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#5 誰でもいいからセックスしたい…「負け組」の日常を描いた群像劇

AV・風俗専門のスカウトマン、「ノー」を言えないカラオケボックス店員、デブ専アダルト女優……。大都会・東京を舞台に「負け組」たち6人の日常をリレー形式で活写する、直木賞作家・奥田英朗さんの『ララピポ』。「下流文学」の白眉として評判となり、映画化もされました。第1話の主人公は、対人恐怖症のフリーライター。その冒頭をお楽しみください。

*   *   *

声がやんだ。いよいよか。窓を小さく開け、隣の壁に映る上の部屋の窓の明かりを見る。まだ消えてはいない。

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(やめてください)

そのとき、女のいやがる声が聞こえた。

(やめて……やめて……)

同じ言葉をずっと繰り返していた。

博の心臓は激しく波打っていた。

男は低い声でなにやら話しかけている。懇願するような口調だった。

(やめて……やめて……)

女を応援したいのと、栗野を応援したいのと、半々だった。あの清楚な女の子には貞淑でいてほしい。でもあのときの声も聞いてみたい。

女は五分ほど拒み続けたのち、(じゃあゴムは着けてくださいね)と言った。

窓の隙間から外を見る。電気が消された。胸が締めつけられた。

しばらくイヤホンからは何も聞こえてこず、十分ほどするとギシギシというベッドの軋み音が響きはじめた。

やがて控えめなあえぎ声がした。

(あ……あ……あ……)

たまらず博は射精した。

女は最後まで大きな声はあげなかった。それが余計に興奮を呼んだ。

ティッシュを屑籠に放りながら、いやなら男の部屋なんかに来るなよと思った。来ればやられるに決まってるだろう。それとも拒否したのはポーズだったのか。

その夜はせつなくて眠れなかった。股間を握ったままじっとしていた。

そしてもちろん翌朝は女が帰るのを待ち、駅まで先回りした。

本当に清楚な感じの女だった。今どき黒髪というのが妙にそそった。

ゆうべ男に抱かれたことなどおくびにも出さず、普通の表情で切符を買っている。

女はみんなこうなのか。いやいや男にセックスさせても、一夜明ければ忘れることなのか。やり場のない憤りを感じた。

近寄って、「ゆうべはお楽しみだったね」と耳元でささやきたい衝動に駆られた。

それをしたら女はいったいどんな顔をするのだろう。

でも考えただけでやめた。変態にはなりたくなかった。

博は帰ってまた自慰行為に耽った。女には「かほり」という名をつけた。

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栗野が女を連れ込むのはおおよそ週五日のペースだった。レギュラー組に加え、一夜限りの女が来ることもままあった。そんなときは博の心が躍った。あのときどんな声を出すのか、楽しみでならなかったのだ。

信じられないことに、かほりは再びやってきた。(やめて……やめて……)と言いながらまたやられたのだ。

興奮を味わいながらも、腹立たしかった。

女なんて絶対に信じるものかと思った。

博の頭の中はセックスのことで一杯だった。一日中そのことを考えていた。図書館で時間をつぶしていても、カウンターの女の職員を盗み見ては、あの女だってやることはやってんだと一人心の中でつぶやいている。

一度、栗野が三日ほど部屋をあけたとき、博は五反田の性感ヘルスへ行った。金髪の若いだけが取柄の女に素股で処理してもらった。女はやる気がなく態度は最悪だった。おまけに出された飲み物に口をつけたらそれが一万円で、さらには振りかけられたパウダーが一万円で、「触っていいよ」というので胸を揉んだら二万円で、基本料金と合わせて計五万円も請求されてしまった。

柄の悪い男に付き添われ、銀行で金を下ろした。

残金は二十万を切りかけていた。しばらく暗い気持ちだった。

今日の博は、図書館の閲覧コーナーで新聞の求人欄を見ていた。

歳は三十二だし、四年制大学は出ているし、まだ大丈夫だ。そう自分に言い聞かせている。大学だって難関で知られ、女が寄ってきて当然の一流私大なのだ。

博は卒業後、一度メーカーに就職していた。性に合わなくて二年で辞めた。たまたま出版社に勤める元同級生がいたので、フリーのライターになったのだ。

後悔はしていない。満員電車に揺られる人生なんて、東大を出たって意味がないものだ。

ソファで新聞を広げていたら向かいにいつものデブ女が座った。文庫本を広げている。

いったい何をやっている女なのか。まだ三十前だろう。仕事はしていないのか。

不愉快なので新聞で顔を遮った。

ただ足元は新聞の下から見えた。太い足だ。秋菜やかほりとは大ちがいだ。

今度は新聞を膝に乗せ、それとなく胸を見た。

さすがにたっぷりとしていた。セーターの上からでもその柔らかさが想像できる。

博の股間が少し持ちあがった。

咳払いして足を組む。サエない女のくせして、このおれ様を欲情させるとは。

顔を見ると目が合ってしまった。

女が小さくほほ笑み、会釈する。博はつられて頭を下げてしまった。

博は訝る。この女は自分に気があるのか。

どうしていいのかわからずその場を離れた。階段を上がって二階の図書室へ行った。書架の間を歩き、映画本の棚で面白そうな本を探した。

女の豊かな胸が瞼に焼きついていた。わしづかみしたい誘惑に駆られる。

あの女ならまず自由にできるだろうと思った。どの男にも相手にされていないはずだ。脱げと言えばおとなしく脱ぎ、やらせろと言えば拒んだりはしないだろう。

また博の股間が持ちあがる。今度は確かな熱をはらんでいた。

誰とでもいいから、急にセックスがしたくなった。

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書架の間を移動する。目の前にあの女がいた。立って本を読んでいた。

自分を追いかけてきたのだろうか。もしかして誘っているのか。

博は同じ通路で本を探すふりをした。女が全身で博を意識しているのがわかった。間違いない。声をかけられるのを待っているのだ。

急に喉が渇いた。何度も咳払いする。

大胆にも女が近づいてきた。博のすぐ隣で背伸びをする。上の棚の本が取りたいようだ。

女の匂いが鼻をくすぐった。薄い化粧と、若い女のフェロモンの香りだ。

「どの本?」博は声をかけていた。

「あ、すいません。あの赤い背表紙の本ですけど」女の顔に笑みが広がる。間近で見ると、美人ではないがブスというほどではなかった。

本を抜き取り、手渡してやった。胸を見る。喉が鳴りそうなのを博はこらえた。

「よく図書館でお見かけしますね」女がはにかみながら言った。

「うん、そうだね」

「お仕事、何をなさってるんですか」

「マスコミ関係。調べることが多くてね」

「あ、そうなんですか」

「まあ、暇だってこともあるんだけど」少し正直に言った。

「うふふ」女はデブのくせにシナを作っている。

「そっちは?」

「わたしですか? わたしはテープリライターなんです。マスコミの人なら知ってると思うけど、テープ起こしをしてるんです。あんまり出かけることがない仕事だから、つい図書館とかに来ちゃうんです」

そういうことか。働いてはいるんだ。

「お住まいはこの近くですか」女が聞く。

「うん。もっと駅の方角だけど」

「わたしは緑公園の隣です。一階がコンビニのマンション」

「ああ、だったら知ってる。いいところに住んでるね」

「ううん。もう古いマンションだから……」

少し会話が途切れる。女は目を伏せ、照れた仕草をした。頬が紅潮していた。

むしゃぶりつきたくなった。性器がズボンを押しあげている。

「よかったらどこかで話でもしない?」

うわずることなく言えた。相手はサエない女だ。臆する理由などひとつもない。

「ええ、いいですけど」女が硬い表情ながら白い歯を見せた。

「これから君の部屋に行くっていうのは?」

「ええ……いいですけど」

博の頭の中で鐘が鳴った。やれると思った。

女の先導でマンションへと向かった。道すがら自己紹介し合う。女は玉木小百合と名乗った。なあにが小百合だ。親を出せ。でも甘い気持ちの方が先走っていた。

部屋に入ると、若い女のそれらしく全体が小ぎれいに整頓されていた。窓際にはベッドがあり、花柄のカバーがかけてある。

小百合が紅茶をいれた。博はゆっくりとすすりながら、小百合の胸と尻ばかりに目がいっていた。小百合は自分の仕事の話などをしていたが、まるで耳に入ってこなかった。

小百合がカップを片づけようと手を伸ばしたところで、博はその手をつかんだ。

「きれいな指だね」今度は声がうわずった。

小百合は顔を真っ赤にして伏せている。絨毯の上を這うように移動して小百合に抱きついた。床に押し倒し、キスをした。

小百合が口を開く。博の舌を受け入れた。

ほら見ろ。最初からその気だったんだろう。興奮がいっきに高まる。

右手で胸をまさぐった。

「ちょっと、待って……」小百合がか細い声を出す。「この先はベッドで……」

博は立ちあがるとベッドに移動した。

振り返ると小百合は自分から服を脱いでいた。

博も服を脱いだ。焦ってズボンを脱ぐとき転びそうになった。

小百合がベッドに腰を下ろす。博は飛びかかるように首に抱きついた。

女の「あーん」という声が耳元で響く。この柔らかな声に博はいっそう奮い立った。女は声だ。あのときの声なのだ。

胸に顔を埋める。乳房を舐めた。肩も首も顔も舐めた。

いよいよ中に入ろうとしたとき、小百合が「できないようにしてね」と小さくささやいた。

当たり前だ。おまえなんかに妊娠されてたまるか。人の人生を何だと思っている。

博は小百合の足を持ちあげ、せっせと腰を振った。小百合の肉がゆさゆさと揺れている。肉と肉が当たってパンパンという音が響く。

五分ほど動き、博は小百合の腹の上に放出した。

荒い息をはく。全身にびっしょりと汗をかいていた。

汗の滴が、博の鼻先から小百合のおなかに落ちた。

小百合の横に転がると狭いシングルベッドは満員になっていた。

帰り道、博の胸中は複雑だった。セックスをした満足感はあるものの、同じくらいの割合で自己嫌悪があったのだ。

事後、小百合は恋人のように甘えてきた。うっかり博も応じてしまった。

腕枕をして髪を撫でてやると、小百合は「うふふ」と笑い、博の首に舌を這わせてきた。互いにむさぼり合うと二回目が始まったのである。今度は小百合が上に乗り、あられもない声をあげた。博の腰の上でゆさゆさと山が揺れていた。

そして先にベッドから降り、あらためて小百合の裸体を見ると、その姿はまるでトドだった。下半身が冷めると頭も冷める。いくら飢えていたとはいえ、よりによってこんな女と……。

おれも落ちぶれたものだ。博は女に聞こえないようにため息をついた。

小百合は電話番号を交換することを求めてきた。博はそれにも応じてしまった。

つきまとわれたらどうしようという一抹の不安があった。


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