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銭湯と僕⑤

「どこに引っ越すことにするの?」
両親からそう聞かれた。
「うーん、まだ決まってないんだよね」
僕はそう回答した。でも、その時も何となく心には決まっていた。

まず引っ越しをするにあたっての条件は、実家にも会社にも行きやすい場所。できれば会社に行くのには乗り換えが無い事。秋葉原や神田、東京方面に出かけることが多かったので、そちらの方面に出やすい所。
そして、僕自身が心に決めていたのは『銭湯』が近くにある所が良いなと思っていた。

その条件にピッタリと当たっていたのは『荒川区』だった。
山手線や京浜東北線が通っていて、そのほかも都電荒川線等が通っていて交通の便が凄く良かった。家賃も何とか給料内で支払うことが出来そうだったので、僕の心は何としても荒川区に引っ越そうと決めていた。
これは結構大事なところで、初めて自分の意志で自分が住みたいと思う所を選ぶわけだから、後悔は絶対にしたくなかった。

当時、荒川区の銭湯で知っていたのは『斉藤湯』と『帝国湯』だけだったけどそれで充分だった。僕は勢いに任せて日暮里の不動産に直撃した。
「すみません。家賃は○○円くらいで風呂トイレ別で・・・」
条件を提示しながら、担当の人と話を詰めていく。
「なるほど・・・・それならいくつか物件がありますね」
「ありがとうございます!実際に見に行っても良いですか?」
「はい、行きましょう!」
こうやって、4つくらい物件の内見に行ったけれどもどれもピンとこなかった。

「どうでしたか?気に入った物件はありましたか?」
「正直にお伝えすると・・・・どれもピンとはこなっくて」
「そうですか・・・・例えばですが家賃をもう5000円くらい上げられませんか?」
「それは・・・無理ではないですけど。」
「それならもう1件紹介できそうなところがあります。」

その物件は僕が希望していた条件を全て満たしていたわけじゃなかったけど、一番重きを置いていた『銭湯』に行きやすいっていうところをばっちり満たしていた。斉藤湯はもちろん、荒川区の大体の銭湯には自転車ですいすいと行けそうな場所で駅からもそこそこ近い。

「ここにします!!はい!!」
「気に入っていただけて、良かったです。詳細はまた明日にしましょう」
この時、不動産に入って6時間近くたっていて閉店の時間になっていた。
入居の申し込みだけをしておき、細かい契約とかは別日に行うことに。
こうして、僕は荒川区に引っ越しをすることになった。

荒川区に引っ越した僕はまずは生活に慣れることに集中していたので、すぐに銭湯に行くことはできなかった。少しずつ落ち着いてきたところで、「よっし銭湯に行こう!」って思ったのは引っ越ししてから1か月くらい経った時だった。この時に頭に浮かんだのは『帝国湯』さんだった。

帝国湯さんと言えば、激熱の銭湯って聞いていたけれども僕は完全に舐めていた。まず初めて行って、佇まいに呆然としてしまってしばらく立ち尽くしていた。中に入って、日本家屋独特の雰囲気と昔ながらの銭湯に懐かしさを覚えながら浴室に向かった。
カランもこの時ちゃんと意識して初めて触った。
押せばお湯が出てくる。シャワーが付いていないカランもある。
ケロリンの桶って本当に銭湯にあるんだっていう感動を覚えたのは今でも鮮明に覚えている。

ふらふらと湯船に向かって足を一歩入れたところで。
「あっつ!!!あっつい!!!!」
思わず声が漏れてしまった。近くのお爺さんが「ふふふ・・・」ってニヤニヤしていたのは絶対に忘れない。
隣にある薬湯は入り慣れた温度だっただったので薬湯で身体を慣らしてもう1回チャレンジ。少しだけ入れたけどゆっくり入れなかった。
下町銭湯の洗礼を僕はここで浴びた。でもなんだか心地よい気持ちだった。

中庭に座って、夜風を浴びて帰る時に番台のご主人から「はい、どうも!お休みなさい」って言われて僕は泣きそうになった。一人暮らしを始めてから誰かに「おやすみなさい」って言っていなかったし、言われたこともなかったから心にすーっと入り込んできた。僕も笑顔で「はい、おやすみなさい!」って言って銭湯を後にした。

この時に、銭湯って凄い良い場所だなって感じた。
それと同時に「次こそはあの熱いお湯にも何食わぬ顔で入って見せる」って不思議な感情も芽生えていた。
最初に行った銭湯が「帝国湯」で良かったと思う。
ここでの体験こそが、僕が街中の銭湯に通うようになった原点・礎であると言っても過言ではない。

ここから、僕はお休みの日を使って色々な銭湯に足を伸ばすようになる。
平日は荒川区の銭湯を巡って、休みの日はあちこちの銭湯へ。
そんな生活の中で、イベントにも参加するようになり人とのつながりが広がっていった。

その話はまた、次回に書きたいと思う。
僕の生活の中心が徐々に銭湯になっていく、そんなお話。

※この物語は半分フィクションで半分ノンフィクションみたいな話です。
小説とエッセイの間くらいと思ってもらえると嬉しいです。

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