言葉。
別れを切り出されたのは、突然のことだった。
「え?」
僕は聞き返した。でも、帰ってくる言葉は同じだった。
こんなに無機質な目をしていただろうか。
彼女の顔に何か書いていないか必死でなぞるけれど、やっぱりそれと同じだ。
あんなに楽しい時間を過ごしていたのに。
あの時の北極星のようにキラキラと輝いていた眩しい瞳はどこへ消えたんだろう。
「ねえ、私のこと好き?」
彼女はしばしば僕に聞いてきた。
「当たり前だよ」
それだけ返す僕がいた。
いつの間にか、だ。
いつから僕は、こんなペラ紙1枚しか渡さないような人間になったんだろう。
彼女との出会いは高校2年の時だった。
僕は、コンピューター部に所属、勉強はそつなくこなし、体育は何とか切り抜け、授業が終わるとパソコン室に直行して、ゲームにひたすら溺れる。典型的な冴えない男子だった。顔もかっこよくないし。別に背も高くないし。むしろ小さいし。
対して彼女は成績はど真ん中くらい、でもスポーツ万能でソフトボール部のキャプテンをやってたし、髪はショート、日焼けもしているし、一軍女子と絡んでるし、なんか、なんていえばいいんだろうか、僕とは生きる世界が違った。まあまあ可愛いし。どうせ胸大きめだし。知らんけど。
そんな彼女と、2年生で同じクラスになった。
僕はただ、遠くから彼女を眺めているだけだった。
彼女はいつだって、周りに誰かを連れていた。誰かと話していた。僕には眩しくて直視できないくらいだった。
まあ、1年の頃から噂には聞いてたしな。
僕の高校は7クラスあるけど、それでも話が回ってくるなんて、そういうことよ。勝ち組って奴よ。やってられないよ。
また、厄介なクラスに当たっちゃったな。
そう思っていた。
2年生になってから、よりパソコン室へと足が向かうようになっていた。
そうして何ヶ月か経って、いつも自転車で通る登下校の道に、銀杏が大量に落ちて異臭を放ち始める季節が来た。
またいつものようにパソコン室で1人ゲームに勤しんでいた時のことだ。
なんか、いる。
いつも僕1人しかいないのに。
誰?
見てみて腰を抜かした。分かりやすく驚いた。おまけに声まで出た。欲張りセットじゃん。
あの、彼女がいた。
え?
心の中で呟いた。
いや、いや、、、、おかしいでしょ。一軍がなんでここにいんだよ。2人かよ、、、
僕の動きに反応したのか、彼女は意味ありげな笑みを微かに浮かべてこっちに来た。
「何してんの笑」
「…ゲームだよ」
「へ〜。だからいつもすぐ教室から消えるのか笑」
「…別にいいでしょ笑」
なんだなんだ。どういうつもりだよ。
聞きたかったけど聞けるわけないし。
その場はなんとかやり過ごした。
でも、彼女は数日に1回、パソコン室に来るようになった。
なんのつもりかは相変わらず分かんないけど。
彼女は何をするでもない。
ただ、僕の2つ隣くらいの机でパソコンと正対しているだけだ。
僕はそんな彼女を見つめるだけだ。
たまに話す。
それが心地よい。
それだけじゃちょっと物足りないけど。
ある日、僕は彼女にふと尋ねた。
「なんでここに来るの?」
彼女は言った。
「落ち着くの笑」
んなわけあるかい…あんた一軍やろ…
「私、けっこうアニメとか好きなんだ。運動も好きでさ、そういう感じで見られることも多いけど、たまにバランス取りたくなるの」
そうだったのか。
知らなかった。
初めて会った時のあの眩しさの中に、一筋の闇が差し込んだ気がした。
僕は、彼女のたった一つの面しか見えていなかったんだ。
その日から、なんだか気になってしまった。教室では見せない顔をパソコン室では見せる彼女のことが、である。してやられたりってところだよ、ほんと。
僕は1回だけ彼女の写真を撮ったことがある。付き合ってからではない。パソコン室で僕とアーモンドチョコを半分こしている時の写真だ。
なんで撮ったんだろうか、あんな写真。彼女も間抜けな顔してるし。可愛いけど…
確かバレンタインデーの近くだった気がする。浮かれてたんだろう。どうせ。
そんなことはまあいい。とにかく僕は彼女を好きになった。
でも僕は冴えない男子だし、告白するのはやっぱり怖い。言わないことには始まらないのは分かってる。分かってるけど。怖い。
そんな僕を手助けしてくれた人がいた。女友達。
名前は…別に言わなくてもいいし、言わない。まあ便宜上「奴」と呼称しておこう。こんなことバレたら奴に滅多刺しにされそうだけど。
奴は女子バスケ部の筆頭株的存在で、ガタイがよく、力も強く、僕が到底太刀打ちできないような女だった。
だから、僕は実質奴の下僕であり、舎弟であった。
そんな下の身分から今回の彼女の件を話すのだから結構勇気がいる。まあ、奴は彼女と仲が良かったし、奴の力を借りれば何とかなるのではないか、という希望的観測に基づいた的確なオファーであったことは分かって頂けるだろう。
LINEで協力要請をしてみたら、
「お前、ずっと好きだったべw」
って、返事が来た。全く、奴には敵わない。
さあ、作戦の始まりだ。
それなりに僕は彼女とも遊んでいたし(無論、ほかの男女も含めてだが)、そこまで嫌われてそうな感じもしなかったし、何なら彼女が嫌いだとずっと言っていたYという男の愚痴を聞かされるくらいには成長した。
後日談ではあるが、Yも彼女のことが好きだったらしい。
そしてひとつ、作戦を決行する日になった。
作戦といっても、僕と奴と彼女の3人で、かくれんぼをするという不思議な作戦。と言うよりは小学生の作戦だろう。奴は何を考えているのだ…。
野球グラウンドを2倍に広げたくらいのだだっ広い公園で、僕たち3人はずっとかくれんぼをしてた。
これが、案外楽しかった。僕はともかく、奴と彼女は運動が好きな訳だから、それはそれは楽しいのだろう。
僕も、小学生時代に一番好きだった外遊びはかくれんぼだった(兎に角身体が小さいので、隠れることは1級品の上手さだった)から、自然とあの頃を思い出して夢中になっていた。
かくれんぼの中では、僕が隠れていた彼女を見つけ、僕と彼女の2人で奴を探す、というスペシャルイベントも発生して、初め奴を疑っていたのを猛省した。
かくれんぼが終わって、プリクラを撮った。
久々のプリクラだった。中学生以来だったと記憶している。
そこに写る肌白、目拡大加工満載の僕の笑顔は、いつもの笑顔よりほんの少しだけ輝いて見えた。
もう、そのプリクラは棄てたけど。
かくれんぼ大作戦が功を奏し、僕は彼女と2人で学校から帰る機会を手に入れた。学校からだと、彼女の家の方が僕の家より断然遠かったので、僕は彼女の家まで行くことになった。
その帰路で、まだ知らなかった話を色々と聞いた。小学生や中学生時代の話が主だった。ついには一軍女子の愚痴まで飛び出すようになった。
僕は、覚悟を決めた。
3月31日。
その日は高校生と名乗ることが許可される最後の日。僕と彼女と、他にも大勢の男女、合わせて10人くらいで花見をしていた。
花見で僕の横に座っていたのは、彼女だった。
大量のお菓子が花見を盛り上げていた。彼女はのり塩ポテトチップスを、美味しい美味しいと言って沢山食べていた。
僕は押し黙って、甘ったるいミルクティーを好きでもないミルクチョコレートと一緒に口中に流し込むばかりだった。
鉱物と化した僕を見かねたのか、彼女は言った。
「少し、散歩しない?」
桜並木はとても綺麗だった。開花から少したち、少し緑色の葉も混じってはいたが、それでも毎年の仕事を確実にこなしていることは明白だった。
「今日、一緒に帰らない?」
僕は問うた。
彼女の承諾の一言は、僕の目の前に降ってきた1枚の花びらに気を取られて聞き損ねてしまった。
お開きの時間になった。
僕と彼女は2人で、すっかり暗くなった川辺の道を、乗らなければただの金属の塊と化す自転車を押して歩きながら彼女の家へと向かっていた。
「今日で終わりか」
「そうだね」
もう終わっちゃうんだよな。
終わらせたくなかった。
家まであと少しのところで、僕は彼女を呼び止め、堤防のベンチに腰掛けさせた。
川沿いの風は春ではあるものの、夜になると流石に幾分かの冷たさを感じさせる。
「あのさ、俺、」
心の中はさながら桶狭間の戦いの今川である。
僕の発した言葉を聞いて、彼女は言った。
「私ね、怖いんだ。」
何が、怖いの。
「付き合ってさ、もし、別れの時が来たらさ、もう、君とは元の関係には戻れないんじゃないのかって」
今までの思い出が一瞬にして脳内を暴れ回った。
あれらが全てプロポリスの如く喉を殴り散らかし、心の奥底に鉛として鎮座する時が来るということか。
プロポリスと違って身体に何も良くないし。
僕は答えを切り出すのに幾許かの時間を要した。結論など簡単に出せるはずもなかった。
どちらの気持ちも本当で本物で、どちらを選んでも後悔するのは火を見るより明らかだ。
僕は、そこで選択を間違えたのかもしれない。竹野内豊が主演、バカリズムが脚本を担当したあよドラマの世界だったら、僕はこの瞬間に戻るだろう。
「それでもいい」
僕は彼女ではなく、自分自身を説諭するようにそう言った。
こうして、僕と彼女は付き合うことになった。
それから、色々なことをした。ここからはただの惚気になってしまうし、思い返すと楽しくはあるが傷を抉る行為なので全て割愛する。一言でいえば「思い出したくはない記憶」なのだ。
ただ、ひとつだけ補足をしておくなら、彼女がご飯を食べている時のその笑顔が、僕は大好きだった。
あの煌めくような美しい瞳を、僕はいつまでも眺めていたいと思った。
そうして、彼女と過ごす時間が増えていくうちに、僕は何かを置き去りにしていたのかもしれない。
初めてちゃんと話をした日のあの感覚、
奴に協力をお願いしたあの日の緊張感、
2人で帰った帰り道、
告白したあの日、
そして、
彼女にきちんと、「好き」と言葉で伝えること。
いつの間にか、僕は彼女にその一言を言わなくなっていた。
言葉に出さなくても分かっているよね、そんな考えが頭をよぎるようになった。
言葉の持つ力など、知らぬままに。
いつの間に、僕はそんなに傲慢になったのか。
いつの間に、僕はそんなに偉くなったのか。
別れを切り出されたのは、突然のことだった。
彼女は僕に小さな声で笑いかけた。
「こんな寂しい気持ちになるなら、付き合わない方が良かったのかもね」
違う。
違うよ、
それは僕のせいだと思う。
あの時、僕がその選択をしたのもそうだけど、
全部、僕のせいだ。
夏真っ盛りの日のことだった。
流した数粒の涙は、汗と混じってどこかへ消えてしまった。
その日を境に、僕は彼女と連絡を取らなくなった。
おもちゃの時計の針を戻しても、何も変わらない。
あの日から僕は、言葉を大切にしている。
好きをいつまでも言いたい相手とは、まだ結ばれていないけど。
※このnoteは、僅かばかりの僕自身の実話を元に大幅に脚色し、1週間に1回、思考回路の停止する夜中に3月からちまちま書き続けていた、小説でもなんでもないフィクションの駄文です。
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