貯金という行為を振り返ってみた

去年からざっくりはじめた「貯金」という行為。
ぶっちゃけ収入もそんなにない私も、塵を集め続けて丘程度にはなってきた。

これが2019年の貯金推移。

これグラフで見ると相当積み上がったように見えるけど、実際はそんな大層な額でもない。

しかし!事実として「たった1ヶ月くらいは働かなくてものびのび暮らせる」程度には貯めることができたのだ〜!

来年度は「5ヶ月くらいは働かなくても暮らせる」程度貯金することを目標にしている。

ではなぜ「数ヶ月働かなくても暮らせる」が貯金の目標になったかというと、原因は今年の1月にさかのぼる。

「収入が無くなったら即死」状態から始まった2018年

今年のトピックスを「生活」と「お金」に注目して振り返ってみると

1月 会社を辞めれない(貯金が無いので辞めたくても辞められない)
5月 退職する(収入に対する不安についに覚悟を決める)
6月 死ぬほどバイトする(無いものは稼げばええやんという発想になる)
7月 フィリピン留学する(やりたいことが金で解決できるならやる)
8月 再就職する(安定した収入を再確保する)
9月 本格的に株をはじめる(貯金の運用を考えはじめる)

と、「生活」と「お金」がまあダイレクトに結びつくことが多かった。

今年の1月、仕事を辞めたいな〜と思ってはいたものの、貯金が1円もなかった(何なら少し学生時代の貯金も切り崩して生きていた)ので、辞めたくても辞めることができなかった。ジリ貧というやつである。

即死が隣り合わせになるとさすがにゆるふわに生きてたわたしもお金をしっかり見つめることになり、結果として「お金」についてよりよく深く考えるようになった。

そういえば給料の「手取り」とは何を引かれて手取りになるのか?とか、自分は何にどれだけお金を使っているのか??を知らなすぎた。

まずは「何にお金を引かれていて、何にお金を使っているか」を数え続けた結果、去年の6月から適当につけていた家計簿は今年の夏頃から相当細かく見やすくアップデートされ、今や毎月お金を仕分けするのが楽しくて楽しくてしょうがなくなったのだ。

数えて整えなければ気がすまない幼少期

思えば子供の頃から数えることが好きだったように思う。
味が複数個あるお菓子(アンパンマンラムネとか)を食べる時、わたしは一度内容物を全部出し、味で仕分けし、一番多く入っていた味から順に食べ、最も少ない味とその他の味の数が均一になったら、はじめて全種類の味を食べ始める子供だった。

社会人1年目に入った会社は結局辞めてしまったものの、当時一番楽しかった仕事は与えられた予算を最もうまく使う。というプロマネの領域の仕事だった。

ド文系の道を進んできたので、勝手に数字は苦手だと思っていたが、概念としての数は好きだったのかもしれない。

来年度のお金の話

そもそもお金を数えたその後どうしたいか、というと、
「自分の大切な人や大切にしている価値観に対して最優先でお金を使いたい。」という想いがある。

「収入が無くなったら即死」状態だった時、結婚した友人へのご祝儀を一瞬でも苦く感じた自分が本当に嫌だった。

来年度も大切な人や出来事に対して全力で祝えるような人間でありたいので、引き続きお金を大切に使っていきたい。

おわり

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