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万華鏡

最近はとにかく眠い日々が続いております。

佐久間さんについてあれほどペラペラと語っておきながら、新内さんの段階で、あとちょっとのところで寝落ちしました。血液自体をモンスターのようなエナジードリンクに総入れ替えしなければいけない日が近いのでしょうか。



炊きがちな玄米です。



西野カナさんが以前インタビューで「毎回(歌詞が)もう書けへんと思っている」と言っていたのを思い出しました。

僕ももうネタがありません。

でも書きます。書くことは好きですから。


今回は確か高校1年生の夏の時の苦い思い出を。
例のごとくパーソナルな話題でございます。
例のごとく長くなります。失敬。


「星雲と夜」と題したnoteを読んで下さったとある方から、とても素敵な言葉を頂戴しました。




心の闇は、吐き出した方がいい。ただ吐き出すだけでいいから。




あたたかい言葉ですよね。

今までこういった家庭の話を人にすることはほとんどありませんでした。話したことがある人は、片手で数えられる程度です。


そして数日前、noteという公開的な、しかし閉鎖的なところで家庭の話をしたら、心が少し軽くなりました。


読んでくださる方が何故かいらっしゃるのが本当に不思議です。ありがたいですよ。とても。本当に。


そんな助言を胸に、またディープチックな話を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

ただ、僕があまりにも情けなさすぎる話です。










相も変わらず父(養父)の独裁政治が続く僕の家で、皆が少しずつストレスを溜めていたある日のことでした。

何を考えていたのか全くわかりませんが、僕は突然、母に「家を出る」と宣言したのです。そこまでしなければ父は何も変わらない、と子供心に感じたのでしょうか。


幸いにも、母と母方の祖父が協力してくれることになり、僕は1万円札とiPod touch、それに数日分の洋服だけ持って家を飛び出し、東海道新幹線の終電に乗って熱海まで向かいました。

熱海で降りるはずが、僕は寝落ちしていたために三島まで持っていかれ、早速窮地に立たされました。祖父に連絡したところ、わざわざ三島まで迎えに来てくれました。初っ端からこんなことをしているようでは、本当に駄目だなと思ったのでした。

それから祖父の家で数日過ごすも、事態は膠着状態。父が何を言ってくるでもなく、ただ時が流れていくだけでした。

3日目か4日目にして、初めて先方から連絡が。離婚する、ということで決着がついたようで、僕は祖父に執拗いほどに謝意を告げ、特急踊り子に乗って東京まで帰ることに。
踊り子の車内で飲んだ、プラスチックの容器にティーバッグだけ入って売られていて、直前にお湯を注いで飲むタイプのお茶の異様なまでの苦さを、舌が鮮明に覚えています。

ようやくこの地獄から解放されるのか、家出も無駄じゃなかったなと思ったのは甘かった。






数週間するとその話はなかったことにされていました。




無理もありません。

この家出より前に、「あまりに父の言動が酷すぎる」ということで祖父が父に書かせた離婚届があったのですが、書いて数ヶ月後のエピソードを。



父と母が大喧嘩した時、母はいい加減離婚しようと懇願しました。ここまではいつもの光景で、僕たち息子と娘はただ黙ってその様子を見ているだけ。


のはずでした。



しかし次の瞬間、父は棚から例の離婚届を取り出し、母の前でそれをビリビリに破り捨てたのです。


一同、言葉を失いました。






父がうっすら笑みを浮かべていたことを、僕は決して忘れません。





今でこそ父はだいぶ丸くなり、僕もそれなりに父に色々と合わせて会話するくらいには関係を修復しました。


そんな風に見せています。



いい息子を演じています。



今日たまたま教習で、「君、20歳になったんだね、お父さんもお酒一緒に飲めるんで喜ぶんじゃない?」と指導員の方に言われました。
勿論僕は、「そうですね、息子と飲みたい、って言っていましたからねぇ」と言って笑いました。


死ぬまで父とお酒は飲みたくありません。


誘われたら、飲みたい自分を演じて、多分飲むと思います。昔はああだったな、と言われたら、笑ってやりすごします。


心の中で怒りの火を燃やしながら。







3月で実家を出ますが、父と母と連絡は取らないつもりです。連絡先も消します。
さすがに弟や妹に罪はないので、弟らの連絡先だけは取っておこうと思います。


ひと通り家事は学んできました。
父は最近よくこう言って笑います。



「お前はひとりでもやっていけそうだよなあ」



当たり前じゃないか、父よ。
あなたのよう

にだけはなりたくないからね。



反面教師という言葉があります。
僕はある意味で父に感謝しています。



あと4ヶ月。
抗うことをやめました。


あと4ヶ月耐えれば、僕は晴れて解き放たれます。弟たちのことは心配ですが、何とかしてくれるでしょう。そんなに彼らもヤワじゃないと信じています。



とまあ、こんな感じです。
今生きていて良かったなぁと思います。


正しい道を歩むことが、父への最大の復讐になると思うから。






何を言いたいのか分からないnoteになりました。いつものことです。今回はここで終わりにします。

また何か書きたい衝動に襲われたら、更新しようと思います。ここまで読んでくださった方がいらっしゃったなら、本当にありがとうございました。








お馬鹿なふりをして
ゆらゆら生きている

誰も知らない
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