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素人が源氏物語を読む~賢木03~ :落ち目の季節の過ごし方(1)

賢木って、桐壺院崩御により上皇の影響力が及んでいた政治体制がガラッと変わります。20年以上の長きに渡って耐えてきた人たちが実権を握り、反対にこれまでは桐壺院の威光により輝いていた人たちが冬の時代を迎えます。明暗が入れ替わるthe転換期という感じなのが面白いです。時代レベルでは貴族の時代の終わりがいつか来ることが予感されつつも身分社会の上澄みの方々は当面は栄華を満喫できる段階なのですが、個人史レベルで言ったらパラダイムシフトです。

◆やっと期が熟した右大臣家

時の帝は朱雀帝。桐壺院と右大臣家出身の女御の息子。桐壺帝が引退して朱雀帝の時代になったものの、桐壺院は引き続き政治に関与していたようです。平安時代の男たちの最高の夢である「帝の祖父」のポジションを得たというのに右大臣は思うがままに出来てなかった。やっと、やっと、実力行使できる日々が来たんです。右大臣家サイドのひとたちが華やいでいきます。

右大臣家はキャラ濃いめな人たちが多いんですけど、この巻の弘徽殿大后に キャッチフレーズをつけるとしたら『時が来たら、やり返す』です。

◆故桐壺院サイドのひとたち

右大臣家の派閥に陽が当たるのと入れ替わりに、運が停滞してゆくのが故桐壺院サイドの人たちです。

源氏物語は一貫して光源氏サイドに立っているので、光源氏の周りの落ち目な人たちの姿を見比べることができます。栄華のあとの不遇の時代をどう過ごすのか? 人生の困難な局面をどう過ごすのか? 源氏物語のなかで、どの女も翳りなき人生を送っていないように、どの道を行けば必ずハッピーエンドというような安易な解は回避されるのかもしれませんが、読んでいきます。

◆◆六条御息所

この人は、桐壺院崩御のために困難な季節を迎えた訳ではありませんが、新時代に引き立てられないこと、世の中が厭だと思う気持ちが相当に高まっていることから、落ち目グループとして考えます。

そのように見なすと、この人も長期に渡って不遇に見舞われています。とはいえ、文化資本に恵まれているためなのか彼女の住まいは若い男たちが通うのに良い場所であって、客観的には「色々あるけど風雅なお方よね」という評価に落ち着きそうです。とはいえ、ご本人は光源氏と愛し愛されていたくて、その夢が叶う筈もないのは理解はできて、でも心情的にはその事実を認められないから苦しいし、事態はよくならない。

強引に言い寄られて拒絶するのが女らしくない世界で、好きな男を諦める、なんてことを、自分の決意ひとつで達成できる訳もない。

彼女は、娘が伊勢の斎宮になるべく下っていくのに、ついていくことにした。都暮らしがシンドイから、伊勢に行ってくる、そこなら光さまとの恋とか距離的に無理だから、 という状況に自ら進みます。出世が一番の時代に、さすがに伊勢まで女を追いかける男はいなかったようで、病んでそうな人が自ら隔離を選べたのは、知性の為せるわざでしょうか。心では諦めきれないことを距離によって線引きをしようとする。それには、野の宮程度じゃだめで、伊勢行くレベルでの距離が必要、この見積もりは正しい。後々に出てくる夕顔の娘も九州から京都に来ることで怖い男から逃れることができた。距離は大事。おそらく彼女は、この決断により、光との恋が成就しないことを受容するのでしょう。

確かに彼女は、この後も死霊として活躍します。けれども、それは生き霊として物狂おしく葵上を攻撃したときとは別種の理由によるものではないかと思います。それぞれの巻になったら改めて考えますが、単にプライドを守るための怒りだったりするんじゃないかと思っています。

この巻の六条御息所にキャッチフレーズをつけてみるなら『母になっても恋に流されていたい、永遠の情婦』です。

◆◆左大臣

右大臣の権勢が不愉快で、御所へ参上しなくなりました。アンチ右大臣同士で水面下で同盟を組む、というようなことができないほど、右大臣の勢いが凄かったのでしょうか。その辺の政治劇については読み取ることができませんでした。その後、人事異動も芳しくなかったのでしょう、陛下は引き留めたのですが、引退してしまます。

左大臣がとった落ち目コーピングは、辛い現場からの避難でした。家にいて、葵上の遺児=夕霧の成長を心穏やかに見守るのでしょうか。あるいは伝わってくる都の様子に心惑いながら暮らすのでしょうか。

引退というのは引き返せない決定的な事態です。左大臣の今後も見守っていきましょう。

◆◆三位の中将(もと頭中将)

光源氏とは義兄弟の三位の中将。左大臣の息子のひとりですが、右大臣家の娘が正妻です。微妙な立場ですが、どうでしょうか。それまでの彼の態度がそれなりに評価されたのでしょう。正妻に夢中になれなかった三位の中将もまた、人事異動は芳しくありません。

しかし、この頃の中将は若いのにほんとうに大人でかっこいいんです。彼は比較的、平常心でいられるのです。光源氏ほどのお方が儘ならないのならば、わたしの思うにまかせないのも当然でしょう、と。

まあ、ちょっと注意が必要で、アレンジによっては三位の中将は頭中将だった時分から光源氏に対して強烈な
ライバル心や劣等感を抱いていたように描かれます。彼の場合、ライバル心があるからこそ、なんでも光り輝いてしまう光源氏を敬遠することなく隔てなく付き合えるという部分もあります。その辺を考慮する場合、光源氏がどんどん光り輝いていく季節には格差を意識しがちだったのが、こういう状況では自分も輝かないけど光も同じだということが安心感を醸している可能性があります。そんなふうに、少し薄暗いかもしれないけども、おおかたはスポーツ風味の爽やかな切磋琢磨の関係性と見ました。

で、このひとのコーピングは面白くて、アンチ右大臣っぽいひとを集めて、光と中将とでそれぞれチームに分かれて知的ゲームに興じるんです。韻ふたぎ、と言って、持ち込んだ詩集を参照しつつ順々に韻を禁止していく、残された韻だけを使った詩を探していく、というマッチです。仲間と一緒にゲームをする。健全です。みんな鬱々としてるなかで、爽やかです。この場面はなかなか素敵です。

それで、このゲーム、雨の日にするんですよ。雨の日の男子会。何かを思い出しませんか? そう、雨夜の品定めです。あの晩とくらべて、なんと大人になられたのでしょう。そんな感慨が胸に広がります。乳母気分です。こういう、この巻だけを読んでも素敵なんだけど、別の巻を知ってたら重奏的に素敵になるようにつたわっているのも、源氏物語の素敵なところです。

さて、肝心の光源氏について言及していませんが、本日はここまでとなります。次回は桐壺院サイドのど真ん中な彼と彼と彼女のことを書きます。

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