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青木理 警察に政治がコントロールされる

警察の権限を拡大する安倍政権

―― 安倍政権を支えてきた組織の一つに警察があります。彼らが政治に対してもっと中立的であれば、安倍政権が5年も続くことはなかったはずです。青木さんは『日本の公安警察』(講談社)で公安警察の実態を明らかにしていますが、なぜ彼らは政治的な動きをするようになったのですか。

青木 公安警察という存在自体、そもそも政治的な色彩の強い思想警察なわけですが、戦後の公安警察は長らく「反共」をレゾンデートル(存在意義)としてきました。「泥棒や人殺しの一人や二人捕まえなくても国は滅びないが、左翼をのさばらせれば国が滅びる」と。実際、1950年代には共産党が様々な活動を行い、その後は安保闘争や新左翼セクト、例えば中核派や革マル派などによる事件が次々と起きています。

 こうした状況に対応するためと称し、公安警察はどんどん肥大化していきました。私が共同通信で公安担当をしていた95年頃には、警視庁刑事部捜査第一課が300人ほどの陣容だったのに対し、警視庁公安部公安第一課には350人もの捜査員がいたほどです。また、当時調べたところでは、歴代の警察庁長官や警視総監の8割近くは警備公安警察の出身者でした。公安警察こそがエリートであり、警察内でも圧倒的なウエイトを占めていたのです。

 しかし、冷戦が終結したことで事態は変化します。ソ連をはじめ共産主義国家が次々に崩壊したため、公安警察は改めてレゾンデートルを問われるようになったのです。

 これに追い打ちをかけたのが95年のオウム真理教事件です。私は当時、警視庁記者クラブで公安警察の動きをずっと追っていたので断言しますが、公安警察はオウム真理教に対して事前に何の策も講じていませんでした。しかも情けないことに、一連のオウム捜査の最中に起きた國松孝次警察庁長官狙撃事件と、オウム真理教幹部の村井秀夫が刺殺された事件について、公安警察に捜査を任せたら、両方とも迷宮入りさせてしまったのです。

 これにより、警察内部で公安に対する懐疑心が高まります。「多額の予算と人員を使って偉そうなことを言っているのに、何もできないじゃないか」と。結果、公安警察は人員を徐々に減らされていきました。

 公安警察といっても官僚組織ですから、一度膨れ上がった予算や人員は手放したくありません。そのため、彼らはポスト冷戦時代における新たなレゾンデートルを模索するようになりました。

 そして見出した新たなレゾンデートルの一つが、国際テロ対策です。01年の9・11テロをきっかけに、公安警察は反転攻勢に向けて動き出します。象徴的なのが、警視庁公安部に新たに国際テロ対策担当として外事3課が設置されたことです。外事3課には発足当初から200人以上の人員が配置されました。

 もう一つ公安が取り組んだのが、これは共謀罪にも関連しますが、与野党を問わない政治情報を収集することです。公安内部では「幅広情報」の収集と呼ばれています。彼らは警察庁警備局の警備企画課にISと呼ばれる組織を作り、政治家の身辺調査などを始めたのです。

 私があるISの人間から聞いたところによると、彼らは国家公安委員長に内定した政治家の身辺調査も行っていました。もちろん好みの茶菓子を調べるわけではないでしょう。場合によっては政治資金や酒癖、下半身絡みの情報なども集めることが可能です。こんなことを許せば、警察が政治をコントロールすることだって不可能ではありません。

 もっとも、ISの活動はあまりうまくいっていないという話もあります。ある警察幹部に言わせれば、「共産党の尻ばっかり追っかけていた連中にそんな能力はない」ということですが、実際のところはわかりません。

 いずれにせよ、公安警察は90年代後半から自分たちの権益を守るために知恵を絞っていました。そうした中で誕生したのが第二次安倍政権だったのです。安倍政権は特定秘密保護法や通信傍受法の強化、共謀罪など、公安がかねてから欲しくてたまらなかった武器を次々に投げ与えました。しかも、ほとんど歯止めが掛かっていない「抜き身の刀」ばかりです。

 これには杉田和博官房副長官と北村滋内閣情報官という二人の警備公安警察出身者の役割が大きかったと思います。公安警察は政治に食い込み、政治力を利用する形で警察の権限拡大を認めさせていったのです。特に北村氏は極めて“優秀”らしく、特定秘密保護法などを主導したのも彼だと言われています。警察から見れば歴史に残る“功労者”と言えるかもしれません。

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