今日って1日を反省してみるの会

昼から日記を書き始める系高校生のジェノです(そんな系統あるものか)。ここ最近ずっと考えてるんですよね、こういう昼下がりくらいの時間に。1日1日を惰性で過ごしてしまって、人によってなんて無駄遣いを! とか、また人によっては眠って1日を過ごしたい、休みたい時もあるよねーとか、様々な意見をお持ちかと思うんですけど。私は、1日を大切にした方がいいのは言葉ではわかっていても結局は頭と心が拒否している人間だと思っています。ちなみに今日、2020年5月21日は、のろのろと課題をやったり、正午頃には(本格的には関わっていないけれど)デレマスの総選挙の結果発表をチラッと確認したり、書きたいネタがぱっと思いついたからメモったりとか、あとはお茶を淹れるのを失敗して凹んだり、とか。

……ハリのある生活ではありませんね。特に何かを頑張った1日でもないです。というか、もう4月の上旬あたりから自分が何をするのが今の生活において正解なのか、そもそもどうやってこれまでは過ごしていたのかをどこかに置いてきてしまって、とりあえず今は課題を終わらせなきゃと額に色んな汗を浮かべながらいそいそと机に向かっているわけでして。

高校生活どこいった?

自粛で頭がこんがらがってきたのをやっと自覚しました。たぶん今の休校期間に入る前は早く土日になってほしいの一心で平日5日間を学校で過ごし、半分くらいの教科の授業はほぼほぼ嫌々受けていたような感じだった気がするのに、そのあまりよろしくない日々の過ごし方がどこかに行ってしまったら行ってしまったで、上手く歯車が噛み合わさっていないような、休みばっかりの生活に困っていたようなのです。週2日の休みで満足していたわけではないのですが。人間って罪深い生き物ですよね。よく言われることだと思いますけど、欲しい! と思っていたものが途端に溢れかえるように供給されるとなんだこれ、要らないじゃんと手のひら返しをしてしまう、みたいなこと。

そこまで学校を楽しいと思っていた場所ではなかったはずなのに、あったはずの授業や行事がなんでもないお休みの1日で潰れると思うと何となく残念に感じます。自分で自主的にサボるのと、自分ではない何かによってなくなるのではワケが違いますからね。まあ今唐突に始まってもらっても困りますけど。

高校2年生はもっと楽しいものになるはずだったのになー。

こんな嘆きを数年後、休みなく働く社会人になった時、それよりも前に講義やレポートに必死になっている大学生や専門学生になった時に思い出すのか知りませんが、その時の1日と今の状況においての1日、どれくらい「密度」が変わっているのやら。いや、変わっていなければ困る、できるだけいい方向に。密度の低い日々が日記に書き残されていたり、少ない思い出が載った卒業アルバムが手渡されたりしてもなんとも言えませんし。早くコ〇ナちゃんおさまってくれよ……(小声)。

もっとも、それ以前に、1日に重みを感じるセンサー的な、心の在り方的なものをどこかで拾い直さないとダメな気がしましたねこれ。

さて、この日記のような独り言を投稿したら、今日は同じく課題に追われる妹と明日の朝まで勉強することになっているので、反省としては徹夜する羽目にならないように課題をやれ! ってところですかね。頑張ります(遅い)。



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