プレゼンテーション1

僕は‟信用”なのか、‟信頼”なのか。

おはようございます!

昨日は久しぶりに一日自転車で訪問をしたら、座面の硬さにおしりをやられて最後は立ち漕ぎの方が楽という状況に気が付いた 講内です。ちなみに、今日も自転車1日利用の予定です。今日はやられないように、朝からケツトレを入念に行っています。

毎日を過ごしていて思うのが、‟健康的な生活”ということが何よりも大切だなぁーって感じています。食事×睡眠×運動のリズムだとは思うのですが、整えていくことで、コンディションは抜群に良くなります(ホルモンバランスも整いやすくなる)。

当たり前といえば当たり前なのですが、人に接するサービス業というのはただでさえ、ストレス値が高くなります。それは自身の感じている部分と、感じたときには手遅れな部分と……なので、心身ともに健康な状態であることは最優先事項でしょう(ストレス社会に負けそうな人間、第1号!笑)。


歴史が転換した

『明智光秀(著:早乙女 貢)』を読んでいます。長編小説&歴史の定説を覆す伝奇となっておりますが、少々ビックリしました。

僕たちの中で、光秀は信長に虐げられて、本能寺の変を起こして、秀吉にやられて歴史の中から消え去る(諸説あり)というイメージがとても強いので、その部分が最高のクライマックスでは??と勝手に考えていました。

この本は、‟伝奇”でもあることから、いわゆる‟義経伝説”みたいな形で、色々な話が続いていくのでしょう。それにしても、信長に反旗を翻す場面が、半分も読み進めないうちに出てくる??(ウルトラマンが怪獣が暴れる前に倒して帰る的な感覚?笑

明日には、僕の中の定説であった、本能寺の変以後、歴史から消え去る‟光秀”を伝奇として読み進めていくことになります。こういったまた違った視点から観る歴史というものも、とてもいいですね。

ダークヒーローだと思っていた‟光秀”でしたが、信長の傍若無人ぶりを‟悪鬼”と描き、秀吉ののらりくらりと謀略をめぐらすさまを‟猿面”と描き……いかに対立構造があったかは見て取れます。視点が変わるということは面白い。

ただ、どのような状況にあっても、

‟天下万民太平の世をひらくためには……”

と、母を策略と信長の短略により失ったとしても、最大の目標を失わず過ごしてきました。この目標に最大限コミットしている姿がとても勇敢に移ります。きっと、戦国の乱世においては、信長のような部門に優れた人間が、その後の太平の世には光秀のような叡智にあふれる人間が向いていたという、時代によるものなのかもしれません。


‟信用”と‟信頼”の違い

何か記事で、予防医学の石川先生がこの違いについて述べられていました。うる覚えなのですが、‟信用”と‟信頼”には明確な違いがあるとのことです。

・信用:個人の持つデータを根拠とした理性的な判断

・信頼:感情の結びつき根拠とした判断

なので、光秀からすると、‟信用”はしていたけれども、‟信頼”はしていなかったのでしょう。直感的にも、これは理解しやすいと思います。

仕事におけるあなたの周りの人はどちらに属していますか?

そうなると、僕はどのような振る舞いをすることが正しいのでしょうか?結びつきとして、より強固になるのは、‟信頼”でしょう。ただ、実績を上げた状態で‟信用”が生まれ、‟信用”が積み重なり、‟信頼”につながることの方が多い気がしています。

もちろん、仕事としての‟信用”はないけど、‟信頼”はしているという形も起きるのでしょうが、それは新入社員に許された特権でしょう。ここから抜け出せるか、否かがその後の自身の成長につながっていくのでしょう。

僕はどうなのでしょうか??


ではでは、今日も最高の笑顔で、いってらっしゃーい!

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講内 源太

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