見出し画像

Q.素人がなぜ源氏物語を読むのか?  A.息子は他人だし、私は鍋が欲しかった。

意識高い理由なんかない。日本が世界に誇れる古典文学、ってだけでなら何度だって挫折してきた。といって衝動だけで読むにも長すぎる。

◆息子は他人

かつて息子は他人だった。
って書くと養子みたいだけど違う。自分のお腹のなかにいて、まだゴマ粒くらいのころから話しかけたりゲームしたりしてた。

出産直後に育児放棄した女三宮みたいなのとも違う。この世に出てきたときは「この尊さは未知レベル」いう衝撃で色々痛いのなんか吹き飛んだ。

息子に未知を求めすぎてるかもしれない。

確かに、実際、分からなすぎた。母性でなんでも理解力できるようになる筈、という周囲の期待のとおりに私もなりたかったけど、無理だった。果てしないトライ&エラーを繰り返し、事態はその都度違い、状況は移ろい、息子も私も日々変化していく。

「このひとは何らかのメッセージを伝えるべく、このような言動を選択しているのか?」

そうとは言えるかもしれない。けれども具体的なメッセージは不明なまま時間は流れた。世話をすると上手くいったり行かなかったりする。解釈の候補をたくさん用意して、でも全部外れてるんだろうと思った。

って書くとなんか悲壮な感じするけど、まあ可愛い瞬間はたくさんあるんです。「あれは?」の嵐とか、すぐに立ち止まって草木のなかの虫を見てたりとか。あとは身体だよね、温かくて湿っていて今まさに生命が継続している、呼吸や脈拍や反射運動による震動を、抱きかかえる掌に刻々と生々しく伝えてくるあの感じ、こんなに脆そうなものが壊れずに健やかに持続してる奇跡を日々新たに感じさせるのが、やばかった。

源氏物語で、光源氏が藤壺との恋の結晶である息子と対面したときに「いとゆゆしきうつくしきに、わが身ながら、これに似たらむはいみじう いたはしう」(赤ちゃんは怖いくらい美しい。そんな赤ちゃんに似ているのなら、自分のことも大切にしなくてはと)お思いになった、というフレーズがあるんですが、彼を親バカすぎると冷笑することはできない。

◆言葉の効果

彼が言葉を獲得してからは、共通の言葉が彼との間にある訳で、分からなさは、だいぶ楽になった。喃語の頃にも2人でアウアウバーバーと音を交わしていたけれども関係の質は飛躍的に上がった。共通の言語は、私たちの間に楽しさだけじゃなく、いつしかもどかしさも与えた。言葉が通じるのに要求が伝わらない。

あのころ、指示系統の上位にいるのは自分なのだとウチのみんなが主張してた。そんなのは成り立ち得ないことなのに。大人ばかりなのに大人げない。結果的に息子に皺寄せが行った。人数が揃ったのに誰かのせいで誰かの理想の家族になれない私たち。げ。100%の責任を誰かが負うっていうセンス、私は嫌いだなあ。あなたが悪いと伝えるとき、その片棒を私も担いでいたい。そうでないならーー。

◆息子の勉強よりも

いまは息子が中高生なので、学力のことをみんなで心配している。……フリをしている、だけの気もする。どうしても小言が出るから、みんな。それが心配ゆえなのか、私にはわからない。嫉妬なのかな、と思ったりする。時間も若さも、彼にだけは圧倒的にあるからね。

赤子のころの息子を、その生命の唐突な中断を、私はいつも心配していた。今でもどこかで息子のことを脆い存在だと思っている。というよりも人間ってこんなに脆そうな肉体なのに何で百年とか生きてられるんだろって思う。ちょっとクレイジーだなあ、と自覚しながら他人事のように自分を眺めている。え、自分すら他人?

大人たちは過干渉したがり、息子はどんどん家族と喋らなくなる。嫌がられても関与の正当性を自認させる、導くというポジションに立つことは。いま源氏物語を読んで「身分社会が難しい」と言っている私は、そもそも上下関係すら理解してない。不遜なヨメなのだ。離れていく彼の態度の奥に「うざ。相手しても意味ねーし」って気持ちを想像する。ま、彼は私の分身じゃないんで、外れてるかもしれないけど。学力は大事かもしれないけど、家に話せるひとがいない環境は絶対値が桁違いなヤバさある。親離れの時期かもしれないけど、それで正当化できる事態じゃなさげ。

息子にとって話せる家族になりたいけど、心配と羨ましさとで、どうしても学力のことを言いたくなってしまう。だって時間は流れてタイムリミットはすぐにきてしまう。はい、正当化。あるいは相手の不当化。ああ、私、今、ビョーキだ……。

とりあえず、何だか心惹かれるものを学ぶべきだと思った。何かを信じるとか極めるとかよりは、できそうな気がした。そこに時間をまわすことで、近付きすぎて追い詰めて逃げられるループから脱せるんじゃないか。あと、誰も学んでないのに皆で学べと執拗に言うのはヘンだから。支配したくて関係を焦げ付かせたり夢の炎を鎮火する親であるよりは(今でも支援する親ではあろうとしてるけど)、別々に学んでる他者として家にいようとした。

で、源氏物語を読みはじめたんだけど、齧れば齧るほど分からないし、他にも学びたいことは出来ちゃうし、全然時間が足りない。知れば知るほど謎が深まって、先が見えないのは良かった。

ああ、やっばり時間と若さがある息子が羨ましい。そんなことネチネチ言う時間こそが惜しくなっている。向こうから届く言葉は増えたし、フツーに時間を共有できるようになった。読みはじめてからの期間は記憶のなかで編集されて、今は、こういうことになっている。



文献または資料の購入に使わせていただきます。