『儚い』を求める

Twitterを見れば、制服を着た女の子が沢山出てくる。

私なんかが憧れていいのかわからないが、私がなりたかった生徒は明らかに画面に映るその儚い生徒だった。

急に今でも着れるだろうか。とタンスを開け、中学時代のジャンパースカートを取り出し、着てみる。

カッコつけてポケットに手を突っ込めば、儚いなんて正反対なんだと突きつけられる。

突っ込んだ先には、中途半端に飲んだ粉の胃薬が散乱して、ざらついている。


胃薬の賞味期限は"2020.05"と記されている。

当時は効いたこの胃薬ももう用無し、
2021年の私はもっと先にいた。


私は錠剤が飲めない女だ。
錠剤が異物に思えて仕方ないのだ。水と一緒に喉を通る時の、喉を無理矢理こじ開ける感覚が嫌いだ。

私は当時胃薬常用者だった。
厳しい校則への反抗心で暴れるような生徒じゃなかった。むしろ、大人しい女だったから抱え込んだ。


東京の学校は周辺への騒音を気にして、窓が開けられなかった。マンションと住宅で密集しているから、どこの道だって忙しなく人が歩いている。自殺防止なんて美化された理由だった。私の知っている学生生活よりも酷い閉鎖空間で淀んだ空気を吸いながら生きていた。

『シティガール』であることが私は大嫌いだ。
シティガールであることに何一つ誇りを持てない。想像するようなキラキラした生徒なんかじゃない。これから田舎に住んでもシティガールの称号は金魚の糞のようについてくると思うとイライラする。東京が本当に憧れの場所なんて思えない。物理的には便利だけれど、精神的には苦しくて仕方ない。


私はその閉鎖空間の管理下で、一度、夏休み期間の下校中に自販機でジュースを買った。

夏休みが終わった初日、その行為を見た誰かがチクり、体育教師に理不尽に怒られ反省文を書かされた。今では大炎上の案件だ。どこまでも生徒の行動が監視されてるのが恐怖で仕方なかった。学校の名前を背負っているんじゃなくて、背負わされてるのが本音だった。子供だからといって許せない大人が多いのが、東京の苦しさと勉強熱心さの反動を感じる。

そういったこともきっかけで、常に誰かに見られているのが負担になって、私は気づけば授業中に急に動悸が止まらない人間になった。サボってもないけれど、授業なんてまともに受けてなかった。バスケ部の明朗な女の子もお腹を壊すようになった、体育でハチマキを忘れただけで説教され見学するか?なんて言われる、ストレスを吐く場所が共通認識でトイレとなって毎日トイレットペーパーが荒らされた。徐々にみんなが狂っていく現実があるのに、何故か感じられなくなる。当たり前になっていく。

コンクリートジャングルの東京には、気弱な私を受け入れてくれる逃げ場なんてどこにもなくて、残るのは義務教育の義務の文字だけ。それが憧れの東京だと思うと悲しくなった。競争率が高く、居座れる公園なんてなかった。

テレビで流れる東京への妄想を聞き流しながら、明日持って行く胃薬の準備をする女だった。



私は中学二年生の時に不登校の男子と出会う。
部活の友達の紹介だった。隣のクラスの子だった。


私は全く知らなかった。
てっきり、こんな監獄学校、監視されているんだから皆んな休まず行ってるんだと思ってた。

本人の不登校に対し、先生達は対策を練っていた。
どうすれば学校に来るのだろうか。と。単に聞けば優しい先生だと思うが、監獄に連れ込もうとしてると考えたら最悪だった。

ひょんなことからたまに来る彼と仲良くなった。
紹介者と私と彼の家を訪ね始めた。

そこで話してみてわかったが、彼はなんとなく行きたくないから行ってなかった。

へー。それでいいんだ。


単に生き方に惹かれた。
胃薬があるか毎日チェックして、重いカバンを背負い、死んだように授業を受ける私とは正反対だった。



中学校三年生になった。
不登校、紹介者、私は3人とも同じクラスだった。パノプティコンの餌食にしようとしている、先生の魂胆が透けて見える。

先生達も下校中に彼の家に行っていることを知っていた。なんで下校中の自販機はブチギレるのに、これは怒らねえんだよと思った。そりゃ、先生からしたら不登校解消なんて自分の利益になるもんね。って思って、ヘッって悪い顔しちゃった。

最初、家を訪ねていた頃は、監獄に洗脳されていたので『なんで学校に来ないの?』『学校に来てよ』と言っていたが、だんだんノルマのしての意味のない形だけの発言になっていった。言った事実さえ、あれば通り抜けられると思った。

私以外の二人はミリタリーオタクだった。興味があるかと言われたらないが、不思議と話が面白くて、戦艦や銃、ミリタリー服を見せてもらい、丁寧に教えてくれた。

『これが東ドイツ軍の…』
見えてる世界が違うのに一塊になってるような。面白い感覚。


そのうちに謎のイツメンになった。(チーム名は化け物)

上野のミリタリーグッズを見たり、私の食べたいもんじゃを食べたり、プリクラなんて眼中になく楽しんだ。
彼らはミリタリーコスプレをするため、私はアニメのコスプレをするためにコミケやニコニコ超会議に足を運んだりもした。


思春期の野郎達からみたら、恋愛に結びつけるだろうなと思っていたら、案の定、結びつけられたり、否定したり。最後の方には、もうわかったのか、ただ仲良いのねで終わってた。


その時その空間が、心地よくて仕方なかった。
学校に行く目的がいつの間にかすり替わってた。
もちろん卒業式まで胃薬常用者なのは変わらなかったが。

私は常々思っている。


不登校の彼は今まで会った誰よりも儚い。
彼は実は1ミリ単位の作業が出来る。他のクラスメイトは知らないと思うが。米粒程度の折鶴も折れる。ミリタリー関連の製図をするため、計算から製図までを独学でこなしている。彼は特に飛行機の製図が好きだった。だが、その力を使って人気者になろうとは思わないのだ。むしろ、なんとなく行きたくないから監獄には通わない。思春期特有の甘酸っぱさを追いかける熱量には中和できないだろう。


比べて私は、いつ怒られるのか不安で毎日ビクビクして、大量の荷物を持ち歩いていた。置き勉がダメな校則にも対抗する勇気なんてなかった。一生懸命テスト勉強しては、動悸を気にしてマトモに授業を受けてなかったから、60点ばかり叩き出してた。その日その日をどう乗り越えるかばかり考え、周りの女友達によるどうせ2週間で別れる恋愛話も生き残るための情報だった。挙げ句の果てに、真面目だからと部活の部長に推薦された。



私は必死でバタバタと生き過ぎていた。
趣味も性別も何も交わらなかったからこそ、この出会いは思ってもないことだった。心から笑える。

こんな監視の目が敷き詰められた東京で、大胆に自分の生き方を選択出来る、喉から手が出るほど欲しいが、最後に私は手にしないだろう。

私は自分に勇気がないことまで知ってしまっている痛い人間だからだ。


今まで、勇気がなかったが、これキッカケに勇気が出来た。なら美談だなあ。いつも美談にしたくない痛い女なんだ私。周りから見れば諦めだとも見えるだろうが、美談になると知っててやるのは面白くない気がするんだ。

こんなに真面目な私の小さな反逆だと思えば可愛いでしょ?


みんなにとってのぼうけんのしょは一冊の本かもしれないけど、私にとってはルーズリーフバインダーであって欲しい。本だと途中で詰まると後戻りできないから。


儚い人間というのは思ってもないことを頻繁に起こす人なんだと思う。気づいたらこうなってたとか、常に進化している液状の人間だ。

私にとって『儚い』というのは、そこでしか存在できない、その時でしか起こらない、所謂『思ってもないこと』なのだ。

文化祭中にトイレでご飯を食べている彼も、授業中に推しキャラを描いている彼女も、いつか誰かをこうして救えたらと日々妄想をしている。

救いやヒーローさえ疑って、いつも最後は最悪の事態に見舞われる、ろくに陽気な妄想できない私は正真正銘の痛すぎる陰キャだ。『思ってもないこと』を求めるがあまりそんなことになってしまってるのだろう。

それでも『儚い』を求める。
私が捻くれた勇気のない小心者だからできるんだろう。
自分から儚いを起こすのではなく、気づいたら絡み合ってたような関係性になりたい願望がある。手でわざと掬ったら掴めないくらいのたおやかさを感じていたい。

こんな既にぐにゃぐにゃにひん曲がってるんだから、何かに誰かに引っかかれ。今すぐ穴開けてバインダーに突っ込むから。


久しぶりに心臓のバクバクを感じる。
胃薬飲まなくても良さそう。

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