首藤プロフィールより

劇団員インタビュー(5)首藤慎二×大原渉平

9月某日 AKIKANにて

インタビュアー:大原渉平(劇団しようよ/「gate」ディレクター)

今回は首藤さんにインタビュー。首藤さんはいつもユーモアがあってすごく面白い人なのですが、今回は思い切って、しっとりとこれまでの話を聞きました。[大原]

首藤:(インタビューの)文字起こし、大変だよねえ…(笑)。

大原:そうですよね(笑)。でも、文字起こしも含めておもしろいインタビューにできるかどうか、みたいなところがありますよね。がんばります。ところで、首藤さんってこの特別企画で何人くらいにインタビューされたんでしたっけ?

首藤:3人。

大原:3人ですか。

首藤:でも、やっぱりインタビューしてみて、その人たちのこと、ぜんぜん知らんかったなって思った。これまで長い付き合いの人たちにインタビューさせてもらったはずなんだけど、思ったより知らんかったことがあって、それが知れてよかったと思いました。

大原:ああ、そうですよね。こうやって「話を聞かなきゃいけない」っていう形式だからこそ聞けること、みたいなのありますよね。

首藤:そうそう。でね、インタビューの最後に、「衛星に向けて一言」みたいなのを聞いたりするじゃん。

大原:ああ、ありますね。

首藤:それ聞いた時に、僕がインタビューした3人が3人とも、「むむむむ…」って長考するっていう…(笑)。で、それでも、3人が悩んだ末に言った言葉っていうのがあって、それが本当に思うことなんだなって。重みを感じましたね。

大原:そうですよね。ほんとに。では、おもむろにインタビューやっていけたらと思うんですが…。まず、20周年記念公演を終えられて、いかがですか?

首藤:僕は、正式に劇団員になったのは、2011年からなんですよ。

大原:あ、じゃあ、今、5年目とかですね、首藤さんにとっての衛星歴は。

首藤:そうそう。だから4分の1、一緒にやってきたんだなって思って。それこそ20年っていう時間は、蓮行さんや植村さんたちがやってきた道のりであって…。

大原:首藤さんとしては、その20年の重み、みたいなものって、どれくらい感じてるんでしょうか?

首藤:うんうん。そうだね。…三浦知良がJリーグ創設時にずーっと活動してきて、でもワールドカップに行けなかった。でも、フランスW杯に日本が初めて出て、その時の、中田選手とか小野選手とかがどんどん出てって…みたいな感じ、あるやん。僕自身は若手で、どのくらい劇団員として強く力になってやれたかっていうと、難しいなって思ったかなあ。

大原:ああ、じゃあ、今後はもっと劇団に対して何ができるか、みたいなことを見つけていく部分があるってことですかね。

首藤:そうだなあ。やっぱり、上の人たちがすごいがんばって、つくりあげてきたものがあるじゃないですか。その中で、どうしても自分って、1.5列目にいるような…。って言うと、なんか失礼な話になるかもだけど。

大原:最前線ではない、みたいなことですか?そういうところからモノを見ている感じがある?

首藤:うん。そうだね。80年代生まれ世代の性みたいな部分があるのかな…。


首藤さんと衛星

大原:そもそも、首藤さんが衛星を認識したのって、いつ頃なんですか?もともと劇団ACT(※京都産業大学の学生劇団)でお芝居をされてたんですよね?

首藤:そうそう。

大原:(ACTに)入られたのは何年前ですか?

首藤:えーっと、僕が18のときに入ったから…、今から16年前になるね。

大原:ということは、首藤さんの演劇歴みたいなものも、16年くらいってことなんですね。

首藤:あ、でもね。演劇始めたのは、大学二回生からだった。

大原:あ、一回生からやってたわけではないんですね。

首藤:そうそう。一回生の時は、サッカーサークルで(笑)。

大原:ああ~。

首藤:でも、サッカーサークルがあんまり楽しくなくって。で、ある時ふっと、中学校の時の文化祭でお芝居やって楽しかったなーみたいなのを思い出して。大学の演劇部のボックスの前に行ってみるんだけど、ドアをノックする勇気がなくて、そのまま帰るっていうことを繰り返した。そんな期間が半年あった(笑)。

大原:半年!(笑)

首藤:で、二回生の秋に、意を決して入ったわけですね。そしたらちょうど秋公演の時期で、ちょうど照明オペが足りてなくて、先輩たちが「こいつだ!」ってなった(笑)。それで、初舞台はその後だから、二回生の冬だったんですよ。

大原:ほお…。

首藤:他には、田中遊さんが元劇団ACTの方で、「正直者の会」っていう団体をやってて。観に行ったんですよ。それは『イス』っていうお芝居だったんだけど、出てたのが、田中遊さん、二口大学さん、岡嶋秀昭さんの3人…。

大原:もう、精鋭ぞろいですね…。

首藤:もう、三銃士ですよ。

大原:三銃士ですね。

首藤:その3人のお芝居を観て、めっちゃくちゃ面白くって。その後、ACTの先輩が戯曲を貸してくれたのだけど、それが劇団衛星の『水龍の纏』だった。その戯曲のど頭に10行くらいの長ゼリフがあって、それをよく滑舌の稽古で使ったりしてましたね。

大原:そんなに滑舌が難しいセリフだったんですか?

首藤:いや、なんか独特だったね。言い回しが。

原:その作品の上演は観てないんですか?

首藤:いや、観てない。観てなかったです。衛星の作品を初めて観たのは、僕が記憶する限りでは、『ここでキスして』っていう松田正隆さんの作品を、蓮行さんが演出するっていう公演でした。

大原:それは在学中に観たんですか?

首藤:うーん…、いつやったかなあ…。でもまあ作品は、卒業するかしないかぐらいに観ましたね。そのほかにも、『珠光の庵』とかも観たし…。そんな感じかな。衛星との当時の接触は。

大原:その当時の劇団衛星って、当時の首藤さんにとってどんな風に映っていたんですか?その当時の首藤さんの好みとかも含めて。

首藤:あー…。まあとにかく学生劇団の先輩からは「(観れる作品は)全部観ろ!一年間で100本観ろ!」って言われてたから。もう、それはありとあらゆる劇団を観に行きましたね。そんな中で、衛星もその中の一つとして覚えているっていう感じかなあ。

大原:当時一番好きだった劇団って、どこですか?ここはやばい、ここは影響受けるなあ、みたいな劇団。

首藤:うーん…、何かあったかな(笑)。まあ、でも、影響受けたのは…、結構ぜんぶ、かな。

大原:おお!全部ですか。やっぱり、それぞれの面白さを見い出せた、学べるところがあるな、みたいな感じでしょうか。

首藤:そうですね~。

自分が芝居をやっていく

大原:いつから、自分がお芝居をやっていくんだ!って思ってましたか?

首藤:やりたいな、っていうのはずっと思ってた。でも、いろんなことは考えてたけど、お芝居だけっていうのは、なんだかあんまり…漠然としてた。

大原:ああ、なるほど。

首藤:でも、やっぱりやりたいなっていう気持ちは強くあって。

大原:できれば続けられたらいいなって…?

首藤:そうそう。で、「ニットキャップシアター」の団内ユニットだった「ベビー・ピー」のメンバーと一緒に活動するようになって。

大原:ベビー・ピーに入られたのが、いつですか?

首藤:大学卒業して、ちょっとして…って感じかな。まあ、ベビー・ピーをしつつ、バイトもしつつ。まあ、演劇をやっていきたいなっていう気持ちはあったけど、芝居だけでやれるのかなって思ってた。で、2007年くらいから衛星と関わり出したんだけど。初めは、ゲスト出演くらいの感じで関わってたんだけど、ある時、蓮行さんと植村さんに衛星入らないかって言ってもらって。

大原:それが、2011年…?

首藤:そうだね。だから、衛星との出会いはそんな感じかな。

大原:僕は、2011年に京都にやって来たんですね。だから首藤さんの衛星歴と僕の自劇団の活動歴は一緒なんですよね。5年目っていう。

首藤:ああ、そうなんだ!

大原:だから、首藤さんが衛星の中で言うところの若手っていうか、新しい人だっていう感じが、僕はあまり感じないというか。むしろこういう、衛星に触れるまでの話を聞くのがすごく新鮮ですね。たとえばファックさんですら、入団の時期という意味では、蓮行さんとすごく距離があったりするじゃないですか。僕のイメージとしては、蓮行さんもファックさんも同じくらいのキャリアでやってこられたのかなって思ったりしてたんです、イメージですけど。でも、実際、衛星の人達と関わるようになって、その20年の歴史の実態を掴めてきたというか。それがおもしろいですよね。

首藤:ほかの劇団の人たちの遍歴って、なかなか知る機会ないもんね。

大原:そうですよね。で、知っていくと結構おもしろいっていう…。首藤さんは、衛星のことを、お客さんとして観てた時と、関わり出してからと、どんな風に変わって見えましたか?衛星というものをどんな風に感じたか。

首藤:うーん…。やっぱり(衛星に)入ってみて、演劇って上演だけで成り立つわけじゃないないし、自分たちの生活が賄えるわけではないっていうことを、まず現実として教えてもらったってところが大きいよね。演劇ワークショップでいろんな現場に行って、演劇にまつわるいろんな仕事をすることによって、すごく考え方が変わったっていうか。昔は、役者だけで生きていきたいって、漠然と思っていたけど、ワークショップとかへ行くことによって、そこで得たものを役者としても還元できるんだなって。だんだんできてきたなって思えてきたっていうか。すごく考え方が変わらされたなっていうのが大きいです。責任感とかも、やっぱり違う。

大原:いろんなことが具体的になっていったっていうことですかね。衛星に入ったことによって。

首藤:うん。うん。そうだね。

大原:今、演劇を続けてこられ、衛星を5年続けられて、今の首藤さんにとって俳優をやることに対する野望みたいなものってあるんですか?今はこういうことをやってるけれど、今後、これもやってみたい、みたいな。何かあるんですか?

首藤:結構、何も考えずに生きてきたんですよ。就活も一回もしたことないんですよ。

大原:僕もしたことないです(笑)。一秒たりともしたことないです。

首藤:あ、ほんと(笑)? エントリーシートとかも書いたことない?

大原:書いたことないですね~。

首藤:まあ、そんで、親不孝もたくさんしてきて、今、演劇をやってるのだけど。やっぱり、死ぬまでに自分が出ることができるお芝居って、限られてると思うんですよ。この年齢じゃないとできないお芝居というようなのもあったり、今やから「こうなんだ」って思えることもあったり。それをあと何年できるのかわかんないけど。お芝居っていうものをなかなか楽しむっていうことができないんだけど、それを、死ぬまでに楽しんでできるようになれればいいなって。そんな風に、ようやく思い始めたってことですかね。

大原:なるほど…。

首藤:楽しむっていうか。真摯に向き合うっていうか…。

大原:それって、目先の楽しさとか目標だけではなくて、時間をかけながら見据えて、乗り越えたり、理解できるものがあるんじゃないかってことなんですかね。

首藤:ああ、そうだね。今まではそんなことをあんまり考えずにやってきたから。

大原:いや、ファックさんのインタビューでも、何か、そういうことをおっしゃってて。ちょっと前の稽古場で「はっ」と稽古中に気づいたらしくて、ここをもっと考えていけば、もっと面白いことがあるかもしれん、って思わはったんですよね。その探求をすることへの興味とか、やっとそれを見つけられる気がしてきた!っておっしゃてて。

首藤:うんうん。

大原:何か、こう、長いこと役者を続けるからこそ見つけられる、俳優をやることの醍醐味みたいなものがあるんですかね。やっぱりまだ僕ら若手って、今やることとか、今見えるものとかばっかりを考えてしまうなって思うんです。身近なスパンでしかものを考えられないというか。そんな感じがするんですね。でも、そういうことだけじゃなくて、焦ることなくゆっくり探していくことができるって、すごくいいなって思います。

首藤:本を読むとかでもそうで。若い時に読んだ本を改めて読んだら、咀嚼率というか、ああなるほど!っていうのと、ああこれ深いなあ…っていうのを同時に体験するっていうのを感じてて。それと同じで、続けていけば続いていくほど、先人たちがどうしてこれを考えていたんだろう…とか、そういうことに近づけそうにもなる。今やから言えることもあるなって思います。24歳くらいの俺は、いかにそのセリフをかっこよく言うかとか、そんなんばっかり考えてたから(笑)。今は、どうやってセリフを書いたんだろう、どう演者に言わせたかったんだろうとか、そういうことを汲み取ろうって思うようになってきました(笑)。

大原:でも、そうやって聞くと、続けること自体にも意味があるようにも思いますね。いろんなことにおもしろみを見い出せるんじゃないかっていうか。

首藤:うんうん。

大原:インタビューをさせてもらって、勇気が湧いてきたんですよね。歳をとること、これから30代40代を迎えることは、実は希望があるんだなって思い知らされるっていうか。歳をとるのがちょっと楽しみになってきました。

首藤:ああ。だから、落ち込んだ時は、先輩にインタビューしたらいいんじゃない?

大原:ああー!そうですね!

首藤:インタビューと言わずとも、飲みに行きながら話聞くとかね。

大原:はい。

首藤:僕らがあんまり飲みに誘ったりしないもんね。

大原:ああ~、そうですね。あんまりないですよね。僕、劇団内でもそんなにないですからね。でも、インタビューを通じて、励まされる思いでした。



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