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089_speedometer.「Tourist N.B.」

これも、いつか見た光景だ。赤い夕日の沈んでいく漁師町。半島の先っぽにある研究所から車を走らせる途中で、俺はこの色褪せ小汚く打ちひしがれたような漁師町に寄り付いた。磯と海藻と漁船のエンジンにそそがれたガソリンの匂いとが、混濁した意識のように混ざりあっている。

決して落ちることのない、ここいらの漁場に染み付いた匂い。そこには古い廃船が打ち捨てられていた。しかし、かえってこの蒸せ返るような、暴力的とまで言える自然の似姿のようなものが、今の自分には無性に言いようもないくらい懐かしいものを思い起こさせる。

ついこの間まで、自分が無機質な人工物に囲まれていたからだろう、自然に作られた造形などに、時折ひどく心を打たれることがある。陸に揚げられたその廃船の横には、痩せ細った猫の親子が寄り付いていた。小魚の残骸にたかる小さい虫たちを子猫はクルンクルンと目で追っている。その仕草を親猫は慈しむように眺めている。

段々と記憶が蘇ってくる。親が昔羽振りのいい時代に購入した別荘が近くにあったのだ。夏にはこの辺りで海水浴や潮干狩りが楽しめるからと、子供だった自分も遠く東京からここまで自家用車で連れてこられた。社会で成功した証としてそういうものがいい、とされていた時代だったのだ。

事実、家族で海岸の別荘で過ごす一夏の思い出を、当時あまり裕福ではない友人に得意げに自慢していたものだった。それも今となっては、戦前と戦後のように、まったく違う隔絶された時代の出来事のようにとらえられ、とても連続した時とは思えない。過去を振り返ってみた時に、現在との対比でどのように過去を捉えるかによって、印象も変わるものだ。今が良ければ、現在は過去の発展形と捉えられるが、それが逆であれば懐古というか在りし日の思い出の無条件の礼賛にしかならなくなる。ただ、この海で過ごした家族との夏の思い出は、今の自分にとっては重荷としかならない。

このまま、ここにずっといるのだろうか。こうやって現実から逃げ続けるように、あてどもなく彷徨い続ければ、金もやがてなくなるぞ。いや、金のことはいい。心底気が進まないが、あの傲慢な親に自分の頭を下げればまあなんとでもなる。そんなことはどうでもいいのだ、大事なのは、こうやって今、自分が本当にいるべきところにいないということで、自分の中で何かを失い続けてしまっている。

自分はあのままの研究室に居続けることなど、どうしても出来なかった。ポスドクとしてやってきて、非常勤の職をあてがってもらいつつ、かれこれもう6年が経とうとしていた。あっという間にもう自分の歳も30代半ばを超えようとしている。ポスドクとは「博士号を持っていながら任期制の研究職についている人たち、もしくは職そのもののこと」であり、平たく言うと、「まだ偉くない駆け出しの研究者たち」ということになる。若手研究者の多くがこのポスドクとして経験を積み、偉い研究者、いわゆる大学の教育職や国立の研究所の研究職を目指すことになる。

俺は子供の頃から海が好きだった。多くの美しい魚が泳ぎ回るこの大きな海の中にあらゆる可能性があるように思えた。そして海洋学の研究という分野に自分の輝ける将来を見出し、一身を捧げるつもりでいた。しかし、間が悪いことに、俺の進学の時期と親の会社も傾きかけた時が重なり、手っ取り早く子供には職をつけてほしいという思いとは裏腹に、俺は親の反対を押し切って大学院に進んだ。しかしながら、大学院を出て博士号を取って研究室に在籍していても、ポスドクのみ給料だけではとても食っていけずに、未だに肉体労働のバイトを掛け持ちせざるを得ない。

体を限界まで酷使し、ジャンクフードまみれでクタクタになった心と体では、とても腰を据えた研究などもおぼつかない。以前、ある国立大学でポスドクの男性が極貧生活に耐えきれずに、自分の研究室に放火し焼身自殺を遂げたというニュースがあった。将来の出口を見えない同じ立場のポスドク連中は等しくショックを隠しきれなかった。大学院が一緒だった研究室の同僚の孝太も同様だった。

この悲劇は決して彼が計画的に行ったものではなく、酒や精神薬などで正常な判断を行えないために、あくまで偶発的に起こったことであることを願わざるを得ない。そうでなければ、彼は未来の我々の姿ではないだろうか、とどうしても思ってしまうからだ。そんなどうしようもないような破滅の形があっていいのだろうか。行く場のない気持ちは、言いようのない喪失感。

「お前はあんな風にならないだろうな」

久しぶりに実家に帰った時に、親からの心ない言葉に向けられた。お前はいつ独り立ちするのだという非難の目をひしひしと感じる。俺は力ない笑いを浮かべて、親戚兄弟に比べて、自分がいっこうに一角の人物というものになれないことについて、負い目を感じざるを得ない。何もかもがいろいろと限界だった。

そしてこの前、もうダメだ、と孝太が俺にメールで訴えてきた。大丈夫だ、今は辛くともそのうちなんとかなるさ、と無意識に励ました自分のメッセージだけがむなしく残る。孝太から既読がつかないまま、彼はそのあと睡眠薬を大量に摂取して自殺未遂を起こした。意識不明になった孝太がどうか今後も後遺症や障害なくなんとか生きていてくれることを願って、俺はもう無意識に研究室の荷物をまとめていた。

この研究室には、孝太と一緒に過ごした研究への思いが残りすぎている。だから、逃げ出した。研究もなにもすべて放り投げて。自分にかかわる物全てを打擲しなければならないほど、僕は一刻も早くあそこから離れるべきだったのだ。そうしないと、僕も孝太とともにあちらに連れて行かれる。本気でそう思った。そうだ、まだ生きていれさえすれば。

海に落ちていく夕日と、買い物袋を手押し車で引いていく老婆を横目に見ながら、俺は佇む。打ちつける波の音だけを聞いている。やがてあたりは夕方の薄暗い時、昼と夜の移り変わる時刻になる。いわゆる黄昏どきというやつだ。俺はもう一度、子供の頃にこの漁師町にきたときのことを思い出そうとした。何をしにきたんだっけ、子供の頃。俺は何かをしにここまできたはずだ。親には連れられず、ただ一人で。そうだ、何かを探していたんだろう、あの時の自分は。

瞬間、まるで白昼夢を幻視するかのように、急に俺の意識が遠のいていく。気が付くと、小学生くらいだろうか幼い子供が海の中に立っているのを俺は見た。さっきまでそんな子はいなかった。夕日を浴びながら一人で海に入り、ここで魚を捕まえようとしているようだった。逆光になっていて顔の表情はよくわからない。辿々しい手つきで湾内の魚を網のようなもので必死にすくいあげようとしている。ただ、なんのために。

おそらく自分の力だけで、魚を捕まえてみたかったからなのだろう。捕まえられないことはないはずだと思っている。図鑑の中でしか見られない、あの美しく発光する魚を、おそらくどうしても自分の手の中だけにおさめたかったのだろう。なぜかその子の気持ちが手に取るようにわかる。

そうすると夕陽に照らされて光り輝く波間を、チャポンと魚が跳ねる。幼い子はそれにビクッと反応する。少しばかり、その魚が跳ねたあたりの水面をそろりと振り向く。そうするとそれを合図にしたかのように、次々とその子の小さな体の周りを魚がチャポンチャポンと跳ね回るのだった。まるで魚たちによる祝祭のようだった。魚の鱗に夕日が反射して美しく七色に光る。子どもはあっけに取られて、呆然と海の中で突っ立っているが、しばらくその美しく光る魚の饗宴は終わらなかった。そして、静かになったと思ったら、あたりから魚の気配はすべて消え失せていた。

ふと気付くと俺は同じ場所に座っている。寄せては返す波の音はそのままに、夕陽はすっかり海に沈みあたりは暗くなってしまっていた。俺は今まで何を見ていたのだろう。フラッシュバックのように焼きつく、あの夕陽差す海に立つ幼い少年。あの子はおそらく昔の俺なのではないだろうか。一人でそんなことをした記憶などはなかったし、魚が自分の周りを跳ね回るようなそんな不思議な体験をした覚えはない。そもそも顔もよくわからない。

ただ、間違いなく、あの子は俺そのものだった。それだけは確信するものがあった。そうだろう?と俺が無言で海に問いかけると、遠くの方で魚がチャポンと波間から跳ねて、美しい光り輝く鱗に七色の光が反射して消えた。


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