書評「巨人軍vs.落合博満」中溝康隆著(文藝春秋)
1994~1996年の3シーズンをジャイアンツの四番を張った落合博満。FA加入した40歳の四番バッターは、ジャイアンツOBを中心とした野球評論家から厳しい目を向けられていた。落合は、相手チームや対戦投手以前に、チーム内外の厳しい目と戦わなければならなかった。このノンフィクションは、当時の週刊誌記事、マスコミ情報を丁寧に集めて、逆境と戦った落合の巨人時代を今によみがえらせている。
当時、Gファンではあったが社会人になりたての頃で、ジャイアンツの戦いぶりやチーム事情を細かくフォローしておらず、本書を読み「ああ、そういうことだったのね」と思うところが多かった。ジャイアンツのみならずプロ野球の当時の雰囲気(デッドボールが多い、乱闘もしばしば)も感じられ、時代の変遷を大いに感じた。
「長嶋茂雄のために」と落合は満身創痍になりながらも試合に出続けて、伝説の「10.8決戦」などで先制ホームランを打つなど活躍した。ジャイアンツに在籍した3シーズンの通算打撃成績は打率.296、53本塁打、219打点だという。すごい。
西武ライオンズからFA移籍する清原に押し出される形でジャイアンツを1996年のシーズン終了後に退団した落合だが、翌97年のシーズンもジャイアンツでプレイするつもりだった。著者は、チームを越えての師弟関係にあった清原と落合が同じチームでプレイしていたらと想像して、「(清原が落合から)さまざまなアドバイスをもらえていたら、男たちのその後の運命は大きく変わっていただろう」と書いている。
確かにたしかにそう考えると、落合の退団はジャイアンツにとって大きな痛手だった。ちなみに、清原との入団交渉で「君が来るなら落合を切るんだ」と話したとして、清原・落合の入団・退団をややこしくした当時の球団代表の深谷尚徳さんは今年6月に亡くなっている。
ジャイアンツを出て日本ハムに移籍した落合は、その後2シーズン現役を続けた。日ハムでの通算成績は、打率.254、5本塁打、61打点。引退に際して本人の希望で引退試合もセレモニーもなく、最後の打席は代打で一塁ゴロだった。出待ちのファンと握手して現役最後の球場を後にしたとも本書に書かれている。
「嫌われた監督」も読んだが、ライターが伝える落合像からは、プロ意識が高く合理的でそっけない個人主義者という側面と、人情家でとても魅力的な人物という両面を持ち合わせているようにみえる。落合本人のインタビュー本は読んだことがないのだが、そういう複雑な人物像を理解したくて、落合本が出るとまた読んでしまうんだな、わたしは、きっと。