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刑事と公安が警戒する男が来日――。 超監視社会の闇を描いた警察ミステリー #4 キッド

上海の商社マン・王作民と、福岡空港に降り立った城戸護。かつて陸上自衛隊でレンジャーの称号を得た城戸は、王を監視する刑事の存在を察知。不審に思いながら護衛を続けるも、秘書が王を射殺し、自死してしまう……。数々の話題作で知られる相場英雄さんの近作『キッド』は、超監視社会の闇を描き切った警察ミステリーの金字塔。今回は『血の雫』の文庫化を記念し、その冒頭を特別にご紹介します。

*  *  *

「この会社の専務です」

革鞄から栗澤が別のパンフレットを取り出した。上海の夜景と近代的なビルの全景がプリントされた会社案内だ。〈有限公司〉という文字が見える。

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「上海に本社を構える中国の商社でして、日本の専門商社とのパイプを作り、販売ルートを整えたいというのが先方の希望でした」

商慣習の詳細は知らないが、どこにでもあるような話だ。

「それで、その会社の専務がなにか?」

「同業他社の人間から聞いたのですが、この専務はなかなかの曲者らしいのです」

どんなふうに、と大畑は詰め寄った。

「あちらの国の意を受けて、水面下で動く人だというのです」

栗澤が写真を取り出した。派手な電飾、赤いカーペットが敷き詰められたホール、たくさんのテーブルが並ぶ中国の宴会場でのショットだ。中国の最高指導部の面々が笑顔で写っている。

「この人です」

恰幅の良いスーツ姿の中国共産党幹部が並ぶ列の一番左端に、スマートな体形の中年男性がいる。

「〈王作民〉という人物です」

大畑はメモ帳に手を伸ばし、会社名と専務の名を書き入れた。

「北朝鮮と連携する中国共産党の別動隊だと聞きました」

北朝鮮、中国、別動隊……。大畑は栗澤の言葉を頭の中で復唱した。北朝鮮は国連制裁決議で石油の取引を禁止されたため、海上で受け渡しする瀬取りを行っていた。工作機械や部品を扱う専門商社に接触してきたとなればさらに危険な物が必要になる。

「もしや、ICBMなどの部品に流用するために?」

「大手商社経由だといろいろと目立つので、うちのような中堅中小の業者を探して取引をする、そんなふうに聞いております」

大畑はもう一度、王の写真を見つめた。対北朝鮮でアメリカや日本政府が強硬姿勢を貫く中、彼の国はなんどもミサイルを打ち上げている。前回の瀬取り同様、制裁決議は絵に描いた餅にすぎないのだ。

「王専務が合法的に日本企業と接触し、高度かつ精緻な日本の工作機械や部品を中国に輸入する。その後は、これをシンガポールやベトナムなどを経由して最終的には北朝鮮に届ける、そんな仕組みの中心にいるのがこの専務です」

一気に告げると、栗澤はテーブルのグラスを手に取り、ウーロン茶を飲み干した。額にはうっすらと汗が滲んでいる。

「改めてお聞きしますが、なぜこんな重要な情報を私に?」

「北朝鮮という国が許せないんです。私の両親の友人が、拉致被害者の家族でしてね」

栗澤が毅然と言い切った。自分や勤務先を利するために、ネタ元は情報を流しているのではない。

「絶対に接触して記事にします。制裁逃れを阻止しますよ」

大畑はすっかり泡の消えた生ビールを口にした。

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警視庁本部の一四階、公安部公安総務課で志水達也が在京紙の朝刊をチェックしていると、目の前にひょろりと背の高い部下が現れた。

「志水さん、よろしいですか?」

目で座れと指示する。パイプ椅子を広げ、腰を下ろした部下は樽見浩一郎警部補。公安総務課に着任して三年が経過している。

「外事二課が動きます」

「あの一件か?」

「課長が総動員をかけたようです」

警視庁公安部で公安総務課は筆頭格にあたり、国内事案を担当する公安一課から四課、海外諜報員やテロ事案に対応する外事一課から三課、公安機動捜査隊を束ねる役割を果たしている。

「外事二課にいい情報が入ったらしく……」

国連制裁決議違反の事例を外事二課は追っている。中国の専門商社を隠れ蓑に、北朝鮮はミサイルや核開発に必要な部品や燃料を秘かに仕入れていた。

「王の来日日程でもつかんだのか?」

志水は捜査線上に上がっていたキーマンの名を挙げた。樽見が頷く。

「旅行会社に埋め込んだSが香港発福岡行きの情報をもたらしたようです」

公安総務課には各課の情報が集まる。互いに保秘が徹底されており、詳細な捜査情報は明かされないが、公安総務課長は別だ。公安総務課は部の末端に至るまでの企画運用を担う役割があるため、各課がオペレーションを実施するにあたり、最終決裁を公安総務課長に求める。

総務課長は庁内や警察庁幹部との会議、全国都道府県警察の公安担当との連携で多忙を極めている。補佐役の志水が各課から上がってくる各種報告の交通整理を任されている。

「わざわざ俺に言いにきたということは、問題が生じたのか?」

志水は紙面から顔を上げた。

「キーマンの王を、刑事部の連中も狙っているようなんです。この一件が絡んでいるようでして」

樽見が背広の内ポケットから紙を取り出し、志水のデスクに置く。

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〈暁銀行行員、刺殺される〉

一週間前の中央新報の社会面記事だった。東京都内にある第二地方銀行、暁銀行錦糸町支店の副支店長が路地裏で刺殺された。融資を断られた取引先の町工場社長や地元商店主が容疑者として浮上したという続報をなんどか目にしている。あくまで刑事部の捜査一課の領域であり、公安総務課とは一切関係ない。樽見を見ると、得意げな表情に変わっている。

「口座開設に際し暁銀行の身元チェックが甘いのは、知られていました。殺された副支店長は怪しい口座を洗い出していて、本店と金融庁に報告する直前だったようです。そのひとつが王の関連口座でした」

以前、外事二課の課長補佐から同じような話を聞いたことがある。審査の緩い地銀や第二地銀で口座を開設し、海外に不正送金を繰り返していた北朝鮮のSがいた。Sは香港やシンガポールの銀行に資金を送金し、現地の協力者が北朝鮮に協力的な中国の銀行に転送する、という方法だった。

「捜査一課は王をどうするつもりなんだ?」

「現在、実行犯と見られる被疑者を完全監視下に置き、近く身柄を取るようです。自供を取ったうえで、王の関与を調べたい。そんなタイミングで来日ですから……」

「捜一の連中は多少荒っぽいことをしてでも接触するだろうな」

「外事二課の課長は慎重に事を進めるよう指示を出したそうです」

刑事部と同じ獲物を狙うことはままある。

「外事二課は泳がせるんだろう?」

「キーマンが誰と接触したかを探れば、さらに広範で詳細な情報を得られますからね」

公安部は目先の検挙率ではなく、広く日本全体の治安と秩序保持を考えて行動する。考え方が根本的に刑事部とは違う。

「いつでも相談に乗ると外事二課に言っておけ」

樽見が部屋を出た。直後、デスクの警電が鳴った。受話器を取り上げる。聞きなれないダミ声が響く。

〈総務課長はいるか?〉

「失礼ですが、どちらさまでしょうか?」

〈本庁の高村だ〉

志水は頭の中にある人事録を猛烈な速度で繰った。M字形に後退した額と短髪、二重のくっきりした両目、分厚い唇――闘犬のような顔が現れた。総理官邸で官房長官秘書官を長期間務め、神奈川県警本部長や警視庁刑事部長などを経て、近い将来警察庁長官か警視総監就任が確実視されている総括審議官の高村泰警視監だ。

「あいにく出張中です。課長の補佐役で、志水と申します。伝言があれば承ります」

電話口で露骨に舌打ちの音がする。

〈二〇分後に俺の部屋へ〉

一方的に告げ、高村が電話を切った。

高村はキャリアの中では珍しく警備・公安畑を歩まなかった人間で、組織内では明確に刑事部の人間として認知されている。公安総務課長は幹部会議等々で顔を合わせているのだろうが、志水はなんどか見かけただけで面識はない。畑違いの幹部がなぜ連絡をしてきたのか。志水は首を傾げつつ腰を上げた。


警視庁本部の隣にある警察庁のビル五階、法務省の赤煉瓦の建物を一望できる部屋の応接ソファで、高村が眉根を寄せている。

高村からソファに座れという指示はない。志水は立ったまま、深々と頭を下げた。高村がテーブルにあった封筒を手に取り、志水に差し出した。

「失礼いたします」

素早く前に進み出て、受け取る。開けてもよいか、視線を送ると、高村が大仰に頷いた。警察庁の名入りの封筒を開くと、2Lサイズの写真、メモが添付されていた。

「公安がマークしている男だよな」

志水の手にある写真は、外事二課が来日に備え、追尾の準備を進めている男だ。

〈王作民 五三歳 上海出身――〉

メモには警視庁の捜査一課管理官が記した王の詳細な経歴が載っている。公安がまだ摑んでいない情報もありそうだ。樽見が言ったように、王は北朝鮮への国連決議違反を疑われている中国商社の幹部だ。もちろん一商社が大胆なことを単独でやれるはずもなく、バックには中国政府が控えている。

志水は写真とメモを封筒に戻す。

「外事二課がマークしているのは事実です。しかし――」

言い終えぬうちに、高村が右手を上げて話を遮る。

「二週間後の来日時には捜査一課が王を徹底的に行確する。外事二課は一切手出し無用だ」

「暁銀行の一件ですね?」

高村の眉間の皺が深くなる。

「公安が知る必要はない」

「王の身柄を取るのですか?」

「行確の結果次第だが、すでに外交ルートを通じて準備を進めている」

中国政府の息がかかった企業幹部の身柄を引っ張れば、中国大使館が黙っていない。騒動が広がらぬように調整を始めているのだろう。

「捜一最優先の方針、承知いたしました。直ちに外事二課に指示いたします」

「殺人事件を解決し、それに合わせて中国が北支援で卑劣なことを行っていると国際社会に印象づける。政府首脳からもそう期待されている」

高村はぶっきらぼうに言った。政府首脳とは、高村が仕えたことのある官房長官の阪義家のことだろう。

「ではこれで失礼いたします」

志水は事務的に告げ、総括審議官室を後にした。

◇  ◇  ◇

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キッド 相場英雄

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