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麦本三歩は図書館が好き…『君の膵臓をたべたい』の著者が描く心温まる日常 #1 麦本三歩の好きなもの

朝寝坊、チーズ蒸しパン、そして本。好きなものがたくさんあるから、毎日はきっと楽しい……。映画にもなった大ベストセラー、『君の膵臓をたべたい』で鮮烈なデビューを飾った住野よるさん。『麦本三歩の好きなもの 第一集』は、図書館につとめる麦本三歩のなにげない日常を描いた心温まる作品です。その中から、「麦本三歩は図書館が好き」と「麦本三歩はワンポイントが好き」のためし読みをお届けします。

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麦本三歩は図書館が好き

麦本三歩は十七年学校に通い続けている。小学校、中学校、高校、大学。そして、大学を卒業してからも三歩は学校に通い続ける。大学院生になったわけではない。未だに毎日学校に行っていると言うと「そんなに勉強好きだったっけ?」だなんて友達からよくいじられるけれど、好きではない。好きではないのにそれが唯一の特技だという悲しさはあるが、今その話はいい。

三歩の職場は大学内にあるのだ。大学内にデンとそびえる建物。大学図書館で三歩は働き、怒られ、たまに褒められ、そしてまた怒られる毎日を送っている。

怒られるのはもちろん嫌なのだけれど、三歩は基本的には図書館での仕事を気に入っている。本が好きだからという理由で、大学で司書資格を取った。本に触れられる仕事なら、図書館員以外にも出版社社員や書店員という道もあったのだろうが、三歩が図書館員を選ぶ決め手となったのはその場所の匂いだ。

三歩は小さな頃から図書館に通い詰めている人間だった。本が好きなことと同時に、扉が開いた瞬間に感じられる、過去から未来、果ては海や時空さえ超えたような図書館の匂いが好きだった。大人になって、図書館にはとても古い本も所蔵されていて、その紙やインク、そして書店にはない降り積もった埃が特別な匂いを感じさせるのだと知った時も、がっかりはしなかった。三歩にとってその匂いは、いくつになっても時間を超えて惹きつけられる匂いに違いがなかった。大学図書館に入ったのは縁だったのだけれど、思えばより歴史と埃にまみれた図書館に引っ張られたのかもしれない。

好きな空気の中で仕事が出来ているのだから、幸せだ。それは間違いなかったが、しかしもちろん仕事だ、一筋縄ではいかない。

今日の午前中もミスをやらかした。それも、総勢十三名のスタッフを統括するいつもは優しい眼鏡の男性リーダーに呼ばれて、きちんと怒られるレベルの失態。普段はお昼ご飯十分前からうきうきの三歩も、唇を一文字に結んでむむむっと眉間に皺を寄せる。落ち込んでいる演技などではない。ただ、社会の厳しさに思いを馳せているのだ。

その顔のまま控室となるバックヤードに入ると、既に休憩に入ってお弁当を開けようとしていた優しい先輩が、三歩の顔を見て噴き出した。

「どしたの、三歩ちゃん」

「……働くことって、大変だなと思いましへ」

嚙んだ。それに優しい先輩がまた笑う。

「三歩の場合働くとか以前の問題だろ」

後から控室に入ってきた三歩指導係の怖い先輩が、呆れたように言いながら三歩の後ろを通り過ぎていった。ぎくりとして振り返るも、既にそこに先輩はいない。彼女はエプロンを外しながらロッカールームに消えていく。

三歩が緊張を解いて顔の方向を戻すと、優しい先輩がくすくす笑っていた。

「何したの?」

人の答えを引きずり出すような優しい笑顔。きっとこの顔に内臓引きずり出されて死んだ男の人達がいるんだろうなと思いつつ、三歩はこの先輩に気を許していた。三歩はお昼用に使っていいとされている机の一つにつきかけた、けど忘れ物。先輩にお弁当を取りに行く宣言をして、隣のロッカールームに参る。怖い先輩と入れ違いになり、狭い空間で二人きりにならずに済んでほっとする。実際に手づかみで内臓を引きずり出されるかもしれない。

リュックからお弁当を出し、控室に戻ると、優しい先輩がまた楽しそうに笑っていた。怖い先輩はむすっとしている。三歩とシフトがかぶりがちなこの二人の女性のいつもの様子で、最近こういう時は三歩が話題に上っている場合が多い。それ自体は嬉しい、内容はともかく。

並んで座っている二人、さっき座りかけたのは怖い先輩の正面に当たる。正直なところ優しい先輩の前に座り直したい。しかしどっちの度胸があるかと言えば、流石にこれ見よがしに先輩を避けるような度胸はなかったので、大人しく怖い先輩の正面に座った。

「三歩ちゃん、先生を転ばしたの?」

こらえ切れないという様子で優しい先輩から投げかけられた質問に、三歩はわざとじゃないものを肯定するのもどうかと思い「はあ」と曖昧な返事をした。

「急いでても、周りに注意しろ。あと、謎の動きをするなっ」

「謎の動き!」

表に響かないよう、抑えめに手を叩いて笑う優しい先輩。爆笑をかっさらえたのは嬉しいけれど、怖い先輩の言いぐさは本意ではない。

謎の動きなんて、大層なものじゃない。ただ、しゃがんだ状態で作業をしていた時に名前を呼ばれ、出来るだけ早く助けを必要としている人の元に参上しようと、クラウチングスタートの体勢を取った。その時、後ろに伸ばした足にたまたま通りかかった大学の先生がひっかかって転んだだけだ。大したことじゃない。眼鏡が吹き飛んでいたけど床は絨毯だし。

「大学の先生ってのがよくなかった……」

三歩が一応反省の色を見せようとすると、怖い先輩が「誰でも駄目なんだよ」と当然のツッコミを入れた。三歩は、もし運動部の学生なら受け身が取れたのでは? と思ったけど言わなかった。怖いから。

「まあ三歩ちゃんだからなー」という優しい先輩からのちょっとずれた擁護にも、怖い先輩はのってくれない。三歩は頭をいつもより下げて気配を消しながら、お弁当を開ける。三歩のお昼ご飯は弁当日とコンビニあるいは食堂日が大体半々。おべんとつくろーと前日に思って成し遂げる日と、めんどいと前日もしくは当日思う日が大体半々。三歩としては一週間のうち半分も弁当を作っているなんて偉すぎると思っている。なので誰かに褒めてもらえないものかと思っているけれど、生活していることを褒めてくれる人なんて基本的にはいないので、せめて好物を入れることによって自分で自分を褒めている。

今日のメニューは二段重ねの弁当箱の上段に、冷凍ハンバーグ玉子焼きほうれん草のおひたしコンビニで買った煮物。下段にパンパンに詰めた米米米。

こっそりと持ってきていたのりたまの小袋を開け、ご飯の上にかけていると、「三歩さ」と頭の上から声をかけられた。

「へぁいっ」

変な声を出してしまった。見上げると、怖い先輩がコンビニサラダを開けている。

「トマトいる?」

「い、ただきまふ」

嚙んだ。トマトが苦手な可愛いところがある怖い先輩は、割り箸を割ってトマトを摘まむと三歩の方へ手を伸ばす。どうやって受け取っていいものやら、お箸は駄目だし。以前に口で直接いこうとして行儀をたしなめられたことがある。せっかく生のトマトを他の味と一緒にしちゃうのも嫌だし。仕方がないので三歩が両手をお椀の形にして差し出すと、先輩はそっぽを向いて噴き出し、その後サラダの蓋にトマトを載せてくれた。

自身がどう思っているのかはともかく、三歩は先輩達からマスコット的に可愛がられている。

そんな先輩達との嬉し恥ずかし怖しな食事タイムはあっという間に終わり、少しの間本を読んでだらだらしていると、お昼の休憩時間はすぐに終わった。

また仕事かーと社会人っぽいことを思いながら図書館の受付カウンターに入るなり、交代で休憩に入る他の先輩、三歩がおかしな先輩と(もちろん心の中だけで)呼んでいる女性が近づいてきた。

「さーんぽ、本溜まってるから配架行ってきて、そのついでにこの本を探す任務を君に与えよう、ちゅっちゅ」

おかしな先輩は題名や著者名などの書籍情報をメモした紙切れを三歩に渡すと、三歩の鼻の頭を二度摘まんでから休憩に入った。いつも生きる上で人とそれなりの距離を保ってきた三歩は、未だに彼女の何を考えてるのかよく分からない距離感に戸惑う。なんとなく自分でも自分の鼻を触ってから、カウンターにいるスタッフ達に、配架に行ってくることを伝えた。

「人を転ばさないように」

リーダーから冗談交じりに受けた注意で、その場にいた皆が声を押し殺して笑う。三歩は逃げるようにして本のたくさん入ったラックを押してその場を離れた。

配架、という言葉を三歩が初めて聞いたのは、大学で司書資格を取る為の授業を受けた時だった。簡単に説明すれば、新たに図書館に入ってきた本や返却された本を本棚に並べること。それが配架。

三歩はこの作業が好きだ。図書館の中をうろうろと動くので、先輩達に見張られていないということもあり、カウンターで図書館利用者の応対をしなくていいというのもあり、そういう邪な気持ちがあるにはあるのだけれど、プラスの理由だってある。本が無事、家に到着したのを最後に見届ける作業であるからだ。

図書館には、実は不明本というものがとても多い。中にはずっと見つからず、所蔵しているというデータを消さなければならないこともある。そんな時、三歩は迷子になって帰ってこれない本のことを想像し、キュッと心臓の冷える感覚を覚える。

だからこそ、配架で自分のいるべき場所に収まる本を見ると、安心し嬉しくなるのだ。おかえり、と声をかけたくなる。声をかけてて利用者に怯えた目で見られて以来もうやらないと決めたけど。

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麦本三歩の好きなもの 第一集

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