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偶然から生まれた"乾燥しない"ゲル「バッキーゲル」

ゲルの多くは、高分子の三次元網目構造の中に液体が閉じ込められた材料です。
中には、シリカゲルのように液体を含まない特殊なゲルもあります。

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ゲルを液中から取り出し、空気中に放置していると図のように乾燥してしまいます(乾燥したゲルをキセロゲルと呼びます)。乾燥すればゲルの特徴と機能を失ってしまいます。

そんなゲルの常識を打ち破ったのがバッキーゲルです。
バッキーゲルはイオン液体カーボンナノチューブという特殊な物質を組み合わせて作ります。
ポイントは、常温で揮発しないイオン液体です。
通常、塩化ナトリウム(NaCl)のような塩は、小さな陽イオンと陰イオンが強く結合した状態のため、常温では固体です。800℃以上に加熱しないと液体になりません(仕事でやったことがありますが、かなり危険なので二度とやりたくありません......)。
ここで、塩を構成するイオンのサイズを大きくします(下図)。
すると、融点が低くなり、常温でも液体になります。

イオン液体

イミダゾリウム塩(代表的なイオン液体)と塩化ナトリウム

塩化ナトリウム(NaCl)よりも大きな塩であることがお分かり頂けたでしょうか?
室温で液体状態のため、イオン液体は室温溶融塩とも呼ばれます。

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イオン液体と無機塩(https://www.nipponnyukazai.co.jp/rd/article)

イオン液体には様々な種類があり、図に挙げたものは一例にすぎません。
そして、イオン液体の多くは300℃まで加熱しても状態が変わりません。
さらに、-30℃まで冷却しても液体のままです。
燃え難く、高いイオン導電性を持っているため、様々な応用が試みられています。
面白いのは、塩化ナトリウムのような無機塩は水に溶けるのに対し、イミダゾリウム塩などのイオン液体は水に溶けません。水やアルコールのような極性溶媒に溶けないだけでなく、四塩化炭素(CCl4)のような無極性溶媒にも溶けません。

このイオン液体にカーボンナノチューブを混ぜ、乳鉢で一時間以上すり潰して混ぜると、ゲル化します。
カーボンナノチューブは、以下のような構造をしています。

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富士通研究所HPより(https://www.fujitsu.com/jp/group/labs/about/resources/tech/techguide/list/carbon-nanotubes/index.html)

シート状になった図の中央の状態をグラフェンと呼びます。グラフェンが筒状になったものがカーボンナノチューブです。
ナノチューブには様々なタイプがあり、図のような一枚のシートが筒状になった単層タイプのほかに、多層やカップ積層タイプなどがあります。
バッキーゲルに必要なのは単層タイプです。

では、イオン液体と単層カーボンナノチューブを混ぜたゲルはどんな構造なのでしょうか?
下の図を見て下さい。

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科学技術振興機構HPより(https://www.jst.go.jp/erato/project/ank_P/ank_G/03-1.html)

図の右下がバッキーゲルの詳細な架橋構造です。二つの単層カーボンナノチューブの間をイオン液体が繋いでいます。
単層カーボンナノチューブをイオン液体が橋掛けし、三次元網目構造を作っているんですね。
具体的には、イオン液体の"イミダゾリウムカチオン"と"カーボンナノチューブが持つπ電子"の作用によって橋掛けが起きています。

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フィルム状のバッキーゲル(https://www.jst.go.jp/erato/project/ank_P/ank_G/03-1.html))

このバッキーゲルの発見は偶然でした。
カーボンナノチューブは液体や樹脂への分散が極めて難しい材料で、均一に分散させるために多くの研究者が四苦八苦しています。
あるとき、イオン液体にカーボンナノチューブを分散させようと試みていた日本の研究者が、混ぜた試料を乳鉢に入れたまま片付けるのを忘れてしまい、数日が経過しました。
片付け忘れていたことに気付いて試料を見ると、ゲル化していました。
乳鉢で混ぜるとゲル化する、驚きの発見でした(2004年頃)。
カーボンナノチューブは分散させ難いだけでなく、軽くてかさ高いために扱い難く、研究者泣かせの材料です。
しかし、バッキーゲルの発見により、イオン液体と混ぜることでペースト状になり、劇的に扱い易くなりました。

バッキーゲルの研究例の一つに、アクチュエータ(駆動力)があります。
下図のように、電極を付けたバッキーゲルのフィルムに電圧をかけると、フィルムが曲がります。

バッキーゲルアクチュエータpng

バッキーゲルアクチュエータ(産総研TODAY 2011-02)

図の赤と水色の〇はイオン液体を表しています。
電圧をかけるとイオン液体が移動し、それに伴ってフィルムが曲がります。
電圧をかけると曲がる「電場応答性ゲルアクチュエータ」は多くの研究例がありますが、どれもウェットなゲルを使ったもので、空気中では乾燥してしまいます。乾燥すれば電圧をかけても動きません。
ところが、バッキーゲルは空気中で長時間駆動させることが可能です。
柔軟で軽量、加工の容易なゲルアクチュエータは、手や指のリハビリに使う人工筋肉への応用や、点字ディスプレイ、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を向上させるソフトロボットへの応用が期待され、積極的に研究開発が行われています。
空気中で長時間駆動出来ることは、実用化への大きな一歩となります。

そして、電圧をかけて曲がるという特徴は、逆の使い方も出来ます。
フィルムを曲げて発生した電圧を読み取る、センサーとして使えるんですね。
ソフトで軽いゲルなので、自由な形に出来ます。
そのため、新しいセンサーとしての研究も行われています。

個人的には、バッキーゲルの構造が面白いなと思っています。
普通はゲルのネットワーク中に含まれている液体が、ナノチューブを橋架けしてネットワークを作る役割を果たしているわけです。

バッキーゲル

バッキーゲルの論文を初めて読んだとき、驚くと同時に「そんなこともあるんだなぁ」と不思議な気分になりました。
世の中には、まだ発見されていない構造や特徴のゲルがたくさんあるんじゃないかと僕は考えています。

読んでいただけるだけでも嬉しいです。もしご支援頂いた場合は、研究費に使わせて頂きます。