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バリェ゠インクラン『独裁者ティラノ・バンデラス 灼熱の地の小説』訳者解題(text by 大楠栄三)

 2020年2月21日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第6回配本として、バリェ゠インクラン『独裁者ティラノ・バンデラス 灼熱の地の小説』を刊行いたしました。
 本書は「独裁者小説」の先駆的作品として、スペイン文学のみならず、ガルシア゠マルケス、フエンテス、カルペンティエールらラテンアメリカ文学を代表する後世の作家にも引き継がれていきます。刊行直後にスペインのベストセラー小説になった『独裁者ティラノ・バンデラス』。現代スペイン文学のなかでも「難解」で知られる、前衛小説の本作が、多数の読者を獲得したのはなぜか――。
 以下に公開するのは、訳者・大楠栄三さんによる「訳者解題」の一節です。

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原題『ティラノ・バンデラス』Tirano Banderas

 「ティラノ」とは、「道理や正義を遵守することなく、時に残忍にも、家来や人民たちにみずからの意向を強いる為政者[★01]」のことである。同じラテン語(tyrannus)に語源をもつ恐竜ティラノザウルスからも「凶暴さ」が連想できるだろう。為政者の名は「バンデラス」、すなわち「旗」の複数形。この原タイトルからスペイン語の分かる読者なら、「独裁者」、かずかずの旗をはためかせ行進する家来たちを見下ろす「独裁者」を想起するにちがいない。

 日本の読者ならさしずめ、ヒトラーやムッソリーニ(東アジアの現役の為政者をあげるのは憚られるので)の観閲式の場面を思い浮かべるかもしれない。ただ、書店で本書を手に取るようなコアな読み手は、ラテンアメリカ文学に思い至ったはずだ。「ラテンアメリカ文学のブーム」をになった作家たちを、1970年代半ばに引きつけたテーマがまさに「独裁者」であり、彼らが「三大独裁者小説」と呼ばれる3作を立て続けに発表しているからだ―カルペンティエール『方法異説』(1974)、ロア゠バストス『至高の我』(1974)、ガルシア゠マルケス『族長の秋』(1975)[★02]。彼らによって独裁者を作品の中心に据え物語を展開していく「独裁者小説」というサブジャンルが確立されたわけだが、スペイン語文学におけるその嚆矢(こうし)とされる小説が本書であることは、残念ながらあまり認知されていない。

独裁者小説の嚆矢

 自尊心の強いラテンアメリカの作家にしてはめずらしく、ロア゠バストス(Augusto Roa Bastos 1917‐2005)がバリェ゠インクラン没50周年の特集において、本小説に自作のインスピレーションを負っていることを告白している――

『ティラノ・バンデラス』は、ラテンアメリカ文学における独裁者の家系を創始した小説である。このことは年代的な観点からも、美学・人文的な真実という観点からも、疑いようのない事実。〔……〕私の小説『至高の我』にしても、『ティラノ・バンデラス』という現実かつ伝説的な先例がなければ書き上げることはできなかっただろう。〔……〕『至高の我』の主人公は、まるで悪夢のように、たえず私に背を向けていた。ところが、私が初めてバリェ゠インクランの小説を読んだとき、官邸のバルコニーにたたずむサントス・バンデラスの望遠鏡で見たような黒い影のおかげで、顔を隠していた自分の主人公を真正面から見ることができたのだ[★03]。

 後にラテンアメリカの作家たちが手本とする「独裁者についての小説」、すなわち本作に着手したことを、57歳のバリェ゠インクランはガリシア地方の海沿いの村で膀胱癌による激痛に苦しみながら、マドリード在住の親友のメキシコ人批評家アルフォンソ・レイェス(Alfonso Reyes 1889‐1959)に書き送っている(1923年11月14日)――

最近、私は、『ティラノ・バンデラス』というアメリカ小説に取り組んでいます。フランシア博士、ロサス、メルガレホ、ロペス、ドン・ポルフィリオらの特徴を兼ねそなえた、一人の独裁者についての小説です。彼らを統合した主人公となることでしょう。〔……〕この本の執筆をすすめるにあたり資料が足りません、できれば、親愛なるレイェスよ、こちらに送付してもらえますか。〔……〕私の記憶はもう役立たずで、どうにかよみがえらせたいのです[★04]。

 バリェが列挙しているのは、いずれもラテンアメリカ各国の名だたる歴史上の独裁者たちである。聖職者になろうと神学の学位を取得したものの(そのため「フランシア博士」と呼ばれたが)、パラグアイの独立運動に身を投じ、その後26年にわたって強権的に国を支配したホセ・ガスパル・デ・フランシア(José Gaspar de Francia 1766‐1840)。独立直後のアルゼンチンで最強の牧場主としてガウチョたちを率い、ブエノスアイレス州知事となり力による保守反動独裁を布いたフアン・マヌエル・デ・ロサス(Juan Manuel de Rosas 1793‐1877)。メスティソの兵士からのし上がり、クーデターによってボリビア大統領となり、奇行と蛮行で有名な独裁者となったマリアーノ・メルガレホ(Mariano Melgarejo 1820‐71)。戦争で失った左脚を国葬にしたことで知られる軍人で、退陣と復帰をくりかえし11回もメキシコ大統領に就いたアントニオ・ロペス゠デ゠サンタ゠アナ(Antonio López de Santa Anna 1794‐1876)。1876年に武力によって実権を掌握、のち35年間にわたりメキシコに長期独裁を布いたポルフィリオ・ディアス(Porfirio Díaz 1830‐1915)。

 書簡に「記憶をよみがえらせたい」と記しているように、バリェは、みずからの見聞をもとに独裁者小説を書こうとしていた。バリェはラテンメリカに実際に足を運んだことのある、当時にしては稀なスペイン作家だったのだ。1892年、26歳のバリェは、冒険心にかられメキシコに旅立ち、記者としてシティの新聞社を転々としながら波瀾万丈の日々を送り、約1年後に帰郷する。2度目は、1910年44歳のとき。舞台女優と結婚していた彼は、3歳の娘を連れ、妻の劇団の南アメリカ巡業に付き添う。約8か月、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、チリと5つの共和国を旅し、各地で講演をおこなっている[★05]。3度目は、1921年、スペインを代表する作家としての名声を博していた55歳のバリェは、メキシコ政府文化担当官を務めていた友人レイェスを介して、メキシコ大統領アルバロ・オブレゴン(Álvaro Obregón 1880‐1928)から独立百年祭への公式招待を受け再訪。革命の成功にわくメキシコで、2か月間かずかずの祭典に出席している。

 レイェスへの書簡からは、スペイン語文学初の独裁者小説を、ラテンアメリカでのみずからの経験、とくに1度目のメキシコ訪問におけるポルフィリオ・ディアスの独裁下(「ポルフィリアート期」)の体験をもとに書こうとしているバリェの姿が見えてくる。

副題「灼熱の地の小説」“Novela de Tierra Caliente”

 よって当然、小説の舞台をラテンアメリカに設定するわけだが、レイェスへの書簡のつづきでバリェは次のように綴(つづ)っている──

サンタ・トリニダー・デ・ティエラ・フィルメ共和国(República de Santa Trinidad de Tierra Firme)は架空の国、アベル・エルマンがいずれかの小説に描いたヨーロッパのあれらの宮廷のようなものです。

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初版(1926年)扉(スペイン国立図書館蔵)

 フランスの小説家・劇作家アベル・エルマン(Abel Hermant 1862‐1950)を引き合いに出し、小説の舞台を、ヨーロッパの、実際にはエルマンの小説に登場するロシアやオーストリアの宮廷に喩えている。しかし、副題の「ティエラ・カリエンテ」(Tierra Caliente)から、読者はまず、メキシコからベネズエラやコロンビアにいたる「海抜1000メートル以下の熱帯の地[★06]」が舞台だと考えるだろう。ましてバリェの読者なら、一読するまでもなく『ティラノ・バンデラス』が、メキシコに代表されるラテンアメリカを舞台にしたものだと閃(ひらめ)いたにちがいない。バリェの作家としての名声を確固たるものとした《ソナタ》シリーズの第二弾『夏のソナタ』(1903)[★07]で、主人公ブラドミン侯爵はメキシコを舞台に恋の物語をくりひろげ、「ティエラ・カリエンテの平原を走り抜けた」から「ティエラ・カリエンテのありとあらゆる香りをふくんだあの微風」まで四度もこの比喩がくり返されていたからだ。

 さらに、1923年の構想の時点で「サンタ・トリニダー・デ・ティエラ・フィルメ」、発表時には「サンタ・フェ・デ・ティエラ・フィルメ」となる共和国についても、第一に「ティエラ・フィルメ」は、16‐17世紀にかけて現パナマから南米北部を含む地域一帯の呼称である。次に「サンタ・フェ」は、コロンビアの首都ボゴタの旧称であるとともに、現合衆国ニューメキシコ州の州都、あるいはアルゼンチン北部の州名[★08]にもあるように、特定することは難しいが、少なくとも(スペイン本国ではなく)ラテンアメリカの内部に「架空の国」が設定されているのは読者にとって明々白々だ。

 興味深いのは、バリェがスペインで『ティラノ・バンデラス』の執筆をすすめていた1923‐26年とほぼ同時期に、大西洋をはさんだグアテマラで、同じくラテンアメリカを舞台にした独裁者小説の執筆をはじめた作家がいたこと。エストラーダ・カブレラ独裁政権(1898‐1920)下の投獄経験にもとづき1922年に『大統領閣下』(1932年完成、46年出版)に着手、後に『グアテマラ伝説集』(1930)の成功で「魔術的リアリズム」の土台を作ったと賞されるミゲル・アンヘル・アストゥリアス(Miguel Ángel Asturias 1899‐1974)である[★09]。

 ただし、独裁者というテーマに同じ時期に引きつけられたバリェとアストゥリアスではあったが、『大統領閣下』を読んだ人なら誰しも、「独裁者」の人物描写に物足りなさを覚えたことだろう。寺尾が指摘するように、「独裁政権下の社会や抑圧的体制下で生きる人々の生活を描いているだけで、独裁者自身の肖像はほぼ手つかず[★10]」だからだ。実際、独裁を強いる大統領の登場は六場面にすぎず、彼に翻弄される腹心(カラ・デ・アンヘル)とその妻といった家来や市民たちがメインとなり、大統領は一度も名指しされず輪郭もぼんやりしたまま終行となる。前出のロア・バストスが「独裁者の原型となるイメージ」だと讃えるところの、「黒いサングラスをかけた髑髏」で「コカの葉の緑の唾液を口元にたたえた」という独裁者像を創りあげ、その彼に「どこからともなく現れる反対勢力」を対峙させ、独裁体制の崩壊までを描ききった――この意味からも、やはり『ティラノ・バンデラス』は、独裁者小説の真の嚆矢と見なすことができる。

ベストセラー小説

 では初の独裁者小説は、当時のスペインでどのように受け入れられたのだろうか? 1926年12月15日に刊行された本作について、1か月半後マドリードの日刊紙に――

大好評『ティラノ・バンデラス』―彼の熱心な読者たちが待ち焦がれていた、ドン・ラモン・デル・バリェ゠インクランの最新作、出版されたばかりにもかかわらず、今や初版品切れ間近、すでに重版に入ったとのこと_(El Heraldo de Madrid、1927年2月1日)

 2日後、当時スペインでもっとも有力な日刊紙(El Sol、1927年2月3日)にも――「『ティラノ・バンデラス』第2版、印刷中。すさまじい売れ行き(¡Formidable éxito de librería!)」。およそ3か月後の同紙(1927年5月14日)には、「『ティラノ・バンデラス』 バリェ゠インクランの小説 3か月で1万部完売! 第3版はセダセロス通り12番へ」という広告もどきの記事まで掲載されている。同年4月18日、ハバナの新聞記者とのインタビューで、「『ティラノ・バンデラス』の売れ行きが良いようですね?」と訊かれたバリェが、「はい、とても。私の本の中でもっとも好評を博した1冊です[★11]」と認めるとおり、彼にしては並外れたベストセラーとなったのだ。

 当時交流のあった新聞記者(Francisco Madrid)は、後に著したバリェの伝記に次のように記している――

『ティラノ・バンデラス』が登場するや、書店の陳列棚で目にした人びとは初版と2版を品切れにしてしまった。今世紀に入ってスペインで最大のベストセラーの1冊となったのだ。48時間後には、文学や演劇のあらゆるサロン(tertulia)で、集った人びとは政治や闘牛、今日の問題そっちのけで、顔を合わせるや「『ティラノ・バンデラス』をお読みになりましたか?」と最初に尋ねたのだ。読書をしたがらないスペインの一流女優までが、初版本を手に、バリェ゠インクランの言葉の大半を理解できないまま、素晴らしい小説のページをめくりはじめた。ドン・ラモンに対して、大衆の、そして権威ある人びとによる祝典がつづいた。批評家もコメンテーターもインタビュアーも、作品を絶賛したのだ[★12]。

 初版刊行から約1年後の1928年2月3日には――「バリェ゠インクラン 『ティラノ・バンデラス』の新版 2万部! レナシミエント出版――サン・マルコス通り42番[★13]」という広告が掲載されている。前年5月の同じ日刊紙に「第3版」と記載されていたということは、この広告にうたわれる「新版」とは、第4版で、それを「2万部」刷ったということだろうか?
 残念ながら、「第3版」や「2万部」といったデータを、鵜呑(うの)みにするわけにはいかない。というのも第一に、1926年、それまで一手に任せていた出版社に不満を抱いたバリェは、その出版社との関係を清算し、『ティラノ・バンデラス』以降の出版では(紙を購入し印刷所に発注するといった)印刷、その後の流通・販売の全工程を一人でおこなっている――事実、初版の扉には「注文は作者へ――サンタ・カタリーナ通り12番[★14]」と印刷されている。こうした状況で、1万や2万といった増刷や配本に対応できたなど、とうてい信じがたい。まして印刷所(Imprenta Rivadeneyra)からの請求書によると、初版(1926年12月15日)が4、300部、2版(1927年12月10日)が4、250部しか刷られていない[★15]。バリェの存命中に刊行されたのはこれら2版のみ、つまり総発行部数は1万部弱なのだから、各紙にうたわれた「第3版」や「2万部」は、作家バリェにつきまとう伝説の一つにすぎないことになる。ただし、発行されて1年間で初版の4、300部が完売したのは事実。よって、繰り返しになるが、『ティラノ・バンデラス』は、バリェにしては並外れたベストセラーとなったのである[★16]。

読者が待ちわびた新作

 なぜ、それほど人気を博したのか? まず言えるのは、『ティラノ・バンデラス』を「マドリードの有力紙がこぞって取り上げ、引用をともなう書評を掲載した[★17]」おかげである。出版の翌月(1927年1月)には、(確認できた範囲で)首都の日刊紙と雑誌計8紙が、「スペイン文学の精華」、「《ソナタ》の輝かしい創造主」バリェ゠インクランの最新作として取り上げ、「《ソナタ》と『狼のロマンセ』を生み出した輝かしいペンが、この新作では、その特有の立体感と厳しい光によって、独裁体制下のアメリカの国の生活を容赦なく描き出している[★18]」といった称賛を並べ立てている。

 書評のこういった文言から、当時のスペイン読者たちの期待感がかいま見えるだろう。年譜に明らかなように、《ソナタ》シリーズ以後、カルリスタ戦争を描いた『古の隼(はやぶさ)』(1909)や第一次世界大戦のルポルタージュ『真夜中――星の視野から見た戦争の一瞬』(1917)を除き、演劇に専念してきた作家の久しぶりの新作小説。しかも、1921年にバリェがメキシコ革命政府から公式に招待されアメリカを訪問したことは大々的に報じられていたのだから、読者の期待が高まるのも想像に難くない。

軍事独裁下のスペイン

 当時の新聞各紙がこぞってバリェの新作を取り上げ、読者たちの関心を強く惹きつけた一番の理由は、実は、そのタイトル『ティラノ・バンデラス』にあった。

 1917年、第一次世界大戦の大勢が決り、ロシアで革命に向け大衆運動が高まるなか、スペインでも、労働者たちがインフレと生活物資の不足からストライキを続発させていた。対して、待遇に不満を持つ軍部が「軍防衛評議会」を各地に設置し、非常事態を宣言。組合労働者たちはゼネストで対抗するが、それを軍が弾圧し多数の死傷者がでる。18年には、カタルーニャとガリシア地方で地域主義運動が激化。アンダルシア地方では、農民が土地を要求する運動が拡大する。翌19年、バルセロナで再びストライキが頻発し、労働者と経営者の対立が激化、暗殺事件が相次ぐ。

 こうした状況下、21年7月22日、モロッコに派兵されていたスペイン軍が地元部族の襲撃を受け1万人を超える犠牲者を出す大敗北を喫してしまう。この「アヌアルの悲劇」によって市民たちに高まった不満をまえに、軍事作戦失敗の要因について調査が進められる。結果、国王アルフォンソ13世の作戦への直接的な介入が疑われ、これを示す調査書が国会に提出されようとしたまさに直前、23年9月13日、プリモ・デ・リベーラ将軍(Miguel Primo de Rivera 1870‐1930)がバルセロナでクーデターを起こした。戒厳令を発し、国王の支持のもと、憲法を停止し国会を解散。「軍事政府」を樹立しみずから首長に就いて、独裁を開始した。まず着手したのは、体制による検閲。新体制を誹謗する者は投獄や国外追放にするなど、容赦ない弾圧を加えた[★19]。

 独裁者小説に着手したことを知らせるアントニオ・レイェス宛の書簡の日付は、1923年11月14日。つまり、プリモ・デ・リベーラが独裁を開始して2か月後のこと。ここからバリェの執筆動機が瞭然としてくる。

 要するに、軍事独裁下にあった当時のスペイン人は、『ティラノ・バンデラス』のタイトルを目にし、勝手に自国の独裁者をテーマにした小説だと思い込んだのだ。1920年、戯曲『ボヘミアの光』に、首都マドリードの退廃した社会を冷酷に描き出し物議をかもしたバリェのこと、読者がそういった勘違いをするのも当然である。むしろこのタイトルには、読者を勘違いに仕向けたバリェの作為さえ感じられる。

(大楠栄三)

[★01]María Moliner, Diccionario de uso del español, Madrid: Gredos, 2007.
[★02]寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門―ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで』(中公新書、2016年)152頁。ロア・バストス『至高の我』は未訳で、カルペンティエール『方法異説』寺尾隆吉訳(水声社、2016年)、ガルシア・マルケス『族長の秋』鼓直訳(集英社文庫、1994年)。
[★03]A. Roa Bastos, “Valle-Inclán, fundador de la saga de los dictadores latinoamericanos”, ABC, 4-I-1986.
[★04]E. S. Speratti Piñero, La elaboración artística en Tirano Banderas, México: Fondo de Cultura Económica, 1957, p. 147.
[★05]Luis Antonio del Olmet (A.), “El magnífico señor D. Ramón del Valle-Inclán. Retrepado en su hidalgo sillón, cuenta el marqués de Bradomín sus aventuras en América”, El Debate (Madrid), 27-XII-1910.
[★06]María Moliner, op.cit.
[★07]ラモン・デル・バリェ゠インクラン『夏のソナタ』吉田彩子訳(西和書林、1986年)。
[★08]Gonzalo Díaz-Migoyo, Guía de Tirano Banderas, Madrid: Fundamentos, 1985, pp. 273-274.
[★09]『大統領閣下』末には、「1922年12月、グアテマラ市にて。1925年11月、および1932年12月8日、パリにて」と日付が記されている。Miguel Ángel Asturias, El señor presidente, edición de Alejandro Laoël-d’Aussennac, Madrid: Cátedra, 2011, p. 404.
[★10]寺尾隆吉、上掲書、152頁。
[★11]“Don Ramón del Valle-Inclán da a la América española las primicias de su obra El Ruedo Español”, Diario de la Marina (La Habana), 19-IV-1927.
[★12]Francisco Madrid, La vida altiva de Valle-Inclán, Buenos Aires: Poseidón, 1943, p. 113.
[★13]El Sol (Madrid), 3-II-1928, p. 2.
[★14]R. del Valle-Inclán, Tirano Banderas, Madrid: Imprenta Rivadeneyra, 1926, p. 1: “PEDIDOS AL AUTOR ---12, SANTA CATALINA, 12--- MADRID”.
[★15]Manuel Alberca, La espada y la palabra: vida de Valle-Inclán, Barcelona: Tusquets Editores, 2015, p. 481.
[★16]「バリェにしては」と但し書きをしたのは、1928年のデータによると、10万部以上の売れ行きを誇った作家が少なくないからである――パラシオ゠バルデス(La hermana San Sulpicio 30万部以上)、日本でも馴染みのブラスコ゠イバーネェス(Los cuatro jinetes del Apocalipsis 164、000部、Sangre y arena 136、000部、La barraca 104、000部、Mare Nostrum 104、000部)等々。つまり、先ほど引用したフランシスコ・マドリードの「今世紀に入ってスペインで最大のベストセラー」という記述は、度が過ぎた誇張ということになる。Alfredo Serrano, “Acerca de la industria del libro. Lo que se lee en España. Los autores que más gusta, las novelas que más se han vendido y lo que supone la industria editorial en España”, El Liberal (Madrid), 9-IX-1928, p. 3.
[★17]Dru Dougherty, Guía para caminantes en Santa Fe de Tierra Firme: estudio sistemático de “Tirano Banderas”, Valencia: Pre-textos, 1999, p. 45.
[★18]“Acontecimiento literario: Un libro de Valle-Inclán”, La Libertad (Madrid), 21-I-1927. “La actualidad literaria ‘Tirano Banderas’: novela de Tierra Caliente, por D. Ramón del Valle-Inclán”, El Imparcial, 28-I-1927. “Tirano Banderas”, El Heraldo de Madrid, 19-I-1927. 他に、R. Blanco-Fombona, “En torno a Tirano Banderas”, La Gaceta Literaria, 15-I-1927. Juan de la Encina, “De arte: Coloquios a la deriva Tirano Banderas”, La Voz, 17-I-1927. E. Gómez de Baquero, “Literatura española: La novela de tierra caliente”, El Sol, 20-I-1927. Antonio de Hoyos, “Los ‘gachupines’ de Valle-Inclán y ‘Los intereses creados’ de Benavente”, Nuevo Mundo, 21-I-1927. E. Gómez Caballero, “Revista literaria ibérica“, Revista de las Españas, 1-II-1927.
[★19]こうして追放された代表的な著名人が、ミゲル・デ・ウナムーノであり、詳細は同じ《ルリユール叢書》の『アベル・サンチェス』、富田広樹による「訳者解題」を参照されたい。ミゲル・デ・ウナムーノ『アベル・サンチェス』(幻戯書房、2019年)240‐241頁。
目次
プロローグ
第一部 熱帯のシンフォニー
第一の書 独裁者のイコン
第二の書 スペイン公使
第三の書 子ガエル遊び
第二部 騒動と諍い
第一の書 イベリアの石英
第二の書 ハリス・サーカス
第三の書 キツネの耳
第三部 お祭り騒ぎの夜
第一の書 緑のサロン
第二の書 魂の灯
第三の書 劇的な指人形劇
第四部 降霊術のお守り
第一の書 逃亡
第二の書 指輪
第三の書 大佐
第四の書 誠実なガチュピン
第五の書 農場主
第六の書 投げ縄
第七の書 降霊術
第五部 サンタ・モニカ
第一の書 監獄のチケット
第二の書 三号房
第三の書 囚人の嘆き節
第六部 焼き菓子と毒
第一の書 ロヨラの教え
第二の書 人の弱み
第三の書 覚書
第七部 緑の渋面
第一の書 独裁者の娯楽
第二の書 クラブのテラス
第三の書 道化の寸劇
エピローグ

バリェ゠インクラン[1866–1936]年譜
訳者解題
【訳者紹介】
大楠栄三(おおぐす・えいぞう)
1965年、福岡県生まれ。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。現在、明治大学法学部教授。専門は19世紀後半から20世紀初頭のスペイン小説・文化。訳書に、『ホセ・マルティ選集 第1巻――文学篇』(共訳、日本経済評論社)、ベニート・ペレス゠ガルドス『ドニャ・ペルフェクタ―完璧な婦人』、エミリア・パルド゠バサン『ウリョーアの館』(ともに現代企画室)がある。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、『独裁者ティラノ・バンデラス 灼熱の地の小説』をご覧ください。

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