかに続いてくれる。

 チャイムが鳴った。

 と思ったら、それは電車の発車メロディだった。

 気が付いたら、駅のホームで電車を待っていた。いつの間にか、退勤していたらしい。きちんと打刻をしたのだろうか。あまり覚えていない。摑み逃した川魚の尾のように、鼻先からつるんと、煙草の臭いの最後の一粒が逃げていく。ああ、この臭いがするってことは、オフィスビルの裏にある喫煙所のそばを通ってここまで来たみたいだ。いつも通りの行動。ならば打刻もしたのかもしれない。

 電車が来た。だけど足が動かない。電車がまた、いなくなる。

 私は、立っているだけの体から、それ以外に必要な力がずるりと脱落していくのを感じた。

 帰路に就いたところで、何がどうなるのだろう。

 週明けからは締め作業が始まるので、毎月のルーティーンワークとしての業務が発生してくれる。ただ、明日金曜は一日、何をしていよう。会議が一件あったけれど、それは総務部主催の防災会議に営業部代表で参加するだけなので、特にやるべきことはない。というか、あのフロアにいる人全員、本当に朝九時からずっと、何らかの仕事をしているのだろうか。

 電車が来た。だけど足が動かない。

 腕時計を見ると、まだ十九時を回っていない。今から家に帰ったとして、誰かと何か約束をしているわけでもない。というか、地元を出て、社会人になり、結婚し、離婚し、いつの間にか、わざわざ約束をして会うような、おそらく友達という名のつくような人が、私の人生からこっそりといなくなっている。

 腹が鳴る。

 私は、風に少しだけ揺れる前髪の中で冷蔵庫の中身を思い出す。賞味期限が怪しいものから順に、いくつか思い浮かべてみる。それらを組み合わせてできそうなものを頭の中に並べてみる。

 あれ?

 今度は、最寄り駅からマンションまでにある道のりを想像する。通り過ぎる飲食店を、ひとつひとつ、頭の中に並べてみる。

 電車がいなくなる。

 頭の中からも、何もいなくなる。

 お腹は空いているはずなのに、食べたいものが何なのか、全くわからない。

 からっぽの線路に、もう何度乗り過ごしたかわからない、同じ形の電車が入り込んでくる。

 もう、いっか。

 まっさらな思考に、もう何度見たかわからない、お気に入りの画像たちが流れ込んでくる。

ゆーじ@田舎移住&仮想通貨ブログ @YUJIYUJIYUJI 2月18日

スポンサーしてもらってるモリケンさん(@ken_mori_beyond)から教えてもらったゲームアプリ、記事書きの気分転換にと始めたんだけどやばい……タスクいっぱいあるのにやっちゃう……ポケモンGO以来のドハマりの予感……もう少し遊びこんでから攻略ブログでも書こっかな(仕事しろ)

 21日午後4時40分ごろ、○○市××の市道で、△△県○○市の自営業男性(32)が運転する乗用車が道路左側のコンクリート壁に衝突、男性は頭などを強く打って死亡した。近隣の店舗が設置していた防犯カメラの映像によると、車はある地点から突然スピードを上げており、衝突時には時速80キロほどに達していたという。○○署は自殺の可能性も含め、事故原因を調べている。

 死亡者のSNSのアカウントを特定できたときは、決まって、その人の最期の投稿をスクリーンショットする。そして、そのアカウントを見つけ出すきっかけとなった死亡記事の画面に戻り、それもスクリーンショットしておく。そうすると、ひとさし指を数センチ横にスライドさせるだけで、健やかな論理から見事に外れた瞬間たちが、滑らかに連なるのだ。

 何気ない投稿、死亡の報道、何気ない投稿、死亡の報道。

 マッチングアプリで知り合った男と待ち合わせているとき、トイレの便座に腰を下ろしたとき、眠りいる前。恭平に触れられている最中、母がレストランに来る前、実加とランチをしたあと。いつも見ている滑らかな連なりが、いつもよりもずっとずっと速い、電車だってすぐに追い抜いてしまうようなスピードで、どんどん視界に流れ込んでくる。

なつきたかはし @natsuki___TKHS 9月26日

今日あやと撮った動画まじウケたけどたぶん乗せたら怒られるやつっぽいからやめとく笑 見たい人いいねしといて学校で見せるわ笑 てかDAMやったらアニマルボーイズの新曲入っとったー!!!

 27日午前3時半ごろ、○○県××市△△町の15階建てマンションの住民から「音がしたので見てみると、女の子が倒れていた」と110番通報があった。○○県警××署員が駐車場で全身から血を流して倒れている県立高校2年の女子生徒(17)を発見。女子生徒は頭などを強く打ち、搬送先の病院で約1時間後に死亡が確認された。

 同署によると、女子生徒はこのマンションの14階に家族と住んでおり、自室のベランダの手すりには女子生徒のものとみられる手の跡があった。同署は飛び降り自殺を図った可能性があるとみて調べている。遺書などは見つかっていない。

 私は鞄からスマホを取り出す。

 最新のお気に入り画像を、指一本で呼び出す。

齋藤 @saito_saito_saito 11月24日

帰りにデパ地下寄ったら軽率に財布の紐緩んだ。先輩からもらった酒もあるし、ちょっと豪華な晩酌でもしようかな。

 JR○○線で人身事故 27歳の男性会社員、ホームから飛び込み死亡

 24日午後7時ごろ、△△県××市□□町のJR○○駅で、××市の会社員男性(27)が回送列車にひかれ、死亡した。所持品から身元が判明した。

 ××署によると、男性はホームから線路内に飛び込んだとみられる。同署で詳しい状況を調べている。

 午後7時ごろ。ホーム。

 何度も見つめた文字が、網膜に焦げ付く。

 自分が今いる場所。

 なんか、もう、いっか。

 って、思ったんだろうな。

 わかるな、なんか。こういうことがあった辛くてたまらないもう死にたい死にたい死にたいって助走があるわけじゃなくて、ふと、なんか、別にもういっか、ってなる瞬間。いきなり風が吹いたみたいに、わって。よくわかんないけど、めちゃくちゃよくわかる。

 並んでいた列が、動いたような気がした。自分の前には誰もいないのに。

 ひとり分、スペースを詰めるみたいに、私は一歩、前へ進む。

 そのときだった。

〈恭平 新着メッセージがあります〉

 画面上部に、そんな通知が表示された。

 指先で触れる。

〈早く仕事が終わったから、デパ地下寄ったら軽率に財布の紐緩んだ。もらいものの酒もあるし、ちょっと豪華な晩酌でもしようかなって思うんだけど、ウチ来ない?〉

 画面に触れている指先が、その場に突き刺さったように、動かない。

 この指を動かしたくない。

 私は、恭平から届いた、知らない誰かの最期の投稿とほとんど同じ文章を見つめながら、そう思った。

 指を少しでも動かしてしまえば、いつもみたいに、その言葉を放った人がこの世界からいなくなってしまう気がする。

 いなくなってほしくない。

 私は、いきなり風が吹いたみたいに、わっと、そう思った。

 すると、どん、と、前に並んでいた人に体がぶつかったような気がして、足が止まった。自分の前には誰もいないのに。

 電車が来る。風に前髪が舞い上がる。

 白い線の内側へお下がりください。そんな声が聞こえてくる。

 好意を伝え合ったわけでも、付き合っているわけでもないのに、都合よく体の関係を結んでいるだけなのに、いなくなってほしくないと、突風に飛ばされるように思った。

 電車がいなくなる。頭の中には恭平がいる。

 あるとき何の前触れもなくこの世界から消えてしまいたくなるときがあるように、何の前触れもなく、この世界にいる誰かを想う自分の存在を熱烈に感じるときがある。いつだって少しだけ死にたいように、きっかけなんてなくたって消え失せられるように、いつだって少しだけ生きていたい自分がいる、きっかけなんてなくたって暴力的に誰かを大切に想いたい自分がいる。

 白い線の内側へお下がりください。

 私は、白い線を後ろ向きに跨ぐと、恭平の家へと繫がる線路を探し始める。こんなふうに、ものすごく愛しさが爆発している数日後に、会うために着替えたりすることすら億劫に思う自分を私は知っている。健やかな論理だけでは成立させられない人生だからこそ、1足す1の答えとして真っ先に2を選ぶ瞬間の輝きに、張り倒されそうになる。

 なんだかわからないけれど、とても会いたい。そう伝えられればよかったのかもしれない過去が、今の私を次の線路へ導いている。

*   *   *

(続きは、明日発売の『どうしても生きてる』本編にてお楽しみください)

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『どうしても生きてる』刊行記念
朝井リョウさん サイン会実施決定!


10月18日(金)丸善 丸の内本店にて、本作の刊行を記念して、著者の朝井リョウさんによるサイン会が実施決定!
こちら、ご参加には整理券が必要になりますので、詳しくは下記をご確認ください。

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■概要
日時:10月18日(金)19:00~
場所:丸善・丸の内本店 2F特設会場
定員100名様
要整理券(電話予約可)

■参加方法
○丸善・丸の内本店和書売場各階カウンターにて、対象書籍をご購入でイベント参加ご希望の先着100名様に整理券を配布いたします。
○発売前はご予約にて承り、書籍ご購入時に整理券をお渡しいたします。
○ご予約およびお取り置きいただいた方には、3Fインフォメーションカウンターにて書籍と整理券をお渡し致します。
○整理券がなくなり次第、配布終了といたします。

■注意事項
○整理券はお一人様1枚までとさせていただきます。
○写真撮影・録音・録画等は、ご遠慮下さい。

■対象書籍
『どうしても生きてる』(朝井リョウ著/幻冬舎刊/1,600円+税)

■ご予約およびお問い合わせ
丸善・丸の内本店 和書グループ 
03-5288-8881(営業時間 9:00~21:00)

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