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終演後、胸から込み上げる熱い想いを抑えつけるのに必死だった

僕はダンスに深くのめり込んだ瞬間を鮮明に覚えている。

それは初めて照明を浴びて踊った公演が終わった瞬間だった。

その後経験を積み、多くの舞台に立って踊ってきて良くも悪くもダンスの見方や観点も「ダンサー」寄りになっていると思う。

それが今日飲んでいた珈琲の苦さも忘れるくらい甘美な衝撃によってアップデートされた。

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自分はしがない大学生であり、バイトとダンスに明け暮れる日々である。

きっかけは大したことじゃなかった。
たまたまTwitterを見ていて、知り合いの先輩が舞台に出る。
面白そうで日程が空いてたから行ってみた。
そんくらいのノリ。
学生にとってちょっぴり高い4000円も
結果的にはそれ以上の価値を得たと胸を張って言える

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というわけで甘党プロデュース短編公演
「とある箱庭」
を観てきた。

観る前の電車での僕は

今日は純粋に見ることを楽しもう、

使命感に囚われず、

自分の感性に任せて楽しもう

という

自由という名の唯一の束縛を課して

客席に座った。



終わって正直圧巻だった。
誰が良かったとか
最早些細なことなので割愛するが、
観に行って良かったと心から思った。


観に行ったハコの特性からか舞台と客席の距離が近く迫力があった。

近いとなるとより詳細な体の動きや視線に目が行く。
出演者の一挙手一投足が洗練されていたのはすぐに感じ取れたが、

それと同時にある一定の余白を観客に与え続けた。


言葉を使わない舞台での醍醐味は

考えさせ、観客一人一人別のストーリーが作り上げられていくこと。

だと考えている。

言語を使わないということは現代人にとって他人の詳細な情報を得るのに大きく遅れをとってしまう。

体の動き一つで相手の感情は正直わかりにくいと思う。

何かストーリーを伝える時、多くは映像や音楽に合わせて言語を用いて表現することが多い。
緻密な設定や伏線を張ってそれを知って理解する楽しみもあると思う。


だが、それをしないということは、
観客それぞれが自分で解釈を楽しめるということ。


箱が持つ、多面性を存分に感じ取れる舞台であった。


余白を楽しむというべきか、
その自由が強いのではないかと思った。

勿論テーマがあって、振付師が伝えたい感情や、表現がある公演だと思う。

それを考慮した上で、出演者が披露する表現に対しての
観客の楽しみ方に幅があった。自由だった。


ダンス作品は基本的に観る人次第で感情や受け取り方が変わるのが顕著なものだと思うが、

この公演は製作側からの一貫性、繋がりや小ネタ、伏線等とのバランスが心地よく感じ取れた。

見ていてよくわからない部分もあったが、それを考えるのが幸せな時間に思える。


終盤、横の壁に全員の影を映し出した時

今考えてもよくわからないが、泣きそうになった自分がいた。
危ない危ない、溢れそうな熱い何かをそっとしまうことにした。


なんか生きてるな〜、人間っていいな〜

って餓鬼の感想がこぼれでた。

そんくらい、謎だけど深く心に響いた瞬間だった。

なんかいい。理由はわからないけど、
でもそれでよくね?いいもんはいいんだよな。

説得していた、自分自身を。

言いたい素敵ポイントはもう一つある。

観客達の多くは久しぶりに会う友人と観に来た。
最近何してるの?とか、楽しげに話していて、

この公演がまるで同窓会のような暖かさであったこと。

周りを見渡せば、
ちゃんと応援してくれる仲間がいて、
それに答える出演者がいて、
環境があるってすごい贅沢で最高でしかない。

そんな贅沢を自分も味わいたいし、作り手として料理して提供したい。あったかい環境をつくりたい。多くの人に味わって欲しいと未熟ながら思った。

こんな素敵な空間久しぶりに体験して
行けて心からよかった。
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出演者の皆様、振付師、監督の皆様本当に楽しませてもらいました。
素敵な舞台をありがとうございます。
もっとどっぷりダンスにハマることになりそうです。

これからも応援しております。

どうかこの文章が関わった皆様の目に留まり、少しでも励みになればと思います。


ぽん

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