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喧嘩したまま死んでしまった

心残りなことでもう解決しようがないことはただ一つ。
喧嘩、というか行き違ったまま言葉を交わす事なく死んでしまった叔父の話。
些細なことがきっかけで、話すことも会うことも無くなってしまった。

叔父は私の祖母と二人暮らしだった。結婚したこともなく、もちろん子供を持ったこともない。仕事に恵まれていたわけでもない。趣味があったわけでもなく、多分…モテない。

祖母は90歳で叔父が介護をしていた。口の悪い二人はいつも喧嘩をしていた。それでも食事を作り毎日のように車で祖母を病院に連れて行ってくれていた。
そこまでしても誰からも感謝もされない日々。愚痴をこぼす相手もいない。そんな毎日の中、胃に違和感を抱いていたが、自分が病院に行く時間もなく過ごしていたそうだ。ある日耐え難い胃痛に襲われ来院すると胃がんになっていた。スキルス性胃がん。もう手遅れだった。
辛い抗がん剤治療を一人で耐え、見舞いに来る自分の家族さえいない。このまま死んでいくのか…と考える叔父の心には何があっただろう。何を描いていたのだろう。何かに希望は持てたのだろうか。その孤独や辛さを共有する者は誰もいなかった。私は、疎遠だったし、遠方に住んでいたこともあり一度もお見舞いに行くこともなく、叔父は死を迎えた。
最期にどんな姿だったのかも知らない。一度でも言葉が交わせていたらお互いを許しあえていたかも知れない。
そう思うと心が締め付けられる。

その数ヶ月後、私は初めての出産をした。
分娩室に叔父の存在を感じた気がした。
家に行くといつも小鍋を出して作ってくれたココア。
コミュニケーションが下手でぶっきら棒だけど感じることが出来た優しさ。
お正月には大量のお菓子を用意してくれた。
夏目漱石みたいな口髭があったなぁ。
あれから5年、日本から遠い異国で暮らす私。
気持ちの良い天気の日には、好きな香りのお香をお線香がわりにあげる。
少しでも叔父が癒されますように。私のこと許してね。そんな気持ちで。

ありがとう。大好きだったよ。
本当に、ありがとうね。

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