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K-152 アンティオコス3世胸像

石膏像サイズ: H.64×W.40×D.33cm(原作サイズ)
制作年代  : 1世紀頃(原作は紀元前3世紀末のブロンズ像)
収蔵美術館 : ルーブル美術館
出土地・年 : 

セレウコス朝シリアの王であったアンティオコス3世(Antiochus III the Great B.C.241-187年)の肖像彫刻です 。実際にイタリア半島で発掘されたのは頭部のみで、石膏像の胸の部分は後世補足されたものです。アンティオコス3世に関連づけられるコイン、壺絵などの情報から、本来はブロンズ製の騎馬像の一部ではなかったかと推定されています。1870年に、ナポレオン三世が亡命貴族としてパリに滞在していたペポリ伯爵(Count Pepoli ボローニャ出身の政治家・ジャーナリスト)から購入し、その後ルーブル美術館の収蔵品となりました。その購入時、この頭部が“カエサル(シーザー)”の彫像として取り扱われていたため、日本でこの石膏像が流通した当初も誤った名称が流布されてしまいました。

アンティオコス3世は、マケドニア王国のアレキサンダー大王が東征を行い(紀元前320年頃)巨大領土を獲得した後の時代に登場する人物です。マケドニア王国の貴族として生まれたセレウコス一世は、アレキサンダー大王の東征にヘタイロイ(重装騎兵の戦士団)の一員として参加し、アレキサンダーの死後の領土争いに加わります。バビロニアを拠点としたセレウコス1世は、様々な戦争の後、現在のトルコ~シリア~イラン~イラクに相当する地域をその支配下におさめ、セレウコス朝シリアを確立しました。その後、やや衰退気味であったセレウコス朝を、再度隆盛に導いたのがアンティオコス3世です。彼は再度の領土拡大(一時的にインドの一部に到達した)に成功し、その偉業から、アレキサンダーに習って”大王”と呼ばれるようになりました。しかし、その後は共和制ローマと対立することとなり、大敗を喫してしまい(紀元前189年)、やがてセレウコス朝は衰退してしまいました。

ルーブル美術館収蔵 「アンティオコス3世の頭部」
(写真はWikimedia commonsより)


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