(ネタバレしかない)シン・エヴァンゲリオン劇場版:||の感想

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」がとても面白かった~、という話。正直終わるにしてもここまで綺麗に終わるとは思ってなかった衝撃がデカいのでつい痛い感想文を書いてしまった。自分が忘れないうちに書いておきたかったものの、勿論ネタバレしかしてないので、まあ今のタイミングで読む人はそんな居ないだろうし、時間が経ってしまえば見つける人も居ないだろうので誰にも読まれず風化していくから心配無いだろう。



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 シンエヴァ、起きてる事はEOEの繰り返しで(自分が完全に理解し切ってる訳じゃないが)、それでいてテーマの結論はそこから年月が経った分の変遷をしっかり感じられたのが凄い良かった。再構成がめちゃくちゃ綺麗だった、というのが一番大きい感想だった。

 所詮自分が旧シリーズ~EOEまでを見たのは破の後なんで、そんな年季の入ったファンという訳でも無いが、旧版は「お前らオタクもアニメの中の世界に逃避してないで大変でも他者を拒絶せず現実を見ろよ」、というテーマだったと受け取っていた。大してエヴァ知識もない自分の感想だが、言ってる事の捉え方自体は多分そこまで間違ってないのかなと人の感想を見てても実感していた。

 そんなテーマの旧シリーズでカヲル君は辛い時に自分にとって嬉しい言葉をかけてくれる、突き放さず寄り添ってくれるという特に都合の良いアニメキャラとしての存在の象徴だったように思う。自分にはレイやアスカやミサトさんのめんどくささを受け入れることが出来なくてカヲル君の方が楽だし良い奴じゃんとしか思えなかったので、旧シリーズ一連のカヲル君の扱いは納得行ってなかったし、Qでもやっぱりカヲル君を舞台装置に置き続けるんだなというのはかなり不満だった。それが今回のシンエヴァでは、当然のようにカヲル君も救済するべき対象に含まれていて、自分にとって非常に心が洗われるポイントだったと思う。無関係な作品の話だが天気の子の事をトゥルーエンドに至るためのグッドエンドと評する感想が見受けられるものの、物語なんだからもうダメだとなっても何もかも解決する都合の良い手段が現れるように作り手が導けばどうにでもなるでしょ、と自分は苛立ちを募らせていたのでそれに対する救済にもなった。本田鹿の子の本棚77話と同じぐらい天気の子に対して抱いていた想いを救われた気分だった。

 カヲル君周りが良かっただけでなく、冒頭からずっと随分分かりやすく強調する形で全ての命の営みとは、家族とは、みたいな話を見せてきたけど、現実を生きていくのは当たり前の事であり、素晴らしい事なんだよ、みたいなのを説教臭くない形でテーマを見せてて凄いなあ、とめちゃくちゃシンプルに感心していた。設定や用語を理解していない自分がここまで内容を受け止められたのは、今回あまりにも全てにおいて親切設計で説明する事を意識して構成されていたからだと思う。EOEではオラッ!現実見ろ!とビンタで見ている者をひっぱたいていた勢いだったが、今作ではもっと優しく寄り添う形で表現されていたと思う。シンジ君が引き金を引いてしまった後の世界でも、現実世界の存在をしっかりと描き、現実の人間も突き放さずに見守ってくれていた、というのが見ていて非常にテーマを受け止めやすかった。

 脚本の結論がどこまで最初から決まっていた、逆に当初の予定とは変更があったかを知る事はできないが、この結論を描くために準備したと思い返してみれば、Qの内容も全く無駄が無かったんだなとすら感じる。Qの時点で公開は3.11後だけど、話そのものを作ってるタイミングを考えるとシンで3.11を踏まえて結論を整理したんだろうなと勝手に思ってる。

 今回のEOE再構築で一番大きく変化してたのは父親としてのゲンドウとちゃんと対峙して、ゲンドウすら救済させた事かなと。現実の人間からも優しくしてもらえたシンジ君は既に心の整理がついていて最終決戦時にはブレるような事は無かった。逆にゲンドウがシンジとの対話を拒絶してATフィールドを生じさせてゲンドウの心情をはっきり描いた、というのは旧シリーズからの決着でもあり、当時から作品を追ってる人間の年齢の変化に合わせてゲンドウの方に感情移入させるべくフォーカスを当てたという再構築でもあるんだろう(そうは言ってもゲンドウがシンジ君にビビってATフィールド発生させた所は見てる人全員が笑ったシーンでもあるとは思うが)。

 自分もダメ人間なので馴れ馴れしくしてくる親戚とか知らんわ~、自分が必要なものだけを求められる趣味に没頭してたいわ~、という感情を大人になっても抱えているだけに、息子とすら上手く接し方が分からない…というゲンドウの弱さは物凄い理解しやすかったし、そんな人間がついに現実と向き合う事が出来たシーンを描くことになったのは、作り手側の心境の変化もあったからこそなのだと思う。色々ツッコミたい箇所も狙って入れ込みながら、それも作品の持っている味としてお出ししつつ作品を終わらせるぞ!という意気込みを自分のような思い入れの薄い人間が見に行っても強烈に感じ取れた大変素晴らしい名作でした。兄が買っていたドラゴンマガジンにはEOE当時で「泣いても笑ってもこれが最後のエヴァンゲリオン」などと書かれていたので今度もまた復活するかもしれないが、それすらも笑って許せる内容です。

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