池袋駅の回


「言葉はそれのみで機能する」という花村萬月の言葉を、自分はそろそろ「信じようとしている」。なぜならそうあってほしいから。老舗、のことを(京都の石鹸屋さんだった)、「めちゃくちゃ老舗」とラジオで言うときの高橋みなみは第一に紹介したいもの、を〈老舗の●●〉でなく「めちゃくちゃ」と強弁する自分、の感情、に据えてしまっているから僕の顔は歪む。「老舗」でいい。

口語短歌における安易な一字空けが、もしかしたら生まれたのかもしれない独自の文体を死産させている、というようなことを書いていたのは書店員の梅﨑さんで、このことが長く頭にある。平出さんはそこを「、」で乗り切った。読み味としてはどうなったか。


池袋駅で抱きあってるふたり、がいて両方とも抱きしめた/平出奔


「抱き合ってるふたり」がいて、を、包み抱いた、という流れが、卒業式後の校門や、ライブハウス、批評会・懇親会後のビルの前などでなく【池袋駅】までずれていってる。この「池袋駅」がおもしろかった。でかすぎるし広すぎるからぜんぜん他人たちの可能性がある。しかし知己でもありえるという「池袋駅」。

一瞬、【抱きしめた】がヤバい人の行いなのかどうかが分からない…ところを通って、じつは結局のところもヤバい人の行為ではないのかどうかが分からない。ヤバい人に抱きつかれてやばかった他人たちが書かれているのかもしれない。その背景はまぁどうでもいい。そこは読みの領分ではない。あいだを「、」にすることで平出は、高橋みなみは失敗してしまった、「を、している自分の感情」の強弁に成功していると思う。成功は高橋みなみもべつに、してるのか。高橋みなみ的な嫌さではないもの、への移行を終えれていると思う。

池袋駅で抱きあってるふたり がいて両方とも抱きしめた

これだと【ふたり】の素敵さと、【両方とも抱きしめた】の「われ」の素敵さ、がじゃっかん互角だ。描写の間に経っている時間が平等だからだ。

池袋駅で抱きあってるふたり、がいて両方とも抱きしめた/平出奔

こうすることで【抱きあってるふたり】の素敵さを「、」で速めて、かすめとって、自分の話にしている。添削にも返却にも応じないだろう「われ」が歌の中にいて、そこに惹かれました。



やりすぎをきらって捨てる詩のことをスクラップ&ビルドと呼んだりしてる?/のつちえこ

人生の最初くらいから使ってるような気が勝手にしてきてるけど、「スクラップ&ビルド」って言葉をいいだしたのってたぶんここ10年くらいだと思うんですよね。で、自分もそうだから、ほかの人もある程度そうなんじゃないかと思っている。みんな、「スクラップ&ビルド」をじつはちょっとだけ言ってみたい。使ってみたい。

パッと浮かぶのは羽田圭介の著書。ラップバトルだとR-指定戦でのJ平。

短歌ではのつさん。僕が「スクラップ&ビルド」を短歌で初めてみたのは、のつさんの歌でです。

ここに記録しておきます。

一日中いっしょにいたからおしっこの中身ぜーんぶ言いっこできる! /ぱる子

ぱるさんの歌に「♪」となるか「…。」とうつむいてしまうかで体調が分かるような気がしました。「あ、俺今調子悪いのかもしれないな」と思えた。たぶん、そうなんでしょう。

調子がよければ、【おしっこの中身ぜーんぶ言いっこできる! 】を言われたのが自分だ、と思えて、そこから想像や快楽を取りに行ったことでしょう。今日はでも、【一日中いっしょにいたからおしっこの中身ぜーんぶ言いっこできる!】を横で3人目として聞いたような気持ちになっている。

読んだ人を3人目にしてしまうか。〈関係者席〉に引きずりこめるか。

こういうある種の「ピーク」に頑張ってもらう歌は、そのイチかバチかが楽しいんだろうなぁと思います。

レンタカーみたいな音でいつも来るおじさんちまで歩いて二分/菊華堂

クリアに浮かぶものはなかったのですが、どうもおもしろいことを言おうとしてくれていた手ざわりは受け取れた歌でした。「いつも来る」おじさんのところに向かっている、という謎には、実体験の核がもちろんありそうな、というか。

右足がどういうわけか疲れてる地球左に傾いてるか/涸れ井戸

平出さんの【池袋駅】が、「広すぎる」はおもしろい、ことを発見しました。【地球】でおもしろいのってかなり難しいんでしょうね…

府営住宅、カラスを追い払うことに尽力 繁忙期がやってくる/水沼朔太郎


この動画でMC漢がT‐TANGG評として述べている「うまいんだけど、(そのうまさの集積が)「なんかいやなやつ」なタングを作り上げてしまっている」というものは、けっこう自分の水沼さん評としても重なるものでした。

〈まとまった歌数〉として短歌の人たちの前に現れる機会が少ない……というよりは(そんな自負がそもそも水沼さんの中になかったらすいません)、僕は水沼さんは〈まとまった歌数〉としてしか読ませてくれない歌人だという印象があるんですね。「ものを食べている歌が思っていたよりも多かった」といういつかに書かれていた気づきもおもしろくて、タングにおいての「執拗な押韻」、水沼さんにとっての例えば「また何かを食べている」感じというのが、欲望が立て続けに駆動されている感じを受けてちょっとウッとはなります。送っていただいた歌で言うと、【府営住宅】と【繁忙期】、次点で【尽力】に、その内実の分からなさに開き直っているような感じを受けました。一首を好きになろう,とこっちがしたときに【繁忙期】の職場に歩いていく「わたし」ごと好きになってもらおう,とこの人はしているのではないか…と思うときの、「ウッ」というか。

僕が「水沼さんの一首」だな~ と浮かぶ、好き寄りの歌はこちらです。ついに「ここまでの〈思っている〉ことを言う」をできなかった自分=伊舎堂、の心残りを成功させている「わたし」がここにはいると思う。(「なにか悪口をいってほしい」でしたっけ、そっちのほうの歌を引きたかったんですけどメモに見つかりませんでした。根っこに同じものがある、と感じた歌を引いてます。すいません)(よかったら、教えてもらえましたら、さしかえたいです)

なんにだってなれる言葉のなかでならかわいい男の子飽きました/水沼朔太郎

(※ 最下部に追記があります。20200104)

サランラップの文字達は似たような形をしていて戦隊っぽい/おいしいピーマン

かなり「当たってきてる」比喩の歌だと感じました。
台所に確認にまではいかなかったんですけど、次見たサランラップにこの歌を感じにいかないのはほぼ不可能な仕上がりになっていると思います。

今月も短歌をありがとうございました。投稿先のリンクはこちらです。

・月の末日までに届いたどれかへ1首評を書き、翌月の3日にこちらのnoteへアップいたします。

・引用された短歌は既発表作扱いとなります。
(新人賞応募作品等に組み込めなくなります)

・投稿歌・投稿者に関して、文章以外の形で喧伝・口外することはありません。

・短歌内の「 」(半角スペース)は適宜「 」(全角スペース)に変更します。半角のほうを希望されるかたは、名前の欄に()で記載してください。

伊舎堂 仁(TWi ID:@hito_genom)

水沼さんからこの部分への反応をいただけました。スクリーンショットによる注釈への許可も、ありがとうございます。

見切れながらちょっと喋ってますが、該当する歌をご存知の方がいましたら教えてほしいです。よろしくお願いします。 (伊)