食って寝て忘れたい

SNS関連の問題で世間がざわつくたびに、愚かな人類には早すぎたツールなんだよなあとつくづく思わされる。私自身過去にストレスをぶつけたいがための言葉を書き込んだことはあるし、今でもそういう衝動に駆られることはある。クソ、と思っても、しばらく我慢して好きなもの食べて忘れるように努めるけど。

行きすぎた芸能人へのバッシング問題と同時に、行きすぎた政権批判用ハッシュタグがトレンドにのっていて思わず笑ってしまった。芸能人だって1人の人間なんだから、という優しい言葉を言える人が平気で「ただし政治家は別」と言っている。一番怖いところはここだよなあと。「こいつはテレビ番組を通して俺を不快にしたからいくらでも叩いていい」と「こいつは俺にとって有益な政治活動をしないからいくらでも叩いていい」は側から見たら似たようなもんなんだけど、特に後者は自分は世のためにやっていると思っているから、度が過ぎてるよ、と指摘されても開き直っている人をネットでたくさん見かけるし。

誰かに目を覆いたくなるような酷い言葉をぶつけている人も、誰か(たとえば家族や友達や恋人)の前では優しく、理性的で、正義感があって、悪いことには悪いと言える、頼もしい人。なにが正義なのか、実は一人一人ルールが違うから、差別や誹謗中傷は、そう簡単になくならない。昔々から人間社会が持っていた闇が、SNSというツールで明るみに出ることが多くなった。もう何度も何度も同じような注意喚起を見たけど、毎度同じことの繰り返しだ。その度に本気で自省できる人もいるだろうけど、たとえば誰かに突然自分の大事なものを汚されたとき、その誰かにやりかえさずに、怒りをやり過ごせる人はどれだけいるのだろうか。

私も聖人君子ではないし、むしろそういう意味では弱い人間なのでときどき考える。必死に気を付けているだけで、飲み込んだ罵詈雑言は星の数ほどあった。叶うなら悟りでもひらいて、すべての負の感情とおさらばしたいが、それも今はまだ難しい。今にも暴れ回りそうな己をだましだまし抑えながら、生きていくほかない。

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