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東京とアニメ

僕はアニメを作るために上京した。

 制作進行という職で正社員として働いたので、生活するのには困らないお金はもらっていた。バリバリ働こうを思っていた僕は、会社が見えるぐらいの距離にある月5万ちょっとの6畳のワンルームに住んだ。ベットと机とパソコンだけで、寮のような部屋だった。当時、会社からは一番近くに住んでいたと思う。ご飯代を節約するために、家に帰って飯を作って食べたぐらいだ。

 そんな好立地な家から、僕は2年で引っ越すことにした。
さまざまな理由があるが、ふわふわした記憶から当時の出来事を思い出す。

 午前2時。僕は忙しい時期でなければ眠りについている時間。
突如掛かってくる電話。内容は、打合せで終電を逃したスタッフを家まで送ってほしいということだった。
タクシーを使うという選択肢は残念ながら当時のアニメ業界にはなく、スタッフの送迎も制作進行の業務の一つだ。
 僕は呼ぶと5分で会社にくるタクシーとして活躍した。
最初の頃は会社に貢献していると喜んで行っていたが、月日が経つごとにしんどくなっていった。朝日を受けながら青梅街道を走っていたことが懐かしく感じる。

 それよりも、気が休まらないことの方が辛かった。
制作進行というのは誰かが作業をして上がりを待つ、待機時間がとても長い。そのため、家に帰って仮眠をとることもできたが、それを繰り返していると家と会社で気持ちの切り替えができなくなってしまった。
 休日に家を出ると会社が見える。会社が僕を呼んでいるような気がした。ゲームもなく質素な部屋だったので、虚しさも余計に強かった。

 悪いことばかりではない。
家が近いのでたまり場にもなりやすく、同期とよく遊んだり飲んだりした。あまりにも騒ぎすぎて下の階の人にも怒られたこともある。木造の家は注意しなければいけない。

 そして、家の更新のタイミングで引っ越すことにした。
狭かった部屋も荷物を整理すると広く感じた。少し寂しさもあった。
月日は流れ、現在は会社から2,30分のところに住んでいる。
深夜に呼び出されることもなく、気持ちの切り替えもばっちりだ。
 だが、昨今ではリモートワークなるものが広まった。仕事が薄い時や打ち合わせがない時は家で作業をする時がある。便利にはなったが、これも気持ちの切り替えというのが上手くできない。
 今日も良い物件がないか、仕事の合間を縫って検索する。

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