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わたしの人生のレールは、どこか別のところに延びているようだ #1 探し物はすぐそこに

仕事、恋愛、家族、夢。いつも何かが足りない、そう思っていた。人生の迷子になってしまった「わたし」は、思い通りの人生を見つけるため、バリ島へと旅に出る……。ベストセラー『「引き寄せ」の教科書』の著者として知られる、奥平亜美衣さんの小説『探し物はすぐそこに』。スピリチュアル好きの人も、そうでない人も、人生に悩んだらぜひ手に取りたい本書より、物語のはじまりをお届けします。

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わたしの人生のレールは、
どこか別のところに延びているようだ

空港に着いた飛行機のドアから一歩出て、ターミナルビルへと延びる通路へ降り立った瞬間に、全身が湿ったなま暖かい空気に包まれる。その湿った空気は少しだけ甘い匂いを含んでいて、それがわたしを日本ではない暖かい南の国に来たというたしかな気持ちにさせてくれた。

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バリ島の玄関口であるデンパサール国際空港は、数年前に全面的に建て替えられたらしく、信じられないほどに近代的で立派になっていた。以前の途上国らしい空港の面影は全くないけれど、この空気の匂いは同じだな、と懐かしい思いがする。

わたしの記憶の中にかろうじて残っている以前のこの場所は、空港にしては暗めの照明、床一面に敷かれた白い四角い大きなタイル、茶色っぽい壁、プラスチックの黄色いパネルに黒い文字で書かれた表示板。そして、日本人だと入るのに躊躇してしまうような、清潔感に欠けるトイレ、何も知らない旅行者に料金をふっかけるポーター。

それらは今は、全部なくなっていた。その時と同じ場所であるはずなのに、まるで別の場所に来たかのように、一切の面影がなかった。わたしの中にある空港の記憶も時間が経てば経つほどに曖昧になって、そしていつか、ほんとうにあったのかどうかさえわからなくなってしまうのかもしれない。

でも今は、過去なんてそんなものでいい、という少し投げやりな気持ちもする。この空港に着いたとたんに、それまでわたしの頭の中を占領していた、わたしを苛立たせ、苦しめる記憶たちが薄れたように、過去がなくなってもわたしは困らない。

いろんなことがどうでもよくなり、忘れたくなっている今のわたしには、過去というのは自分の記憶の中以外には決して存在していなくて、危うくあやふやなものという考え方はとても気に入り、わたしの気分は少しよくなった。

この旅に使えるのは、移動を含めてたったの四日間だけだったけれど、思い切ってバリ島に行くという選択をしてよかったな、と空港に着いた時点でもうすでに思い始めていた。


友人たちが結婚し、家庭を持ち始めてから、海外へひとり旅をすることも何度かあったから、ひとりで海外へ行くのは初めてではないし、海外へのひとり旅は嫌いではなかった。

知らない街で、知らない人たちが話す知らない言葉を聞きながら、食べ慣れないものを食べ、使ったことのないお金を使う。そうしていると、わたしではない誰かになったような気さえした。そして、この街の誰もわたしのことを知らない、というのが何故だか快感で、それがひとり海外旅行の醍醐味だった。

旅行先では、外国人のわたしが何をしようと、誰も気にしない。レストランでメニュー選びや支払い方に戸惑っても、電車の乗り方がわからなくても、その土地の常識とは違うことをしても、外国人だから、という理由で誰も大きくは受け止めない。

日本では、わたしがちゃんと生きているか見張られている気さえする。もちろん実際に見張られているわけではないのはわかっている。でも、そのありもしない視線を気にしてしまい、小さな罪悪感が積み重なって身体の中に溜まっていたのが、異国の土地では解放されていくのかもしれない。

バリ島を訪れるのは、ちょうど十年ぶり。十年前、大学の卒業旅行として、学生時代を一緒に過ごした栄子と千春と一緒にバリ島に来たことがある。

栄子はできる女性の典型のような人で、大学での成績も飛び抜けていたうえに、そのままみんなの期待を裏切らず、世界的に有名な外資系の会社に就職し、バリバリのキャリアウーマンになった。

出張で世界を渡り歩く華やかな生活をしていて、いつもどこにいるのかわからないような感じなのであまり連絡はとらないけど、最近結婚もしてこどもも産んで、とても充実している様子がSNSから伝わってくる。彼女は決してできる女性を演じていたのではなく、ほんとうにできる女性だったし、そんな自分を愛してやまないようだった。

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わたしは、例えば彼女が世界的に有名な大企業で働いているということを羨ましく思ったことはないのだけど、その迷いのなさ、揺るぎなさ、自分への信頼、未来をまっすぐ見つめる目にいつも嫉妬していた。でもどこかで、自分は栄子のようなキャリアウーマンにはなれない、ということがわかっていたように思う。

千春は、謙虚で真面目な日本人のイメージをそのまま生きているようなおとなしめの性格だけど芯は強く、自分のやりたいことは昔から内側にしっかりと持っていた。そして、それを実現させてしまう能力も持っているどころかコツコツと努力も惜しまない人で、自分の目標のためには、都会の学生だったら誰もが流されそうな遊びは、彼女にとってどうでもいいことのようだった。

彼女を前にすると、自分の能力のなさやいい加減さや周囲に流される弱さを嫌でも再認識することになってしまい、少々居心地の悪い思いをすることもあった。

大学を卒業後は、やりたかった製薬会社での開発の仕事に就いて研究に勤しみながらも社内結婚し、さらには三人の子持ちになった。母親でもあり立派な社会人でもあり、経済的にも申し分ない暮らしという、能力と努力で得られるものはすべて手に入れて、堅実な女性を絵に描いたような生活をおくっていた。

ふたりのタイプは全く違うけれど、ふたりとも、世の中の女性が欲しくてたまらない幸せを全部手に入れているようにわたしからは見える。


わたしはといえば、新卒でなんとか旧財閥系の鉄鋼商社に滑り込み、もう十年もそこで働いている。旧財閥系の商社にわたしが入社したことを、両親はとても喜んだ。そして、わたし自身もそのことにとても安堵した。総合商社から鉄鋼部門が独立した形でつくられた会社で、会社名にこそその旧財閥の名前は入っていなかったが、世間的には、「いい会社」として認められている。

でも、「いい会社」というのが何なのか、誰も知らない。そして、そこでわたしがどんな仕事をしているのかも詳しくは知らない。なのにそこにいるだけで、家族も親戚も友人も、「由布子ちゃんはまっとうに働いている」と思ってくれるから不思議だ。

あの時は、まだ何も疑っていなかった。いい会社に入って、ちゃんと仕事をして、そして、三十くらいになったら結婚もしてこどもも産んで……。

そんな平凡だけど幸せな人生を思い描いていた。わたしは、疑いなくまっすぐな思いがあれば、人生はその思い通りに進んで行くということを小さい頃から知っていたように思う。

でも、会社に入って三年もしないうちに、そのまっすぐな思いを抱けなくなっていた。まずは何のために仕事をしているのかがよくわからなくなってきたし、十年経った今では、結婚や家庭への期待や夢も、あの頃と違って捻じ曲がってきて、人生そのものの先行きが見えなくなった。

仕事は営業と言えば格好がつくが、製鉄会社とお客さんの間のご機嫌取りのようなもので、どこを向いて仕事をしているのかわからなくなることがよくある。総合職で就職したものの、仕事そのものに情熱を感じたことはなく、会社に身を捧げる気もなく、昇進にもあまり興味が持てず、キャリアウーマンにはどうしてもなりきれなかった。

わたしはいろんなことが器用にできたけれど、そのどれにも、「自分の仕事だ」と、胸をはれるものがなかった。

それでも働かなければ収入はないから会社で働けることはありがたかったし、都会の生活はそれなりに楽しいこともたくさんあった。流されるまま、求められるままに仕事をこなし、周りからは仕事に生きている人のように思われていたけど、何のために働いているのかは、今でもよくわからない。

自分のためなのか、会社のためなのか、上司のためなのか、取引先のためなのか、お金のためなのか。はたまた親を安心させるためなのか、とりあえずちゃんとした会社で働いていれば、人生を間違った方向ではなく消費していると自分が思えるからなのか……。

結局、わたしのように才能も能力も容姿も特に突出したところのない平凡な人間は、いろんな疑問を持っていたとしても、どこか会社の中に居場所を見つけてそこでなんとかやっていくのが人生かもしれない、と思い始めていた。

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