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子供たちの奮闘in ドイツ ~襲撃~

子供たちの学校はスクールバスならず、スクールトラムがありました。行きと帰りに1本づつのトラムを利用して通学することができるので、とても便利だったのですが、ある日、帰りのスクールトラムが1人の男に襲撃されるという事件がありました。
ニュースにならなかったので詳細は不明でしたが、下校途中のトラムにナイフと棍棒を持った男が1人、かなり大きな石をトラムにぶつけてきてドアを開ける事を要求したらしいのです。すごい音がして、乗っていた子供たちも事態に気がついたらしいのですが、運転手はもちろん扉を開けずに警察へ通報して、ほどなくしてその人物は警察に連行されていったそうな。

子供たちは同乗していた先生の指示で、窓ガラスが割れた場合に備えて座席の下しゃがむように言われて、一時緊迫した状況だったらしいです。トラムの中から息子が電話をしてきて、「ナイフを持った男の人がトラムに乗り込もうとしてる!」というので、これを聞いて仰天しました。詳しく聞けば乗りこんできてはいない、ということで、この電話の時点では既に警察が来ていたようでした。先生はいるのか、妹はそばにいるのか、ということを確認して、先生の指示に従って妹と離れるな、と指示を出しました。
(因みに先生がいない日もランダムにあるのですが、この時は先生がいた日でした。)
そして肝心な事は、「今、ここからではママは助けにいけない。自分たちで何とかしなさい!」と伝えました。駅まで迎えに行くと、娘は怖かったといって少しおびえていました。泣き出してしまった子も何人かいたようで、帰ってきてから子供たちに状況を聞いたところ、途中からはまぁ大丈夫な雰囲気になったらしいのですが、なかなかの緊張感だったようです。

しかしこの件を通して母子共に一つはっきりしたことがありました。

学校や帰宅途中で不測の事態があったとしても、母は役に立たないということです。その場その場で知恵を絞って子供たちの力で切り抜けなければならないということ。一つ質問してみました。

「もしも、この男が電車に乗り込んできたらどうしたか?」

息子は即座に「トラムの後ろの方へ移動して目立たないようにする。」と回答した。間髪入れずにそう言ったので、へぇ、と少し驚きましたが、彼は彼なりに今回トラムの中で頭を巡らしたのではないでしょうか。とにかく逃げることを第一に考えることを伝えて、ママやパパに助けを求められても間に合わないから、自分の最善を尽くすしかないということを言いました。言いながら、私自身もそのことを実感しました。

これまでまだ小さい子供たちであったときは、なんでもかんでもが母親の責任でした。風邪をひいても転んで怪我しても、下手すれば母親である私の落ち度のようなものであり、常に過失を問われるような状態でした。おそらく殆どのママが無意識にそういうプレッシャーの中で子育てをしていると思いますが、今日の出来事を通して、思いがけずにもう自分の監督下に既に子供たちがいないということを実感しました。知らず知らずのうちに子供たちは自分たちの足で歩きだしていたのです。このことに気づいた時、自分の1つの役目が終わったという事と、子供達が予想以上に成長している、という事、そして私自身とは別な1人の人間になっているという事を感じて妙な悟りの心境になりました。

これから先はたとえどんな事件が起きようが事故が起きようが、それは私の責任ではなく、子供たちの責任に寄るところが大きいのです。大人になるまで私の保護下で常に守り続けて行く事は不可能です。だとしたら、どんな危機的状況でも最善を尽くすことができる知恵と力をできる限り授けて、それ以上の事は運命と考えるしかできないのです。息子10歳にして、初めて母子が二つ身になった事を実感した日でした。












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