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三島由紀夫を自決に追い込んだ「完璧主義」という異常心理 #1 あなたの中の異常心理

完璧主義、依存、頑固、コンプレックスが強い。どんな人にも、こうした性質はあるものです。しかし、それが「異常心理」へとつながる第一歩だとしたら……? 精神科医・岡田尊司さんの『あなたの中の異常心理』は、私たちの心の中にひそむ「異常心理」を解き明かす一冊。何かとストレスの多い今、自分の心をうまくコントロールするためにも読んでおきたい本書から、一部をご紹介します。

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あなたの中にもひそんでいる?


完璧主義者は、頑張り屋である。理想の完璧な達成を目指して、何事に対しても人並み以上の努力をする。うまくいっているときには、それが健全に機能し、すばらしい業績や達成に役立つ。

しかし、いったん躓き始めると、完璧主義者の完全を求めようとする欲求は次第に変質し始める。まったく無意味なことや、結果的に生活を行き詰まらせて自分を苦しめることに、頑張ってしまうことも少なくない。
 
頑張ってしまう人は何に対してであれ、手を抜けないのだ。それが、ときには自分を損ない、破滅に追いやるものであることも稀ではない。

このタイプの人にとって、何事も手を抜かずに頑張ることこそが存在の証しなのである。ときには自分の死を実行するために、頑張ることもある。緻密な計画を立て、それを完遂する。
 
完璧主義の人にとって、些細な失敗や期待はずれな事態さえも、大きな心の打撃となりやすい。完璧主義の人は、人生が上り坂のときにはとても強みを発揮し、とんとん拍子で成功の階段を駆け上っていくが、下り坂になったときに脆さをみせやすいのだ。
 
世間一般からみれば、成功の絶頂にあるとしか思えない人が、あっけなく自殺してしまうということがある。そうした場合に、しばしばみられるのが、完璧主義が逆回りに作用してしまった状況である。


その典型的なケースとして、三島由紀夫の自決事件を取り上げることができるだろう。三島の凄絶な最期は、彼の完璧主義なしでは起こり得ないことであった。

猪瀬直樹氏の『ペルソナ 三島由紀夫伝』によると、三島は天才という見方ばかりが世に喧伝されているが、その実は、並はずれた努力家の一面をもっていたという。
 
大蔵省に勤めている当時は、勤務を終えた後、午前二時頃まで執筆して、朝早く仕事に出るという生活だった。睡眠時間は、三、四時間だったという。世に名前が売れてからも、決して現状に満足することなく、さらに野心的な作品に取り組んでいった。
 
しかも、先にも述べたように締め切りを一度も破ったことがなく、どんなに酒席で盛り上がっていても、十時になると、さっと切り上げた。極めて禁欲的で、自己コントロールの利いた生活ぶりだったのである。
 
三島は、大蔵省を九カ月で辞めて、書き下ろし長編『仮面の告白』に作家としての命運を賭ける。ホモセクシャルやサディズムなど性的倒錯の告白の書であるこの小説は、三島の思惑に反して刊行当初はちっとも売れず、三島は青くなって大蔵省を辞めたことを後悔したという。

死ぬまで完璧だった三島由紀夫


刊行から半年経って、次第に注目され、ようやく再版された。新潮文庫に収録されたところから、一気に売れ行きが加速した。そこから三島の作家生活は、おおむね順風満帆だったと言える。

次の長編『愛の渇き』が七万部、そして二十九歳のときに刊行した『潮騒』は、発売直後から一気にベストセラーとなった。映画化作品も大ヒットし、三島は国民的な人気作家となったのである。

三十一歳のときの『金閣寺』は、三島の最高傑作として高い評価を受け、これもベストセラーとなった。続く、『永すぎた春』も十五万部と部数を伸ばした。
 
三島は渾身の大作として、三年の歳月を費やして大長編『鏡子の家』を世に問う。これも十五万部と商業的には成功したが、批評家の評価は、三島作品としては初めてと言っていいくらい手厳しいものだった。三島は初めて挫折を味わったのである。そこから、とんとん拍子に来た三島の運気に陰りがみえ始める。
 
次いで刊行した『宴のあと』は、元外務大臣の有田八郎氏から、小説のモデルとして使われ、プライバシーを侵害されたとして訴訟を起こされる。

ゴタゴタする中、三島は起死回生をかけて、労働争議に題材をとった社会派の小説『絹と明察』を出す。しかし、売れ行きは芳しくなく、期待外れの一万八千部止まりであった。
 
三島の不振とは裏腹に、大江健三郎など次世代の作家の作品が世間の話題をさらい、売れ行きでも三島をはるかに凌ぐようになっていた。三十歳で頂点を極めた三島も、四十歳を迎え、凋落を感じずにはいられなかったのである。その頃から、三島の心中には、ひどく思い詰めた気分が漂い始める。
 
それでも、三島は世界的に評価されており、四十歳の年から、毎年ノーベル賞候補に名前があがっていた。ところが、三年後、ノーベル賞を受賞したのは三島ではなく、川端康成であった。自決の一年前である。三島自身、「このつぎ日本人が貰うとしたら、俺ではなく大江だよ」と予言したという。
 
すでに三島の関心は、自分の人生を、いかに劇的に締めくくるかに向けられていたようだ。ある意味、四十歳を過ぎてからの四年ほどの歳月は、完璧な「死の舞台」を整えるために費やされたとも言える。
 
三島らしく、最後の作品『豊饒の海』の最終部「天人五衰」の最終章の原稿を、自決の当日に、編集者に渡るように段取りしていた。最期まで締め切りを守り、予定したシナリオ通りに人生の幕も下ろしたのである。

すべてをスケジュール通りに管理したという点で、三島の人生は、例を見ないほど完璧な生き様だったと言えるだろう。
 
だが、それは、完璧を追求することが、あまり幸福な生とは言えないことを、われわれに教えてくれる最たる例でもある。

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