本当に大きなかまきり
車に乗っていたら、本当に大きな、大きくて立派な
カマキリが、前の車にひっついていました。
窓ガラスの上に雄然と佇む大カマキリ
[カマキリ、その真価とは]
大きなカマキリは、私の住む村で’’通貨’’として取引されています。戦国時代から続く由緒あるしきたりなのですが、なんかかっこいいから、という理由で取引されるようになったそうです。
かっこいいカマキリ
かの有名な天下人、織田信長も己のカマキリ(吾蟷螂)を質に出し、それを売って得たお金で商人から銃を買い、それをあの有名な鉄砲隊とし、長篠の戦いで武田勝頼をも破ったのだとか。
また、江戸時代の文献資料には大きなカマキリ1匹が、なんと、同じだけの金、又は5倍の銀と交換されたという記録も残っています。
大きなカマキリは歴史的に見ても、どんな人をも魅了する「力」を持ち、それに見合った価値を持っていると証明されていますね。
[カマキリは時代錯誤?そんなことはない]
キャッシュレス決済が横行する現代。
今や通貨は目に見えず、ありがたみも感じない、それどころか仮想通貨を使った詐欺なども氾濫する始末。
そんな現代は本当に幸せであると言えるのでしょうか?
カマキリを通貨として使う私の村はどうでしょうか。
私の村には私利私欲に塗れて金に溺れ、その有り難さも感じない、そのような人は1人もいないのです。
天に誓って言いましょう。
そのような人は、1人もいない。
清々しいほどの、天
これも全て、カマキリを通貨としたことに起因するのです。
カマキリは、その姿から拝み虫とも言われています。
鎌を構える姿が拝んでいるように見えるというのです。
私たちの祖先はそのようなカマキリに救いを見出したのではないのでしょうか。
そしてそんなカマキリに通貨という役割を託したのでは無いでしょうか。
その風習は受け継がれ、文明社会となった今でも、
カマキリを通貨とする村では皆等しくカマキリを敬い、その存在に感謝し、カマキリこそが目指すべき目標となるのです。
ましてやカマキリの御前で嘘をつくことなど、するはずも、無い。
これこそが、カマキリの通貨たる所以である。
[カマキリ、そして救済]
大きなカマキリに惹かれてしまうのは人間の性。
カマキリが大きければ大きなほど、人間は己の小ささを知り、見識の狭さを恥じ、そして傲慢さを反省します。
自らの不誠実さに絶望した時、あなたはカマキリを拝むでしょう。
その時、そんな私たちをカマキリこそが”真に”理解してくれるのです。
人間社会の歪さを受け入れ、赦してくださるのです。
人間よ、何より先にカマキリを拝みなさい。
神を拝むカマキリを、拝みなさい。
大きな大きなカマキリを捕まえてきて拝みなさい。
でっけえでっけえカマキリの鎌に引っかかれないように注意しながら、首根っこを手でむんずと掴んで離さず、あの逆三角形の緑色をした頭についている吊り上がったでっかい目を睨み、うようよと動く触覚に惑わされず、捕まえなさい。
腐り切ったここに1匹のカマキリを通貨とする。これこそが唯一の、救いである。
文・構成 かまきりりゅうじ
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