黒木プロフィール写真から

劇団員インタビュー(2)黒木陽子×中谷和代

9月某日 iroiro(松原京極商店街内のカフェ)にて

インタビュアー:中谷和代(ソノノチ)

20周年記念公演「プロトタイプ」を終えて

中谷:まずは公演、お疲れ様でした。20周年記念公演として、一年間に2つの公演(第一弾:『サロメ/オイディプス』公演と、第二弾:『プロトタイプ』公演)がありましたが、いかがでしたか?

黒木:第一弾のほうは、20年間でやってきたことの集大成というかんじで、今回の第二弾は『プロトタイプ』という題名通り、劇団のこれからを見据えた公演になったと思います。まあ私は衛星の公演にはほとんどノータッチでしたけど。

中谷:『プロトタイプ』は、衛星とユニット美人で2つのチームに分かれて創作をしたんでしたね。黒木さんは、ユニット美人チームでしたね。

黒木:これまで、コント公演(ユニット美人の二人=黒木・紙本でとにかく楽しみながらコントをつくるシリーズ)と連続ドラマシリーズ(黒木が台本・演出を務める、連続ドラマシリーズ)というやり方で創作をしてきましたが、作り方は今後ちょっとずつでも変えていきたいと思っています。ちなみに今回は宛て書きをせず、稽古場でアイデアを持ち寄って作るスタイルで稽古できたのがとても良かったです。とにかく俳優さんがよかったのと、スタッフさんにも随分助けられました。

中谷:これまで衛星の団員として創作に関わっている時に比べて、今回は劇団衛星という集団をいつもより客観的に見つめる機会になったのではないかと思うんですが。

黒木:そうですね、結局稽古場にも一回も行きませんでした。お客さんとして作品を観て、一言でいうと「原点回帰だ!」と思って。

中谷:どういうところに、原点回帰を感じたのですか?

黒木:女性(女優)の使い方かな。あと、今回の衛星作品はいい意味で、役者の主張がなかったです。ユニット美人は役者の主張が7割くらいで作る、役者ありきの芝居なので、そういう意味では真逆で、衛星は蓮行さん一人が本当に面白いと思うものをつくっている、という印象でした。俳優の主張が優先ではないので、より作家性が伝わりやすい仕上がりになっていたと思います。


原点回帰

中谷:ちなみに黒木さんの仰る「原点」というのは、どの時期のことでしょう?

黒木:2005年に、岡嶋(秀昭)さんが辞める前までかな。岡嶋さんが辞めてからは、圧倒的に説得力のある俳優がいなくなってしまったんです。だから従来の、主役を軸に展開するワンヒーロー芝居はできなくなってしまって。

中谷:そうだったんですか。でも、看板俳優が辞めてしまっても劇団として同じようにクオリティの高さを保つためには、なにか違う公演の形態とか、発明が必要になってきますよね?

黒木:そう。今思えば蓮行さんはきっと、どうしたらいいのかってむちゃくちゃ悩んだんじゃないかな。でもその後の劇団転換期としては、岡嶋さん以外のメンバーで東山青少年活動センターの夏祭りで『バンドやりたいぜ』っていう60分の新作を作って、それがとても良い仕上がりになったんです。私自身もすごく楽しくて、「私はこういうのを作るためにこの劇団に入ったんだ!」と思ったほどで。

中谷:へえ、そんなにも。きっとお客さんからも好評だったんでしょうね。

黒木:(個人的には)そうか、ヒーローがいなくても、私らできるやん!ってなったね。(笑)


劇団衛星との出会い

中谷:そもそも黒木さんは、いつから演劇を始めたのですか?

黒木:きっかけは、『ガラスの仮面』を読んで「私もできる!」ってなったことで。明確に演劇をするということを自分で選びとったのは、小学校の演劇クラブからかな。当時は部活とかグループって友達で誘いあって入ったり作ったりするもんだということを知らなくて。上級生の中に一人だったり、同期がいなかったり。でも浪人時代に演劇ができない時期には、大学に入ったら思う存分演劇をするぞ!って思ってた。

中谷:で、大学に入って。いよいよですね。劇団入団時のことって、覚えてますか?

黒木:はい。もちろん覚えてます。当時、「衛星はキツイ」という評判を聞いていたのと、二階建ての舞台を組んでいる(※『赤べこカマトト早急便』初演)のを観て、とてもスタッフの技術力がある劇団だと思って、そこならきっと私も厳しくて素敵な先輩に出会って、付き添いでビシバシ鍛えてもらえるぞ!と期待していたのに、実際は入っても超ほったらかしで、しかも、同期がいなくてやっぱりずっと一人でいたな。

中谷:最初のイメージとは随分違ったんですね。入団してから「こんなはずじゃなかった!」という風にはならなかったんですか?

黒木:一回入ったら抜けるのも面倒で、気づいたら時間が経ってたな。いやあ、辞めればいいのにね(笑)。どっちにしろ大学を卒業したら地元に帰るつもりで入った。しかも、1年生の終わりに蓮行さんに呼び出されて、「あなたを役者として使うことはありません」とまで言われたのね。衛星に必要な女優は若くて可愛い子だけど、私、若くも見えないし可愛くなかったから、そういう理由もあったかもしれない。ほんと、なんで辞めなかったんだろ。

中谷:黒木さんの劇団内での立場や意識が変化するきっかけは何かあったんですか?

黒木:ニットキャップシアターの旗揚げ公演で母親の役をやったり、1998年に初めて『ガラスの鉄拳』(ガラスの仮面のパロディ)という作品を書いて、演出した時に、多分そこで認められたんだと思う。それがきっかけで、地元に帰るという想いもなくなった気がします。

中谷:ちなみに、一度は役者として使うことはないとまで言われたのに、どうしてここまで来れたのだと思いますか?理由というか、秘訣があったら教えてください。

黒木:私自身はとにかく運がいいのと。劇団としては、たぶん蓮行さんに経営の才覚があったからだと思います。それがなかったら今の劇団のかたちはなかったなと。


劇団員として

中谷:最後に、これから演劇をしたいと思っている方や、若い劇団の方に想いというか、メッセージがあればお願いしたいのですが。私も一後輩として、聞いてみたくて。

黒木:私はぶっちゃけ、衛星の中でも一番適当で、不真面目な劇団員だと思うんです。たぶん今後もそうだし。でも、もし自分がもっと真面目だったら、すぐに辞めてたとも思うんです。こんな私だから生き残ってこれたというか。まあ、皆さん好きなようにやらはったらいいと思いますね。

中谷:好きなように、ですか。それがなかなか難しいですよね。

黒木:利用されないでほしいし、甘い考えとか一時的な感情とかまわりの甘言とか、いろんなものに惑わされないで欲しいなとも思うな。他人は面倒見てくれないよ。シビアに、誰がどれだけお金を出してくれたかが大きな基準になるなと思う。それは私が劇団衛星に入って、一番気付かされたことです。もちろん、あくまでひとつの基準としてだけど。

中谷:なるほど。この業界でプロとしてやってこられたからこその、ご意見ですね。ちなみに劇団員としての夢とか目標って、なにかありますか?

黒木:劇団の演劇的な価値を、世の中にもっと評価されたいです。良い活動してると思うんだけどな…。世間に評価されるように、今後も活動していきたいです。そこをやっぱり、人任せにしてちゃいけませんね。あれ?それが私の仕事じゃないかって思えてきました。ああ、ありがとう。

中谷:あら、お礼を言われてしまいました。(笑)

おわり

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