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神田伯山襲名と、ミュージック。

間もなく始まるJリーグですが、今季からJリーグでは全試合「VAR」が入ることになりました。

簡単に言えば「ビデオ判定」なわけですが、大事なことは試合中に起きる全部のファールに適用するのではなく、「得点・退場・PK」など、超重要なところだけ介入することになっており、なおかつ「主審を補助する立場」であり、微妙な判定は主審に任せるということだそうです。

で、VARが判定を決定される際の根拠としてレフェリーの人が、「1回映像を見れば、10人中9人が間違いかどうかがわかる事実」ってことを言ってました。

わかりやすい例がこちら。



3:25あたりの得点シーンですが、上からのカメラで見ると、一見、韓国のオフサイドに見えます。

でも、VARでのシーンを確認すると、韓国の選手でなくドイツの選手がミスして蹴ってしまっているのが一目瞭然でわかります。

1回見ればわかる。

10人中9人というか、10人中10人わかる。

見ればわかってしまうこと。




この2月で神田松之丞が真打ちに昇進し、「神田伯山」という名跡を襲名しました。

そのお披露目興行をやっているそうですが、新宿の末広亭という寄席の席を確保するために、徹夜組まで出たらしいです。

神田伯山については、松之丞時代に記事を書きましたが、


林家三平の落語の実力がわかってしまう動画。

神田松之丞が神田伯山になるということ。


やっぱり、この動画を見てもらうのが1番わかりやすいですね。↓↓↓



林家三平の落語?と、神田松之丞の講談の違い、というか、話のスムーズさが違うことが見ればわかってしまいます。

それこそ、「1回見れば、10人中9人がわかる」というレベルでわかる。

見ればわかる。


私は、神田松之丞(伯山)の講談を聞いて、「まじかよ、すげえな。」って思ってから、興味を持ってYoutubeに挙がっている講談をいくつか聞いてみましたが、残念ながら興味を持って聞けるものはありませんでした。

人間国宝になった伯山の師匠の神田松鯉という人の講談でも、残念ながらずっとは聞いていられない。

これはね、私の耳の確かさをどうこう言いたいわけではなくて、事実として現代社会において、「講談」という演芸がほぼほぼ絶滅に瀕していた証拠であると思うんですね。

知らないもんね、講談なんて。講談師も知らない。「講談師?講談社?」って人がほとんどだったんじゃないでしょうか。神田松之丞が出てくるまでは。


私はここ数年で落語に興味を持ち、Youtubeで聞いてみたり、落語会に足を運んでみたりもしましたが、極めて当たり前なことに「面白い人は面白いし、面白くない人は面白くない」わけです。

これは、「笑いのセンス」というものだけでなく、「噺としての落語」の喋りのセンスもそうですが、話の下手な人の話は本当に聞くに耐えません。

誰とは言いませんが、六代目の柳家小さんとか、「よくもまあ、そんなデカイ名前を継いだね、あんた?」ってレベルでした。

ま、そんなことはさておき、「落語の上手い人・下手な人・講談の上手い人・下手な人」ってのを聴き比べて感じてみて、そこには一体どういう差異があるんだろうなあ・・・?って考えた結果、そこには明確に「ミュージックがあるかどうか?」っていう差があると感じたんですね。

特に神田伯山の話は、聞いていて、素晴らしく心地良いんです。

声の大小・強弱の付け方はもちろんのこと、繰り出す言葉のリズムが素晴らしく気持ちいい。

是非ね、上のYoutubeの動画を、「音楽・リズム」ってことだけに注意して見て頂きたいんですが、言葉も張り扇の音も、目の動きも表情も、顔の傾け方や手の使い方なんかの全ての動作も、全部が喋りとリンクして見事なまでにメロディまでもを作り上げています。

そのメロディがあまりにも美しいから、何を言っているんだかわからないような昔の言葉なんかでも、違和感なく聞けるわけで。

めっちゃ歌の上手い女性歌手を「歌姫・ディーバ」って言ったりしますが、そんな感じの称号を与えたいくらいに、神田伯山の講談にはミュージックが流れています。


ホントに凄いと思うのはね、彼の芸の凄さはもちろんのこと、彼がたった1人で、「講談」という限りなく斜陽して、地平線の向こうに沈みかけていた演芸を盛大に引っ張りあげて光を当て、もう1回私達の前に広げてくれたことです。

「こんな凄い芸があったのか!」っていう驚きと共に、たった1人で1つの世界を救い、盛り上げ、世にしらしめるということは並大抵のことではありません。

こんなにすごい人は本当に応援したい。


早く生で見てみたい!!(並ぶのイヤw)


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