【asd】不安の話
自分は不安の多い人間だ。心配性だし自信も無い。若い頃は成長と共に心も育っていくのだと思っていたが
今のところ、心が強くなってる感覚は無い。いつまでたっても怖いものは怖いし、嫌なものは嫌だ。
そんな人生を生きてきたものだから、人一倍、不安について考え、恐怖と向き合ってきた。
だから、変な話だけど、不安である事や恐怖ばかり感じている事については自信がある。
何もかもにも自信が無いくせに、自信が無い事には自信がある。
不安な事ばかり考えてた
不安なのはもちろん嫌だ。あのなんともいえない不快感は、慣れるもんでもないし、できる事なら感じずに生きたい。
不安の無い安心した生活を送りたいと思うのは、おかしな事ではないはずだけど、
それを頑張っても頑張っても不安が無くなってる感じは無い。
一つの不安が終わり、乗り越え、過ぎ去ったとしても、また同じ不安に脅かされるのは、いつもの事だし、
つかの間の安心を見つけても、それが楽しければ楽しいほど、楽であればあるほど、次の不安は衝撃的で耐えがたいものになると感じる。
不安から逃れたい一心で、人生のほとんどを生きてきたけど、それが叶わないものであると最近では思うようになった。
不安は必要なのかも
不安が無くならないなら受け入れるほうに力を使うしかない。
不安があるおかげで、僕は慎重に生きられていると言えなくもないし、
危機察知能力に長けていると思えば過剰なほどあるともいえる。
自分が慎重に真面目に生きようとしてるのは不安だからだ。と言えば、不安自体が僕の個性の一部とも考えられる。
そう思えば、不安は僕が感じる感情の不快感ほどに悪いものではないのかもしれない。
不安は無くならない
それに「不安を無くす事」が人生の目標というか目的になってしまってるのは、すごく空虚な気もする。
なんかの本かネットの記事かなんかで見たけど、
不安を避け、不安の感情自体を無くそうとする事を目標とすれば、それは終わる事のないループにハマるとか。
"普通"は「〜をしたいから〜を頑張ろう」とか「〜になりたいから〜の事をやってみよう」とか
そんな感じで現実にある目標を持つ事で人生におけるやる事を持つのだとか、
たとえ、その目標達成の道中に不安があったとしても、その目標・目的が終わった時には不安は必ず無くなる。それが成功したとしても失敗したとしても。
だから、不安というのは、いっ時の物なんだとか。
それに対して「不安を無くそう」と頑張る事は、終わりの無い事で、
生き物である限り、不安という感情は防衛本能みたいなもので消せないはずなのに、
「不安を無くす」という決して終わらず、叶わない目標を持ってしまってる事で、どんどんと病んでしまうとか。
なので、不安はそんな悪い奴でもないし、不安自体を無くそうとするのはすごく苦しいという話もあるので
不安な事もあるけど、何かやる事見つけて、ぼちぼち頑張ろうくらいの姿勢でいたいものである。
それでも不安になるし、不安は嫌だけどね。