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いいタイトルの研究〜シンプルな言葉と余韻と機能美

記事のタイトルをつけるのは、編集長の仕事だ。

読者のファースト・インプレッションを決めるタイトルは、言うまでもなく重要である。面白そうであれば、読む。つまらなそうであれば、スルーする。タイトルの良し悪しは、そのまま雑誌の売上に直結するからだ。

「タイトルをつける人」すなわち編集長は、その責任を負っている。

タイトルには編集長の編集者としての「美学」が如実に現れる。100人編集長がいれば、100通りの「美学」があるだろう。そこで、今回は「文藝春秋」の松井一晃編集長に「いいタイトル」というテーマで話を聞いた。

「分かること、伝わること」が大事

--松井さんが考える「いいタイトル」とはなんでしょうか。

なんと言っても「読んでみたい」「面白そう」と思ってもらえること。でも、そのためには、カッコいい言葉よりも「分かること」「伝わること」が、一番大事じゃないかな。

結局、その記事がどんな内容で、作り手側が何を面白がってほしいのかが分からなかったら、タイトルの役目を果たさないでしょう。タイトルって、それを一目で伝えるためにあるんだから。文章も同じだよ。「分かる」「伝わる」がない文章は、読まれない。

自分は決してタイトルをつけるのが上手くない、と思ってる。コピーライティングのセンスがあるとは思わない。でも、そんなオレでも考えて努力すれば「伝わるタイトル」をつけることはできる。そう信じてやってるよ(笑)。

シンプルな短い言葉で書かれていて、誰にでも分かること。これを意識した「伝わるタイトル」であることこそが、いいタイトルの“必要条件”だと考えています。

--タイトルは全部の記事を読み終わった後に付けていますか?

必ずしも記事を読んでから付けているわけじゃない。

大抵は、記事の企画が立ち上がってから原稿を読むまでの間に、「こういうタイトルを付けられたら面白いよな」と、粗いタイトルをつけて準備するようにしてる。まあ、簡単なレジュメに近いものですね。この段階は、バシッとタイトルをつけにいく、というよりは、「何を伝えたいか」という企画のテーマを自分の中で整理するイメージ。

原稿が上がってきたら、それを読んで、「ここを強調したほうが面白いな」という部分があれば、事前につけた粗い仮タイトルを変える。あるいは、原稿の中からキーワードを抜き出して、そこを強調するようなタイトルをもう一回考えてみる。

要するに、原稿を読む前につけた「仮タイトル」を、原稿を読んだ後に「正式タイトル」にブラッシュアップするんです。

――なるほど。その理屈でいくと、原稿を書く時も「自分なりのタイトルを考えてから書き始める」っていうのは、ありだと思いますか?

ありだね。俺が今、若手だったらそうするね (笑)。原稿を書く時も、一番大切なことは「主題を確認すること」だから、書き出す前に仮タイトルを決めた方が面白い原稿が書ける可能性は高くなるはず。

現場の雑誌編集者だったら、「最初はこの方針でやっていたけど、取材してみたらこっちのほうが面白いから、こっちを膨らませた方が面白い記事になるかもしれません。こっちでやらせてください」みたいなことを、デスクに相談したりするでしょう? 

取材していれば、最初に思い描いていたことと変わることはもちろんある。むしろ、想定していたことから変わったほうが良いと思っている。そっちの方が面白い記事になるから。その「変化」を反映していくのがこの仕事の面白いところじゃない。実際に「現場」に触れて、感じたものを「ナマモノ」として反映していく。その方が、記事も、タイトルも、絶対いいものになりますよ。

難しくない言葉をチョイスして余韻をつくる

――タイトルをつける際の「言葉のチョイス」で意識していることは?

「アイツまたあんなタイトルを付けてる」と思われるような“癖”はオレにもあるのかもしれないけど、実は「言葉のチョイス」についてはフラットに考えているつもり。

オレは映画が好きでよく観るし、そりゃ小説も仕事柄読みますよね。そういう時、「あ、これいいタイトルだなあ」と思ったものは、メモを取ったり、覚えているようにしてる。そこからヒントをもらうこともある。

たとえば、本誌の4月号に、フランスのミシュランで三つ星をとった日本人シェフ・小林圭さんのインタビューが載っていたでしょう。

この記事の企画が立ち上がったとき、「あ、コレあれだ!」って思い浮かんだ映画があったんだよね。リチャード・リンクレイターの『6歳のボクが大人になるまで』という作品なんだけど、オレあの映画がすごく好きでね。

小林さんの話を聞いて、まさに15歳のボクが紆余曲折を経て三つ星シェフになるまでの物語だよなあ、と思ったんだよ。だから、「なぜ日本人は仏三つ星シェフになれたか」という内容の記事に、リンクレイターの邦題を拝借して、「15歳の僕が仏三つ星シェフになるまで」という仮タイトルをつけたんです。

『6歳の僕が大人になるまで』ってさ、難しい言葉は1個も使っていない。それなのに、タイトルを聞いただけでイメージが膨らむというか、みんながある種の懐かしみを感じられるような響きがある。相当な余韻があるよね。映画を観終わって、このタイトルを見直した時に、「いいタイトルだな」ってことと同時に、「言葉はシンプルな方がいいんだよなあ」って、改めて感じたんだよね。美しい大げさな言葉よりも、こういう余韻が大切なんだ、と。だから、いつか使いたいなあと思っていたんだけど、今回、小林さんの記事を読んでやっぱりピッタリだと思ったから、正式タイトルにも拝借したわけ(笑)。

実はタイトル付けって、こういうバリエーションの繰り返しでもあるんだよね。

――タイトルって、たまに「降りてくる」と言う人もいますよね。松井さんはどうですか。

俺はアーティストじゃないから、天からタイトルが降りてきて付けるみたいなことは一切ないな(笑)。むしろ、かなり考えて、考えて、付けている方だよ。

編集者の中には、原稿書くのも、タイトルつけるのも、ナチュラルボーンで上手い人が稀にいる。それはもう別格に、天才的に上手い人がいる。誰に習ったわけでもないのに、最初から上手にできてしまう才能の持ち主が。

オレ、自分はそうじゃないからさ。「言葉の魔術師」みたいな人じゃないからね。

じゃあ、天才じゃないオレが付けられるいいタイトルってなんだろう。色々試行錯誤を繰り返した結果、それは「論理的に考える」ことだったんだよね。自分がその原稿で「何が面白いのか」「何を伝えたいか」を理解していないと、いいタイトルは出てこない、と。

「筋が通っているものは、人に受け入れられる」

タイトルについても、オレはそう考えているんだ。まず第一に筋が通っていて、シンプルで、しかも、ちょっと余韻が残る。ある種の機能美みたいなものを重視しているのかもしれない。いま話ながら思ったんですけど(笑)。

かっこよさだけ追求するとドツボにハマる

――松井さんはスポーツ雑誌「Number」の編集長もしていました。「Number」といえば、かっこいいタイトルの印象が強いです。かっこいいタイトルの付け方、はみんなが憧れるものです。

「Number」といえば、「カッコよく、面白く」ってよく言われるよね。もちろん、編集長として意識はしていましたよ。でもそれは、クローズアップするアスリートの存在、写真とデザイン、そして本文があって成立しているもの。タイトルだけ見かけのかっこよさを追求し出すと、実はドツボにハマってしまうんだよ。

「Number」のタイトルって、美文調のイメージが強いかもしれないんだけど、オレはそこまで「美しいタイトル」を意識したことはないんだよね。美文調を意識しだすと、空回りしてしまうことも結構あるから。

たとえば、オレが編集長時代に最も多くの読者から反響をもらった、清原和博さんが覚醒剤で逮捕された直後に出したこの号。

特集タイトルは「甲子園最強打者伝説」として、清原さんの昔の写真を表紙にした。実はこれ、ムチャクチャ論理的に、戦略的に考えて作った号なんだよね。

「罪を憎んで人を憎まず」とは言わないよ。でも、覚せい剤所持で逮捕されたことで、これまで清原さんがやってきたことのすべてが否定されることには、納得がいかなかった。清原さんのプレーに心動かされた、自分も含めた野球ファンまでが否定されているような気がしてね。だから、毎年、夏の甲子園の特集をしているタイミングで、あの時、清原さんがどれだけ凄かったかという特集を、清原さんの写真を表紙にして作ってやろうと思ったわけ。

ただ、逮捕された直後に「がんばれ清原」的な方向でタイトルをつけたら、怒る人や反発する人もいるかもしれない。そこで、これならそんな人にもムカつかれないし、カウンターとしてイケる! と思って捻り出したのが「甲子園最強打者伝説」というタイトルであり、テーマでした。

まず、清原さんが甲子園における最強打者だということに異論を唱えられる人はいないでしょ。さらに、高校時代の清原さんを表紙にすることで、「Number」は薬物と闘う人を応援する、というメッセージも打ち出せる。そういう意味では、清原さんを表紙にして特集記事を作るために、トータルのパッケージを考えて付けたタイトルだったんだよね。

もちろん別の発想でタイトルを付けてる人もいると思う。だけど、オレは決して「降りてくる」とかじゃなくて、自分のやりたいことを読者に面白がって、理解して、受け入れてもらえるように、論理的に考えて捻り出してる、って言った方が正しいな(笑)。

「伝えたい」「面白がらせたい」衝動こそ大切に

――いいタイトルをつけられる人っていうのは、どんな人なんでしょうね。

ポン・ジュノ監督がさ、「パラサイト」でアカデミー賞作品賞をとった時のインタビューで、マーティン・スコセッシの言葉を引用して、こう言っていたでしょう。

「最も個人的なものが、最もクリエイティブなもの」

これは、雑誌の記事でもタイトルでも同じだと思う。やはり書いている本人に「面白い」「伝えたい」という思いがないと、クリエイティブでオリジナリティがあるものには絶対ならないよね。

書かずにはいられないという拭いがたい想い、ずっと自分が抱えてきた熱い想いみたいなものをカタチにしようとするからこそ、言葉は人に伝わる。

だから、読者に向けて「こういう記事をやりたい」「こういうので面白がらせたい」という初期衝動こそが、何よりも大事なんです。作り手にそれがあって初めて、その記事は読んでもらえる。「いい文章」とか「いいタイトル」とかは、それに比べれば二の次だよ。

たとえば、noteにも「プロのように練れている文章ではないけど、多くの人の心に届いている」記事があるじゃない。それと同じように「ダサくてベタかもしれないけど、一回転して、いいタイトル」というのもあるんですよ。
だから、タイトルのつけ方としておすすめしたいのは、かっこいい言葉とか常套句にあまりこだわらないこと。それよりも「自分が何をみんなに知ってもらいたいのか」をちゃんと整理して、把握する。自分自身が納得できるまで考えて、シンプルな言葉を使って読者にわかるように表現する。それが一番大事なことだと思います。

そこを抜きにして、テクニックやかっこよさだけを追求しても、文章もタイトルもうまくならない。むしろ、それができるようになれば、あとは自然と付いてくる。

30年近く雑誌編集者をやってきてやっと気づいたんだけど、文才があるとかタイトルセンスがあるとか言われる人は、もしかしたら、いまオレが話したようなプロセスを誰から教わることなく、最初からやっていたのかもしれないね (笑)。

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