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私という字の奥深さ

師と呼ぶべき人は僕には沢山いる。
福祉という世界を教えてくれた師匠、発達援助を教えてくれた師匠、保育を教えてくれた師匠、相談支援を教えてくれた師匠、海の事を教えてくれた師匠、コミュニケーションを教えてくれた師匠、市民活動を教えてくれた師匠、リーダーとは?を教えてくれている師匠…本当に沢山今までもこれからも僕にこの世界の事を教え続けてくれている。

今の僕はそういった人達の存在の結晶でもあるとふと感じる時がある。気の遠くなるような過去から多くの知識と経験を積み上げた、壮大な計画の一部分だ。僕もこの先いつか、その人達のようにその襷を、バトンを渡す日が来るだろう。

こうやって物思いに耽ると、まるで誰かに生かされているとばかり思いそうだが、真理というのはあまりにも多面的で正解がないので、今のところ「私」という存在に落ち着いた。

私という字の由来は耕作する人の事を言うそうだ。自らを耕し、自らを育てる。そういった深みがある。


師が沢山いて充実する事も、長い間それに付き合ってきた「私」がいてからこそ味わえる。私自身が自らを育てようとしない限りには始まらない。

そこに深い感謝があって、誰かに感謝できる。

「ありがとう言いなさい」とか言われて嘘っぱちの感謝を誰かに言うより、今日も私で良かったと思える1日であった方がより良い人生になりそうである。



#師と私
#自らを耕し自らを育てる




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