権利が先か、義務が先か

私の今の職場には、色んな人がいる。
それこそ、大企業出身の偉い人から末端の派遣さんまで。
私と言えばもちろん、豪華な個室でちょっとエッチな秘書と億を動かす執務を行う……訳はなく、末端の末端。
端っこの端っこ。
先っちょの先っちょ。

「居ても居なくてもだけど、まぁ居てくれたら良いよ」

くらいの立ち位置だ。

もちろん、先っちょの先っちょは私だけでなく、大勢の人々がいる。

大勢の人がいればもちろん、色んな意見が出てくる。

私は正直、それらの意見に辟易している。

こんな先っちょではなく、天辺のてっぺんであれば、やれ「事業計画が〜」であったりとか「利益率を上げるには〜」みたいな意見が出てくるだろう。

だが、この先っちょの先っちょは酷い。
やれ「あの人が〜」とか「休み時間が〜」みたいな意見しか出てこない。

それは業務に対する視点であるとか責任感の違いなんかがてっぺんと違うためであると思うが、それでも酷い。
何をしに職場に来ているのか、尋問したくなる。

だが、気持ちは分からないでもない。
実際、「あの人」はうるさいし、「休み時間」は短い。(労基法は守られてるけども)
それらが改善されることによって事業成果が改善され利益が上がるのであれば、積極的に改善するべきだ。

しかし、

何故それらの意見は採用されず、自身の労働環境は改善されないのか?

それは、

「発言者の発言力が弱いから」

に他ならない。管理者がボヤッとしていない限り、本当に不利益を生む環境は改善される。
(私から見れば、ボヤッとしている管理者を下の者が管理できて初めて一人前だと思うが)
だが、不利益を生む(もしくは利益を生む)ことが想像できないからこそ、労働環境は改善されないのだ。

以上のことを踏まえ、私は基本、文句を言わない。
組織にとっての自身の価値を見誤って意見を言う事にメリットは無いからだ。
むしろ、

「コイツは利益を生まないくせに文句ばかり言う」
「コイツの意見は愚痴でしかないから、それなりに対応しとけば良い」

と、あしらわれてしまう可能性が高い。
実際、自分が管理者だとしたらそう思う。

だからこそ、

組織に利益を生み、有益な存在だと思われて初めて発言をする。

その時は

「コイツは有益な存在だ、労働環境の改善でコイツを失わずに済むなら(不利益を生んでしまうのなら)改善しよう」

となるため、意見が通りやすくなるのだ。



様々な意見があると思う。

今回のは私のパターンだが、組織によっては先に意見を言って採用されることもあるだろう。

だけど、少なくとも私は「発言力を持たない意見」は不利益しか生まないと思う。

※たまに末端からの変な意見が通ったりするが、それは「意見があまりにうるさく、解雇するよりも受け入れた方が楽だ」となるためである。
おばちゃん従業員のワガママとか、お局の無理強いとか。

自分の置かれている環境、そして自身の価値。
自身の客観的評価を正確にできる人間が、自分の欲望を叶えていくのだと思う。





ちな彼女居ない歴1年。





世の女性は正確な評価ができないから困り物だ。

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