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ランニングで人生が変わった話

はじめまして!ゲマツと申します。

私はランニング歴5年で、マラソンのベストタイムは3時間2分。

初マラソンでは4時間48分でしたが、2年で3時間2分でほぼサブスリーランナーとなりました。

現在、グレー(ホワイトとは呼べない)企業にてサラリーマンをやりながらゆるゆるランニングを続けている37歳です。

元々なんの取り柄もないモテない孤独な中年男が、
今では走ることを特技として自信がつき、筋肉がついたことで痩せてモテるようになり、仕事もプライベートも充実することが出来ています。

今回は、
なぜランニングを始めたのか、
どう人生が変わったのか

について話していきたいと思いますので、
ご興味のある方はこの先も読んでいただけるとありがたいです。

5年前の私は、趣味ギター(軽くコード弾き出来る程度)、読書(ほぼマンガ)程度で、トークスキルもなく、自分の思うがままに発言して人を傷つけたりして、当然モテないし周りが離れていくのを感じてました。
ちなみにルックスは中肉中背で一重まぶたの、完全なモンゴリアンです。

そんな孤独な日々を過ごしている中、暇つぶし程度で週一に3キロ程度の軽いジョギングをなんとなく始めました。
その時は”一生で一度マラソン走れたらいいな”とぼんやり思っていましたが、実力不足過ぎて本気では思っていませんでした。

2ヶ月程経った頃に、近所のバーで飲んでいると、マラソン経験者の人と話す機会があり、その人によると、
「全然走ってなかったけど、意外と完走出来るよ」とのこと。
当時マラソンなんか出来るはずないと思い込んでいた私にとって、この体験談はかなり衝撃的でした。

もしかしたらいけるかも・・・

当時、私が住んでいる北九州でマラソン大会が開催され始めており、勢いでエントリーしたところ、なんと「当選」。
内心”ヤバイ”と思いながら、マラソン初心者用のシューズを近所のスポーツショップで購入し、ボロボロのスポーツウェアで走り始めました。

調子に乗っていきなり15キロくらい走って、急に足裏が痛くなり、
案の定「足底筋膜炎」。。初心者がやってしまう怪我1位(笑)

そんなこんなで大会当日を迎え、最後尾からスタートしました。
並ぶのが遅れてギリギリになってしまい、ずっとドキドキでした。
最初は沿道の応援にテンション上がって順調な滑り出し。
でも調子に乗ってスピードが上がってしまい、25キロくらいで失速。
30キロ地点では足が固まってしまって、泣きながら前進。
その時にふと沿道を見ると、

「つらい、痛いは ”気のせい”だ」

という看板を持ったおじさん発見。
これは今でも忘れません。すごく勇気をもらったのを覚えています。

どんどん辛くなっていきましたが、”気のせいだ”と思い、
なんとかラスト1キロ!ゲストの増田明美さんとハイタッチをして、
一度も歩かずに無事ゴール出来ました。

無理だと思っていた42.195キロを走破出来たという喜びで、
しばらくの放心状態の後、感動して涙が出てしまいました。

その後、燃え尽き症候群で、冴えないモンゴリアンに戻るのですが、
翌年の北九州マラソンで会社の同僚が”3時間40分”くらいで
サブフォー達成していたのを目の当たりにしてしまい、
負けず嫌いな私は練習を再開して、ほぼサブスリーという結果を出すことになりました。参加者1万人中198位で上位”2%”内に入れました。

いろいろな本を読んだりネット情報を調べたりして、いかに楽に速くなるかを実践と勉強を繰り返してガムシャラにやっていたので気づかなかったことですが、周りを見ると同レベルの人が誰もいなくなっていました。
独学で上位3%以内に入れるという事実が私に生まれて初めての自信を与えてくれました。

この経験は他にも活かせると思い、仕事でも趣味でも自分で考えて行動することで少しずつ結果につながるようになりました。

ランニングが仕事につながるという副産物はありましたが、私自身の性格が明るくなり、マインド的にプラスになったことが大きいと思います。

このブログでは、私のように塞ぎ込んで行動出来ない中年の方々に、一人でも走ることの素晴らしさ・楽しさや行動することの大事さを知っていただけるように、私の挑戦体験を持って発信していきますので、今後も引き続きご覧になっていただけるとありがたいです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
ではまた〜。

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