幸せを感じるには 「自分」と「世界」の両方が大切 │ 雨でも晴れでも「繊細さん」#1
昨年の冬頃、「幸せ」について考えていました。
「繊細さんの幸せを増やすにはどうしたらいいのか」という本を書けることになり、改めて幸せに意識を向けていたのです。
幸せってなんだろう?
幸せを感じながら生きるってどういうことだろう。
そんな問いをぽんと自分の中に投げ込み、文章や図を書きながら、相談者さんや自分自身の歩みを振り返っていました。
心理学の本も読みますが、あくまで横目でみる程度です。心理学の中に答えがあるわけではないからです。
本に書いてあることは先人の発見です。自分が実際に体験したことではないので、たとえ「幸せとは」の答えが書いてあり、私がそれを書き写したとしても、実感のこもった言葉には──心を揺さぶる力を持った言葉には──ならないのです。
自分の中に問いを放り込んで、うんうん考え、考えてもわからないなと思ったら、眠ったりお散歩したりと体に任せます。すると、ぽん! とヒントが出てきます。
そうやって気づいたこと。
幸せを感じて生きるには、ふたつの要素がありますね。
ひとつめは、自分が、幸せを感じられる状態にあること。
ふたつめは、自分にとっての「いいもの」がまわりにあることです。
文字にすればごく当たり前のことなのですが、「幸せには自分と世界の両方が必要なんだ!」ということは、私にとって大発見でした。
相談業をしていると、心次第で現実が動いていくさまを、しばしば目(ま)の当たりにします。
上司と相性が合わずに悩んでいた方が、プライベートでやりたいことを始めたら、上司のやりかたを「まぁいいか」と思えるようになったり。
「仕事を辞めたいけれど辞められない」と何年も悩んでいた方が、「自分は自分でいいんだ」と思えたことで、転職を決断できたり。
心ひとつで現実が変わる様子をみるうちに、つい「大変な状況でも、心次第でどうにかなるのでは」と、ストイックな見方になってしまうのです。
でも、「心ひとつでどうにかなる」のは、あくまでひとつのケースですよね。
気の合う人と一緒にいるのは嬉しいし、合わない人とずっと一緒なのは苦しい。素敵な空間に行けば心が躍るし、ごちゃっと荒れた部屋にいれば、なんだか落ち着かない。
環境からの影響は確実にあるのです。
心ひとつでどうにでもなる、つまり「まわりの環境や人間がどんなにひどいものでも、心が満たされ、平穏でいられる」というのは、理想──叶えるのが難しいからこその理想──なのだと思います。悟(さと)りの境地とはそのようなものだろうと推察します。
我々はブッダではないのだから、「心ひとつでどうにでもなる」には、まだまだ道半(なか)ば。
心のありようも大切だけど、それと同じくらい、身のまわりに「いいもの」があることも大切なのですね。
小さなことだけど、このあいだ、ふかふかの靴下を買ったんです。
冬に向けて、雪のように真っ白で、ふっくら編まれた靴下。
これまでは3足まとめていくらの靴下を買っていて、それでも物理的には足りているんだけど「いい靴下って、いいな」と思って。
セーターみたいな靴下を履いたとき、なめらかな触感と、歩くたびにフカッとする歩き心地に心が浮き立ちました。
部屋で一歩踏み出すたびに、まるでそこだけお布団みたいに、ふかふかと受け止められる。つま先から大切にされている感じがしたのです。
靴下だけど、おしゃれ着洗いにするぐらい大事にしていて、ベランダに干すときも部屋にとりこむときも、ハンガーピンチに揺れているのをみては「大切にしたいな」という気持ちになります。
朝、身支度をしながら「今日はあの靴下にしよう」と思うたびに、心がまるくなる。
幸せに生きるって、心ひとつじゃなくってさ。物に助けてもらっていいんだよ。
いいものは手にしたらいいんだよ。と、冬の靴下に思いました。
※このとき書いた本は、『「繊細さん」の幸せリスト』(ダイヤモンド社)として刊行されました。
◇次回は、あす24日(土)公開予定です!◇