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第6回「なんだか2021年に書かれた記事みたいだなと思った」(文=橋本倫史)

SUNDAY INTERVIEWERS|サンデー・インタビュアーズ

11月28日。先週末から続いていた冬型の気圧配置がようやく緩んで、青空が広がっていた。この日、5回目のオンラインワークショップが開催された。今回は都合がつかなかった方が多く、参加者はラナさんとshinoさんのふたりだけだ。

「今年もあと1ヶ月ちょっとになってしまいましたが、皆さん、近況はいかがですか?」Zoomの画面越しに、事務局の水野雄太さんが問いかける。

「最近は大掃除です」と、参加者のラナさんが答えると、shinoさんが「早いですね」と驚く。聞けば、年末が近づいて慌ただしくなる前にと、今のうちから掃除を始めているのだという。ラナさんの生まれ育ったカナダでは、クリスマスは家族や友人と一緒に自宅で過ごす日だ。日本には家族がいないから、家族同然の友人たちと過ごすつもりだとラナさんは言う。

「私は東京に職場があるんですけど、今はずいぶん緩和されてますよね」。shinoさんが言う。「夜も開けているお店はまだ少ないんですけど、開いてるところに皆が集中して行くんですよ。だから、局所的にひとだかりができていて、第6波が怖いなと思いながら過ごしています」

あの頃は第5波が落ち着きを見せ、街にも少し賑わいが戻り始めていた。たった数ヶ月前のことなのに、オンラインワークショップを録画した映像を2022年の今見返すと、遠い昔のことのようにも思える。

今回課題に選ばれた映像はNo.70、「誠5歳9ヶ月、由美3歳11ヶ月」。8ミリフィルムを提供してくれた方のこどもふたりが通う幼稚園の運動会を撮影したものだ。

「この映像を見て、私に運動会の経験があるかなとゆっくり考えてみたんですけど、何も思い返せなくて」。ラナさんが話を切り出す。こどもの頃からスポーツが好きじゃなかったから、そういう理由で忘れちゃったのかもしれないです、とラナさんは笑う。

「両親が学校に観にくるようなイベントがあるとすれば、クリスマスの演劇だったんですね。それは両親の年代に合わせたものだったのかもしれないんですけども、60年代の音楽に合わせてダンスをして。私が何の役割だったかはよくおぼえていないんですけど、弟のときのことはおぼえていて。弟は急に殺されるキャラクターを演じる役割だったんですけども、弟が頑張って、殺されるシーンをシリアスに演じていたのをおぼえています」

幼稚園の学芸会の演目で、殺されるシーンが出てくるというのは、一風変わった感じがする。だからこそ、ラナさんはそのときのことを鮮明に記憶していたのかもしれないなとも思う。

「日本の運動会だと、全員で行進したり、集団行動の演目が入っているんです」。ラナさんの話を受けて、shinoさんが言う。「外国の運動会だと、そういう集団行動ってあるのか、気になりました」

「これはあくまでイメージだけの話なんですけど、カナダよりアメリカのほうが、そういうイベントがある気がします」とラナさん。「よく映画にも出てくるのでご存じかもしれませんが、英語で“Pep Rally”と言うんですけれども、チアリーダーが学校に対するプライドを出すイベントがあるんです」

「学校対抗の応援合戦みたいなことですか?」と、事務局の松本篤さんが尋ねる。

「そうです。“Pep”というのは、元気を出すという意味です」

日本にも応援団という文化はある。でも、応援団がまとっているバンカラな雰囲気は、チアリーダーとは大きく隔たっているように感じる。カナダ出身のラナさんからすると、8ミリフィルムの中で園児たちが揃いの制服を着て運動しているというのも、見慣れない光景だったという。カナダでは特に決まった運動着はなくて、それぞれが使い古したTシャツを着て体育の授業を受けていたそうだ。

「私は、背景に万国旗が飾られていたのに注目しました」とshinoさん。「私がこどものときの運動会にも万国旗か飾られていて、なんで万国旗なんだろうと調べてみたら、明治の初期に入ってきた文化のようです。由来としては、外国の船が日本にやってきたときに、自分の国の旗と日本の旗を掲げていたのを取り入れたという説と、日本が欧米と肩を並べて国際博覧会とかに参加するようになったときに万国旗を見て、それを取り入れたんじゃないかっていう説がありました」

shinoさんの話を受けて、松本さんは記憶の中にある運動会の風景を語り出す。松本さんが通っていた小学校でも、運動会の前日になると先生が設営作業を初めて、当日になると万国旗が放射線状に飾られていたという。「運動会と万国旗って、何で関係あるんだろう?」と、松本さんがつぶやくように言う。

「『運動会』じゃなくて『体育祭』って言い方もありますよね」と、水野さん。「日本の場合、体育とスポーツでは立脚している考え方が全然違うって話も聞いたことがあります。いわゆる体育の源流には、明治からの国の成り立ちと密接に結びついているんだろうな、と」

体育も万国旗も、明治以降に日本に輸入されたものだ。

近代化を推し進めるべく、明治政府は「富国強兵」をスローガンに掲げる。そのためには近代的な兵士としての「国民」の存在が不可欠であり、また「国民」の身体を近代化することは、資本主義の発達にも不可欠だった。明治18(1885)年に森有礼が初代文部大臣に就任すると、単子中等学校に兵式体操が導入され、運動会が奨励されるようになった。日本で初めて「運動会」が開催されたのは、それから遡ること11年、明治7(1874)年のこと。東京の築地にあった海軍兵学校で、フレディリック・ウィリアム・ストレンジというイギリス人英語教師の指導によって開催された「競闘遊戯会」が、その始まりとされる。

一方の万国旗も、それが外国船に掲げられた旗に由来するにしても、万国博覧会に由来するにしても、明治以降に定着した文化だ。かつては日本国内には存在していなかったものが、ハイカラなものとして取り入れられる。それから100年以上経って、海の向こうとはまるで異なる文化として運動会が定着しているということに、どこか愛おしささえおぼえてしまう。

「運動会、今はどうなってるんだろう」。水野さんがふと疑問を漏らす。

「僕のこどもが通っている学校だと、学年ごとに時間割が決まってます」と松本さん。「1時間目は1年生、2時間目は2年生みたいにセパレートされてて、その学年の保護者が1名だけ見に行ける。基本的に歓声もなくて、すごく様変わりしてると思います」

当たり前だと思っている風景も、やがて変わってゆく。言葉をひっくり返せば、今の当たり前も、ある時代に創り出されたものだ。

この日、オンラインワークショップに参加できなかった方たちが調べたことや誰かに聞いてきたことは、水野さんや松本さんによって代読された。参加者のひとり・八木寛之さんが調べてきたのは、映像が撮影された当時の新聞だ。

「これは昭和45(1970)年だから、ちょうど大阪万博の年で、日本の高度経済成長のピークの時期ですね」と松本さんが説明する。「記事の内容としては、運動会の形が今まさに変わってますよ、という内容です。運動会の種目の中には、騎馬戦だとか組体操だとか、危険を伴うものもあるので、そういう種目はやめにしましょうという流れがありますよと、記事に書かれています」

その記事は、10月7日の朝日新聞朝刊に掲載されたものだ。見出しには「“骨抜き”運動会 「落っこちるな、けがするな」 消えてゆく騎馬戦・棒倒し」とある。もしも児童が怪我をした場合、保護者からクレームが入ることを恐れて危険な種目が消えつつあり、「運動会はつまらなくなったという声がある」と、記事に書かれている。

「八木さんは『なんだか2021年に書かれた記事みたいだなと思った』と書かれていたんですけど、僕もそう思いました」。松本さんはそう言葉を挟んだあと、八木さんの代読を続ける。「私は1981年生まれですが、小学校の運動会で組体操、騎馬戦、棒倒しいずれも経験しました。しかしいずれも、上記の記事に書かれているようにはちまき(帽子)や旗を取ったりするという『用心深い』競技に変わっていました。この当時は『相手を地面に落とすまで戦う騎馬戦』が当たり前だったのでしょうかね」

1982年生まれの僕も、小学校の運動会で騎馬戦を経験している。でもそれは、帽子を奪われたら負けというルールでしかなかった。今の感覚からすると、かつての騎馬戦はずいぶん荒々しいものだったのだなと感じる。今の時代の「普通」もまた、別の時代の尺度を当てると、ずいぶん変わったものに見えるのだろう。わたしたちは今、どんな普通を生きているのか。およそ半世紀前の運動会の映像を眺めながら、ふと考える。

文=橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)、『東京の古本屋』(本の雑誌社、2021)、『水納島再訪』(講談社、2022)。

サンデー・インタビュアーズ
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]

サンデー・インタビュアーズをめぐるドキュメント(文=橋本倫史)

第1回誰かが残した記録に触れることで、自分のことを語れたりするんじゃないか
第2回この時代の写真を見るとすれば、ベトナムの風景が多かったんです
第3回川の端から端まで泳ぐと級がもらえていた
第4回これはプライベートな映像だから、何をコメントしたらいいかわからない
第5回『ここがホームタウン』と感じることにはならないなと思ってしまって
第6回なんだか2021年に書かれた記事みたいだなと思った
第7回仲良く付き合える家族が近所にたまたま集まるって、幸せな奇跡というか

SUNDAY INTERVIEWERS|サンデー・インタビュアーズ
「サンデー・インタビュアーズ」は、東京・世田谷ので収集された昭和のホームムービーを通して、現在という時代を照らし出す“ロスト・ジェネレーション”世代の余暇活動です。https://aha.ne.jp/si/