プレゼンテーション1

【小学校】高学年の僕は?

おはようございます!

昨日は、リフォームを行った実家に注文をしていた椅子が届き、テンションがあがりすぎた 講内です。


今回、実家のリフォームを行いましたが、床を無垢材にするなど、結構こだわりました。家具は子供もまだ小さいからある程度のものでと考えていましたが、カウンターテーブルのところだけはこだわりたくて。

というのも、そこで仕事をしたり、勉強したりするときに、僕自身のテンションを高める環境でやりたいんです。どんな環境でも、できないことはないのですが、やはり、気分の問題で。

それをかなえられる範囲でかなえてみました。



高学年になった僕


さてさて、昨日の続きになりますか。

小学校4年生以降、クラブ活動というものが始まりました。これに関して、選択権はなく、『金管バンド』クラブへ。

というのも、姉が3年間そこに入り、それに感動した両親が僕にも、そして妹にもその活動へ半強制的(特に、よくわからず入部したのも事実ですが)に入部という形になりました。

僕の担当はトランペット

全然雰囲気ないでしょう?本当に今考えると、よくやっていたなぁーって思います。

その中でも、色々な経験をさせてもらいました。TBSのコンクールに出たのは今でも鳥肌が立つくらいの経験でした。

当時吹いていて、好きだった曲は、『威風堂々』『ラバンバ』

どちらもソロパートがとてつもなくかっこよくて、一人のトランぺッターとしては、最高の曲と感じていました。


しかし、小学校5年生の後半、突如として、嫌いになる出来事が。

一人のめちゃくちゃにうまい女の子が入ってきたんです。そうなると、僕は嫉妬するわけですよ。それを原動力に、すごい練習をしました。ただ、してもしても、全く追いつかないどころか、ソロパートも含めて、すべてその子に移行されました。

(でも、僕は部のために……)←なんて書けたら、理想なんでしょうけど、小学生の頃の僕は全くできませんでしたね。

役割としての仕事はするけど、もうトランペットへの情熱はゼロ。どのようにモチベーションを保っていいかわからず、小学校を卒業したら、もう二度とやらないと決めてしまいました。

(それ以降、本当にトランペットを触ることはなくなりました。笑)


今思えば、子供だったなぁーと思いますが、当時の僕にとって、築いていた地位がなくなるという体験、一種の挫折は大きな体験だったのでしょう。今でこそ、そこから、立ち直る姿勢やチームとしての全体最適を考えられるのは、大人になったなぁとしみじみ思います。


明日ももう少し小学校かな?

ではでは、今日も最高の笑顔で、いってらっしゃーい!


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講内 源太

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