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自分の本音を誰にも相談できなかった過去の私

先日、Twitterで「#親を捨ててもいいですか」というタグを見た。
どうやらクローズアップ現代+で、毒親がテーマとして取り上げられたらしい。

番組は見ていないが、タグと関連のツイートを見て過去の記憶が出てきたので書こうと思う。

自分の気持ちを誰にも相談できなかった

私も所謂「アダルトチルドレン」だった。

"だった。"と記すのは、その大部分は既に解決しているからだ。
現在は、一般と呼ばれる人と比べると、少しだけズレた考え方を持ちながらも、元気に過ごしている。

当時、私は親の手から逃れたかった。
しかし、誰にも相談することはできなかった。

どうせ、「親を悪く言うもんじゃない」とか言われるのがオチ。もし本当にそれを言われてしまえば、それこそ自分の中の何かが壊れてしまうのではないか、そう確信している自分がいた。
助け、逃げ場はない、という証明になるから。

どう相談していいか分からなかった

また、「相談」といっても、どう説明していいか分からなかった。

過干渉の親だったのだ。

虐待されたり、アルコール依存症だったり…そういった状況なら、どういう説明をすればいいかは分かる。しかし、そうじゃなかった。

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親は私に期待した。私は親の期待に応えようとした。

しかし、それがいつしか、いつの間にか。知らない内に「過度な期待」へと変わってしまった。
私は無意識にストレスを抱え続け、「親の手から逃れたい」そう思うようになったのだ。

当時の私は、何故ストレスを抱えているのか分からなかった。
親は私を大切にしてくれてるのに、それを無下に考えてしまう私は、よっぽど自分勝手で性格が悪いやつなのではないのだろうか。そう考えることもあった。

とはいえ、ストレスが募っているのは確かだった。

では、これをどう説明したらいいのだろうか。
説明しても、「大切にされてる証拠」なんて言われて終わってしまうに違いない。

誰にも相談できなかった私のその後

結局、私は誰にも相談することなく、大学の進路決めの時に親の期待と違う意見を言った結果「育て方が間違っていた」と烙印を押された。
私は抵抗することもなく、「貴方がそう思うのならそうだと思う」と伝えた。

4年後、就職の時期に再度親とぶつかり、縁を切る事になった。

その後は幸運にも彼と出会い、少しずつ抑制され内側に隠れていた自分と向き合い、元気に過ごしている。


しかし、未だに「過干渉」をどう説明すれば、うまく伝えれるかは分からない。
アウトプットをし続ける事で何かが得られる気がしている。なんとなく。
今日も自由にアウトプットしていこうと思う。

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