第16回_定期開催_映画祭__1_

私は私のままなんだ┃整形アイドル轟ちゃん

整形するまではそれで人生が変わると思っていた。

この重すぎる一重まぶたさえ持ち上がれば。ただ一本線が入れば。
それだけで可愛くなって「ブス」という悩みから解放されると 思っていた。だってドラマや漫画の世界ではそうだったから。

痛みの描写はなく、顔を包帯 でぐるぐる巻きにされて、「◯週間後」の文字ののちに大変身。それが整形前の私が知っていた精一杯の整形のイメージだった。

整形直前には不安な気持ちを解消しようとインターネットで術式などをいろいろ調べはしたが、「皮膚を切り開く」とか「糸で縫合する」とか生々しい言葉が並んで、知識として頭には入ってもそれが整形後の自分の姿を想像することに 直結しなかった。

恐怖ゆえに「理解したくない」気持ちもあったかもしれない。もしここで整形を諦めるようなことがあれば私はこの顔で生き続けなければいけない。それが一番嫌だった。だから、手術の生々しさを知ってなお、その恐怖に気づかないふりをすることに必死だった。

「きっと整形すれば人生変わるはず」「二重になったらピンクのアイシャドウを買おう」別の人間に生まれ変われるような、前向きな気持ちを保ち続けて、手術の日を迎えた。

初めてのまぶたの整形の時は、恐怖で手足が震えっぱなしだった。麻酔が効いていて痛みはないものの、何をしているかはなんとなくわかる。

意識のある状態で自分の皮膚を切られる感覚は本当に恐怖だった。電気メスの音がバチバチと響いて、自分の皮膚から漂う焦げ臭い匂いに、とんでもないことをしているのだと苦しかった。

手術が終わって、手術台から起き上がり看護師さんに鏡を渡され、自分の顔を見ようとしたとき、「あっでも結構グロいからね」と先生が慌てて言った。

その言葉の通り、まぶた全体がゾンビのようにひどく腫れ上がり、皮膚は糸でジグザグに縫われ、傷の周りは血まみれだった。それをガーゼで看護師さんが時々拭ってくれた。

でも、「まぶたに線が入っている」。その事実が嬉しくて嬉しくてたまらなかった。「これで私は変われるんだ」。そう確信した。

ダウンタイムは目が乾いて仕方がなく、外にもろくに出られなかった。血が滲み、自分の皮膚を縫っている糸はむき出しになり、触れるたび痛かった。

母親に「大丈夫なのこれ……」と心配される度に、「こんな風になるなんて聞いてない」とは思ったものの、整形前にドラマや漫画で見たようにきっとこの腫れが引く頃には私は可愛い女の子に、周りの友達のようになれると信じていた。
 
しかし、手術から 1 週間ほど経った抜糸の日に思った。「意外と私だってわかるもんだなぁ」と。まぶたの今まで痛々しく縫われていたまぶたは糸が抜かれただの傷跡になり完成形が見えてきていたが、私の想像では 「整形」という魔法をかけたら誰でも別人のようになれるものだと思っていたので、「ただまぶたに一本線が入った自分」の姿を見て「なるほど、こんなものか」と思った。

整形直後は腫れでよくわからなかったが、初めてそれを意識して夢からさめたような感覚がサーッと全身を巡った。初めてセックスをした時に似ていた。想像だけ膨らんで、現実になると意外とあっけない。

整形がもたらしたのは魔法ではなく、数ミリの微調整だった。

私がそう感じたのと同じく、友達の反応も大したことはなかった。大学の夏休みが終わると「あいつ整形したらしいよ」という噂は広まったがそれは知り合いレベルの話だけで、周りの友達の対応が変わることなどもちろんなかった。
仲のいい友達は授業前、私の前の席に座りこちらを向いて、「あれ、アイプチ変えた?」と言った。そんな感じで中には、「整形」という荒療治を想像すらしない人や、変化に気づかない人すらいた。

私は私のままなんだ。その反応を見て安心もしたし落胆もした。
整形前に想像していたように「別人のような自分」にはなれなかったけれど、整形直後にはメイクが楽しいと感じたし、自分の気持ちの変化はあった。ピンクのアイシャドウを塗って「今までよりも腫れぼったく見えない」と感動もした。でも、それだけだった。

「人生が変わる」と確信した私の未来には、今までと変わらない単調な生活が待っていた。ドラマや漫画で見た、キラキラした毎日が待っていたわけではなかった。そして気分が高揚していた整形直後の期間を終えるとまた「自分はブスだ」と思い始めた。

コスメカウンターは変わらず恐怖だったし、好きになった男性が可愛い女の子に恋をしているのを見て「当たり前だよな」と絶望して、好きな服も好きなコスメも、「私なんかに買われてごめんね」という罪悪感の中で身につけた。

整形はいじめや過去の経験によってこびりついてしまった劣等感から私を、整形は引き剥がさなかった。私は人生を「整形」任せにしすぎていた。

そのあと私は 8 年間整形を繰り返した。その中で少しずつ環境の変化はあったが「この整形をしたら人生が変わった」と断言できるものはない。

整形を重ねていく中で偶然自分の内面もいい方向へと変化し、それに伴ってだんだんと環境も変わっていっただけだろう。

整形はあくまで数ミリの調整をしてくれるだけの「顔面工事」であって人生を明日から激変させるものではなかった。整形が人生を変えてくれるなんて思い違いだった。

整形は自分を幸せにするための「踏み台」のようなものだ。自分自身の価値が大きくなるわけではないし幸せが確約されるものでもない。そこから夢や未来を掴み取れるかは自分が手を伸ばすかどうかに委ねられていて、整形をしたからと言って待っていても幸せは降ってこない。

そして、踏み台を使っても掴めないものも越えられないものも当然ある。

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12月19日発売
イラスト@おさかなゼリー

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